うっすらと目を開いていく。
 ぼやけた風景を目をこすることによってはっきりとしたものにし、時計を見る。午前6時。なのに夏ゆえに外は明るい。
――ふと、背中の方になにかしらの温かさを感じた。おかしい、この部屋にいるのは俺一人――

「……思い出した」

 昨日の出来事が鮮明に思い出される。ゆっくりと、位置をずらしながら後ろにいる人物に対してぶつからないように体の向きを変える。
 案の定、そこには忘奈の姿があった。小さな寝息を立ててすやすやと眠っている。

「……おいおい」

 思わず苦笑した。彼女は人に見つかったらその人を殺さなければならないのだ。今のところ例外である俺を除いて。なのにこの無防備さは一体何なのだろう。

「それだけ俺を信頼してくれているってことかな?」

 自分の都合のいいように解釈してみる。意味は特にないが。

「……ま、とりあえず危険性のないうちはもう少し寝かさしておくか」

 彼女は人に見つかってはならない存在。もしかしたらこれまでずっと「人に見られるかもしれない」という緊張感の中に過ごしてきた可能性もある。そう考えると、この部屋ぐらいは落ち着ける場所であってほしいように思えた。
 あと、この寝顔をもうちょっと見ていたいという気持ちも……

「何考えてんだ俺は」

 俺は一人のりつっこみをする。気温は高いはずなのに一瞬肌寒く感じた。クーラーのせいだろう。いや、きっとそうだ。

「……さて、着替えますか」

 なんかむなしくなってきたのでとりあえずやるべきことを片付ける。今は夏休みなのだが、うちの高校は3年生は特別に夏休みでも課外授業がある。しかも授業時間は普段とほとんど変わらないと来たもんだ。思わず「本当に夏休みなのか?」と疑ってしまう。
 着替えが終わると次はコンタクトをつける。ゲームのしすぎで悪くなったのだが、自分にはあまり眼鏡が似合っていなかったのでコンタクトにしたのだ。ただ、眼鏡の方が手軽ではあるので、家にいるときとか親しい友人の家に行くときなんかは眼鏡にしている。
 結局のところ、少しはカッコつけたいのだ。

「よし、準備完了」

 俺は鏡を見ておかしなところはないか確認する。髪の毛が多少ぼさっとしているが問題ないだろう。
 既にもう爆発ヘアーは何度も見られているから、こちらの方は今更カッコつけたところで問題はない。さっき考えていたことと矛盾しているような気もするが気にしない。
 遠くで水の出る音がした。母親は既に起きていて弁当の用意をしてくれているのだろう。俺は忘奈を起こさないようにそっと居間へ向かった。





 食事を終え、一旦部屋に戻る。学校までの時間にはまだ少し余裕があった。
 部屋に戻ると、未だぐっすりと忘奈は眠っていた。
 とりあえず最悪の事態を避けるために起こしておこうと思い、俺はそっと忘奈の体をゆする。

「おーい、起きろ〜」
「…ん……あ、孝雄。おはよ〜」

 まだ完全に目覚めていないのか多少寝ぼけ眼で朝の挨拶をする忘奈。

「ああ、おはよう。あのな、俺は今から学校だから。お前は人に見つからないようにな」

 相手は隠れるののエキスパートなのに、なぜかそう注意せずにいられなかった。
 忘奈は「わかったの…」と少々頼りない返事をするとまた横になった。

「……ま、親父や母ちゃんも仕事だし大丈夫かな」

 俺は自分でそう納得すると、昨日の夜に用意しておいた鞄を持って学校へ向かった。



 学校へ来るとまだ時間に余裕があったようで、意外と生徒の人数は少なかった。
 俺は自分の席につくと、とりあえず宿題の続きをやる。真面目だからではない、こんなときにやらないと別のときはやる気でないし、終わらないからだ。
 ある程度やったところで、突如俺の机の前に誰か立った。前を見ると、そこには一見不良にもみえる男が立っている。俺は何も言わず、財布から500円を取り出すとその男に渡す。
 男はニヤリとしてこう口にした。

「なんだ、お前昨日勉強しなかったのかよ」
「うるせーよ秋原、昨日は色々あって出来なかったんだよ」

 秋原 健介(あきはら けんすけ)。俺の悪友3号(1号、2号もいる)にして一番謎が多い男。

「ちゃんと貯金箱入れといてくれよ」
「わかってるって、お前もちゃんと入れているんだろうな」
「もちのツモ、リーチ一発裏ドラのって満貫よ」

 実は俺たち、3年ということでとある賭けをしていた。賭けといっても家でちゃんとしなかったら500円というだけのもので、しかもこれでたまった金は受験が終わった後払い戻しされるという微妙なシステムだ。だが、その場で使うお金の多い俺らにとって、500円を失うというのはかなり痛い。

「そのツモ、イカサマじゃないことを祈るぜ」
「お前こそ、その500円欲しい飴とかに使うんじゃねーぞ」

 以前そんなことがあったのでそう忠告しておく。よくわからないがこいつは飴がとても好きみたいで気づいたときには飴をなめている。ポケットの中にたくさん入れているようだ。

「ま、そんときは昨日勉強しなかったお前が悪いってことだ」
「マテやこら」

 いつものとおりわけのわからない漫才をやる。
……そういや、こいつに教わった気配消しがあったから昨日のようなことになったんだっけ。感謝するべきなのか怒るべきなのか、どっちにしろ伝えることはできないんだけどな。

「……ん?」

 突如秋原が俺をにらむ。

「どうした? 俺の制服にご飯でもついてたか?」
「……いや、なんでもない。多分気のせいだ」

 そういって秋原は一人で勝手に自己完結した。さっぱりわけわからなかったが、どうせ聞く必要ないやと思ったので無視することにした。
 ある程度話していると教室に先生が入ってきたので秋原は自分の席に戻る。さあて、今日もかったりぃ授業の開始だ――。




「暑い……」

 4時間目終了後、昼飯だというのに食欲がよくわかないぐらい今日は暑かった。それは俺だけでなく、先生はシャツを汗でぬらしながら授業をしていたし、生徒にいたっては皆グロッキーな状態だった。

「だらしないな、このくらいで」

 秋原がうちわを仰ぎながらそう挑発してくる。

「何せ昨日よりもさらに暑くなったみたいだからな。クーラー依存症の俺といたしましてはこのくらいでも相当な破壊力があるのですよ。イメージ的にはチェイノブルリ原発みたいな?」
「いや、わけわかんねぇって」

 秋原につっこまれる。正直、言っている俺自身よくわからない。

「このように喩えがおかしくなるぐらい俺はばてているんだ、エネルギーは空っぽだ」
「なら飯食って回復しろよ」
「あいにくだな。今の俺の辞書には食欲という文字は存在しない」
「はあ、しょうがねえな」

 秋原はため息をつくと、俺に2、3個ほど小さな袋に入った飴を投げつけた。

「飴ぐらいなら口に入るだろ、どうせ水筒も持ってきているんだからそれで流し込め」
「おう、サンクス。これが『お前には でっかな 明日がある』つまり『ODA〜政府開発援助』なんだな」
「違う」

 俺のボケは一言であっさりとかき消された。



「終わった……」

 ようやく授業が終わった。俺はその開放感からか机の上に倒れこむ。
 夏の授業というのはどうしてこうも暑いのだろうか。はっきりいって、外にいた方が何倍も涼しく感じられる。

「どうする? コンビニ行くか?」

 秋原も暑そうにうちわを振りながら俺に尋ねてくる。いつもだったら「行く」とすばやく返答するのだが、なんか今日は忘奈のことが気になってしょうがなかった。

「いや、今日はいいよ」
「ん、そうか。それじゃあな」

 そういうと秋原は一人で帰ってしまった。なんとなく、少し悪いことをしてしまったように感じられる。まあ、言ってしまったのだから今更気にしたところでどうしようもないのだが。
 クラスの友人の何人かに帰りの挨拶をすると、そのまま自分の家まで寄り道をせずに帰った。



「たっだいま〜っと」

 俺は家の中に入ると真っ先にそう口にする、しかし誰もいないのか返事は全くない。
 靴を脱ぎ、そのまま自分の部屋まで直行する。
 部屋の中は蒸し暑く、そして誰もいなかった。

「なんだ、忘奈いないのか……」

 たった1日なのに、いないだけでなんとなく違和感を感じてしまう。そう、まるで昨日のことが夢だったかのように……。

「ただいまなの〜」

 ふと、明るい声がしたのでそちらを向く。そこには、忘奈がいた。

「おう、一体どこ行ってたんだ?」
「あのね、ものがかなしんでいるのをかんじたからそこにいってかくしてきたの」
「…そっか、そうだよな。お前にはそんな仕事があったんだっけ」
「?」

 どうして俺が笑っているのかわからないようで忘奈は首をかしげた。

「いや、なんでもないんだ。気にするな」

 忘奈が質問しようとするのを止め、とりあえず一息つく。そこには、なんともいえない安堵感があった。

「しっかし暑いな……クーラーでもつけるか」

 この部屋がサウナ状態になっているのをすっかり忘れていた俺は、クーラーのスイッチを入れた。すると、クーラーからは涼しい風が吹き出してくる。

「わっ! びっくりした」

 突然変な形をした物質から涼しい風が出るのを見て忘奈は驚いている。
 その様子を見て俺は笑いながら、

「ちがうって、それはな、涼しい風を出すように作られているんだよ」
「ふーん」

 忘奈は興味津々といった感じでクーラーを見ている。
 俺は忘奈がそれに気をとられている隙に着替えようとした。
 と、洗濯に出そうと思いポケットの中のものを取り出している途中、飴玉の袋が出てくる。
 そういえば秋原にもらったのはいいけど結局あんま食う気しなくて一個だけ食ってポケットの中に入れておいたんだった。

「おーい、忘奈」

 どうせあと2個残っている、一個ぐらい忘奈にあげようと思い、忘奈を呼ぶ。

「なに?」
「ほらよっ」
「わわっ!」

 袋をむいて忘奈に飴玉を渡す。忘奈は不思議なものを見るような目で飴玉を眺めていた。

「なに、これ……?」
「食べてみなって」

 忘奈はおそるおそる飴玉を口にする。そしてびっくりしたような顔で俺の方をむき、こうつぶやいた。

「あまくておいしい……」

 どうやらそのおいしさに感動したようで、口に飴を含んだまま一言も発しようとはしない。
 しばらくして、飴玉が全部溶けきったのか忘奈は口を開き、そして、

「すっごくおいしかったの! ねえ、もっとない?」
「いっいや……もうないんだ」

 あまりの忘奈の迫力に思わず半歩後ずさりながら言う。すると、忘奈は残念そうに

「そう…ざんねんなの」
「…明日買ってきてやっから、そんな顔すんな」

 そういって忘奈の頭をポンとたたいた。忘奈は嬉しそうに「うん!」と返事をした。

「さて、なんとなく気になるから今日はどんなものを隠してきたのか教えてもらおうか」

 俺はそういって敷いたままにしてある布団に座る。

「えへへ、あのね……」

 忘奈は今日あったことを話し始めた。

「へえ、そんなことがねえ」

 俺は興味深くその話を聞く。物がどういう経緯で復讐したくなるのかは聞いていて面白いものがあった。話を聞き終えた後周囲を見渡すと、その経緯に当てはまるものがいくつかあったんでちょっと苦笑してしまう。

「…片付けるとすっか。忘奈も手伝ってくれ」
「わかったの」

 部屋を片付けていく途中で色々ななつかしいものが出てくる。昔よく聴いたCD、本当は学校に提出しなければならなかったのだけどなくしてしまって先生にさんざ怒られてしまったという曰く付の品々、そして秘蔵のH本……。
 忘奈の手伝いもあってかそういうものがたくさん発見できる。最も、H本だけは忘奈に中身を見られないように厳重に保管したが。

 しばらくして、ようやく部屋が綺麗に片付いた。

「ありがとな、忘奈」
「どういたしましてなの」

 ふと、自分が結構楽しく掃除していたことに気づく。忘奈がいたからなのだろうか。時間的にはまだ2日間もたっていない付き合いなのに。とにかく、楽しかった事だけは確かだ。

「なあ、忘奈…」
「なに?」
「お前これからもうちに来るんだよな」
「うん! だって『こんやくしゃ』だもん」
「そっか」

 これからも忘奈といれるということによくわからない嬉しさを感じた。それがいつ終わるのかはわからないけど、今を楽しめればそれでいい、そんな気持ちだった。


終わり