人生には必ず落とし穴がある。
 ものすごく恥ずかしい目にあったときとか、ものすごく絶望したときとか。
 それは誰しもが体験することであって、落とし穴に落ちることは別に不思議でもなんでもないのだ。
 しかし、今僕が味わってしまった落とし穴は恐らく体験する人はごく少数だろう。
 僕は空を見上げながらそう思う。

「……まさか、落とし穴なんてものが現実にあるなんてなあ」

 なぜなら、それは比喩的表現でもなんでもなく本物の落とし穴に落ちてしまったのだから。

「あいたた……」

 お尻の方をさすりながら立ち上がる。
 思ったよりも深く、そして大きな落とし穴のようだ。ジャンプしてみるものの、地上に届かない。

「こんなのにひっかかるなんて、やっぱ考え事しながら歩くのはよくないなあ」

 考え事というのは現在の僕を取り巻く環境についてだ。あやちゃん、笹瀬川さん、来ヶ谷さんに告白されたのに、それにさらに二木さんが加わった。
 こんなことになるなんて思ってもみなかったので僕はどうすればいいのかわからない。わからない以上は考えるしかない。けれど、来ヶ谷さんの一件から僕は部屋ですら実は落ち着けなかったため、それならほとんど人が来ることがない校舎裏の隅の方で考えようと思ったのだ。
 そしたら、穴に落ちた。
 しかし、このレベルの落とし穴だったら周りに色々と痕跡が残っていたはずだ。積み上げられた土の山とか、不自然に隠された跡とか。
 そういうのに一切気づかなかった僕にも非はある。もちろん一番悪いのはこんなところに落とし穴を作った人だろうけど。

「困ったなあ」

 周りを見ても登るのに使えそうな道具は置いていない。
 元々ほとんど人が来ることがないということで選んだ校舎裏だから、助けを呼んでもすぐに人が来るということはないだろう。

「おーい、誰かー」

 それでも、今一番の策は助けを呼ぶことなので僕は声を張り上げる。

「ん、誰かいるんですかねえ?」

 幸いにも、声を枯らす前に気づいてくれた人がいたようだ。あれ、でもさっきの声の人物って……。
 そのとき、僕はふと考えてしまった。
 そもそも、こんなところに、こんなおっきな落とし穴を掘るような人物って誰がいるだろうか。

「まさか……」

 僕が知る限りそんなことをやっちゃいそうな人は一人しか思いつかない。
 世の中を刹那的に楽しく生きようとしてきた少女、全てに裏切られたような環境の中でも必死に生きて、そして裏切られていないことを知った少女。
 僕の声に気づいた人は僕が落ちた穴の中を覗き込む。それは予想していた相手。

「おーっ! 遊びで作っていた落とし穴に大物がヒットしてますねい!」
「やっぱり……」

 そして、間違いなくこの落とし穴を掘った張本人である葉留佳さんだった。





『理樹くんは私のもの』





「いやーまさか理樹くんがかかっちゃうなんて思ってもみませんでしたよ」

 葉留佳さんは髪の毛をかきながらやははと笑う。

「うん、僕もまさか落とし穴にはまるなんて貴重な体験ができるとは思わなかったよ」
「それはいい体験でしたねい」
「いや、皮肉のつもりだったんだけど……」

 まあ、あんま通じそうにないのはなんとなく予感していたけど。

「とにかくさ、助けてくれないかな?」

 僕は葉留佳さんにお願いする。この穴を掘った張本人ならここから脱出するための道具、例えば梯子とかがどこにあるかも知っているはずだ。

「えーなんでなんで?」
「いや、普通でしょ……」

 むしろどうしてそこを疑問に思うのかがわからない。
 
「だってここならみんなに邪魔されないじゃん」
「いや、そうだけど……」

……ってあれ? 僕葉留佳さんに一人で考え事したいとかそんなこといってないよね?
 と、いうことはそれは邪魔されないのは僕がじゃなくて……。

「私だけが知ってる、私と理樹くんだけの秘密の場所。それってさいこーじゃないですか?」

 それはつまり、葉留佳さんがみんなに邪魔されない場所。
 そういえば、佳奈多さんがいってたっけ。葉留佳さんも僕のこと好きだって。

「ち、ちょっとまってよ! 僕はこっから出たいんだって!」
「えーでも、私としては出てほしくないんだけどなあ……そうだ!」

 葉留佳さんは何か閃いたかのように手をぽんとたたく。
 う、な、なんだか嫌な予感が。

「私が理樹くんを助けられる立場だから理樹くんは私にそんなお願いごとするんだよね。だったら私も理樹くんと同じ立場になればいいんだ!」
「え、それって……」
「えーい!」

 僕が言葉を発し終わらないうちに、葉留佳さんが穴へと飛び降りてきた。
 葉留佳さんは僕に向かって飛び込んできたので、あわてて僕も抱きとめるようにする。
 しかし、穴の高さからくる重力と人の重さを僕が支えきれるわけもなく、よろめくように後ろに倒れてしまった。

「あいたたた」
「えへへ、理樹くんに受け止められて超ハッピー」

 言葉どおり満面の笑みを向けてくる葉留佳さん。
 
「ハッピーって……一体どうやってこっから出るのさ!」
「あーまあいいじゃないですか」
「よくないよ!」
「助けなんてきっと待っておけばきますよ」
「よくこんな状況でもポジティブでいられるね……」

 そこが葉留佳さんのいいところなのかもしれないけど。
 ともかく、僕だけでも脱出する方法を考えないと。

「あと、そろそろ立ち上がりたいんだけど」
「はるちんとしてはもう少しこのままでもいいんですけど」
「いやいや、色々とこの体勢はきついから」
「色々とする分には丁度いい体勢ですよ?」

 葉留佳さんの色々は一体なんのことをいっているのだろうか、考えたくもない。

「お願いだからさ。背中もちょっと痛いし」
「うーん、仕方ないなあ」

 なんとか葉留佳さんを説得し、どいてもらい立ち上がる。
 さて、どうやって脱出したものか。

「おーしかし、中は意外とくらーいですねい」

 葉留佳さんは周りをきょろきょろと見回している。

「あれー? 理樹君の顔がよくみえないー。どこー?」
「いや、ちゃんと見えてるよね……」

 葉留佳さんは手を前に突き出しながら周りに何があるのか確認している――が、それがフリだということは明白だった。
 いくら暗いとはいえ、穴の外からちゃんと日の光は差し込んでいるため見えないということはない。それにたとえ暗かったとしても時間的に目が慣れているはずだ。

「うーん、ここかなあ」
「ちょ…、葉留佳さんっっ。そこはっっ」

 そういって葉留佳さんは手で僕をさわってくる。
 その、うん、大事な場所を。

「えー、言ってくれないとわかんないよー」

 そういって笑みを浮かべている葉留佳さん。
 わかっている、この人絶対わかっているよ!

「男の大事な場所だよ!」
「えーそれじゃわかんない」

 なんという羞恥プレイ。僕の顔は間違いなく真っ赤。

「や、やめてよ!」

 そういって僕は葉留佳さんを押しはなそうと手を突き出す。
 気持ちのよい感触があった。
……気持ちのよい?

「あん、理樹くん大胆デスね」

 そう、僕は葉留佳さんの胸を触っていた。ふよふよふやんな感触。もうちょっと触っていたい――じゃなくて!

「い、いやこれは違うんだ」
「理樹くんってばもう、そういうつもりなら」
「ちーがーうー!」

 落ち着け、落ち着くんだ僕。
 今はそんなことよりこっから脱出する方法を考えないと。葉留佳さんに取り乱されていたら一生思いつかない。
 今ここは僕がジャンプして届かない高さ、葉留佳さんもきっと同様だろう。一人では到底無理ってことだ。 じゃあ、二人なら?
……そうだ、二人なら肩車でもすれば地上に届くかもしれない。

「ね、ねえ、葉留佳さん提案があるんだけど。肩車しない?」
「肩車? おーいいですねい」

 提案に乗り気な葉留佳さん。ついでにさっきの件をごまかすことにも成功したようだ。

「よしじゃあ僕が担ぐから、葉留佳さん乗って」
「サーイェッサー!」

 僕は片足のひざをつけて葉留佳さんが肩に乗っかるのを待つ。
 葉留佳さんはそれを見て片足をまず僕の肩にかけてから、もう片方の足を掛けて僕に乗る。
――僕の顔のある方から。

「ふぇ、はふははんほへひがふ!(て、葉留佳さんそれ違う!)」
「あん、理樹くんしゃべっちゃダメですよう」

 しまった! 思わずいつもどおりにつっこんでしまった。
 そう、目の前には純白のものがある状況なのだ。そんなところでしゃべってしまったらどうなるかはいわずもがな。
 とにかく降りてほしい一心で葉留佳さんの背中を叩く。この体勢だとそもそも息がしづらい。

「んもう、しょーがないなあ」

 何故かちょっぴり残念そうな葉留佳さんは一旦降りたあと、今度はちゃんとした乗り方で肩に乗った。
 僕自身ちょっぴり残念な気がするのはきっと気のせいだろう。うん、きっとそうに違いない。

「で、どうですか?」
「え、どうですかって何が?」

 葉留佳さんを肩車して立ち上がったときに葉留佳さんが尋ねてくる。

「決まってるじゃないですか、女子生徒が乗っかってるんデスよ? こうほら、太ももの感触とか」
「そ、そんなの考えてなかったよ!」

 むしろ言われてから急に意識してしまったわけで。

「んー本当デスか? ほらほら、うりうりー」

 葉留佳さんが太ももを動かしてくる。
 柔らかさとか、締め付け具合とか、なんかこう、胸がドッキドキしてしまう。

「はは葉留佳さん! そんなことより届くの、届かないの!?」

 がんばって気をそらそうと、本来の目的がどうなっているのかを強く確認する。
 しかし、それに対して葉留佳さんの答えは意外なものだった。

「――届いたとしても、出る気はないですよ?」
「え? それって――」
「私は、こうして理樹くんに色々気にされる方が幸せだし」

 そういって頭を掴む。

「私もね、理樹くんのことが好き。それは知ってるよね。お姉ちゃんもいっちゃってたし」
「うん、それは」
「私もね、お姉ちゃんと一緒。あんだけみんなに宣言されちゃったら我慢できないよ。みんなのことは大好きだけど、理樹くんのことはもっと好きだし」

 葉留佳さんの想いがどんどん打ち明けられていく。
 それはまぎれもない葉留佳さんの本心なのだろう。

「ねえ理樹くん、理樹くんはまだ誰が一番好きとかって決めたわけじゃないんだよね?」
「え、う、うん」
「じゃあ――」

 掴む力が強くなる。葉留佳さんは僕の顔を覗き込むようにしていった。

「私を選んでくれませんか?」

 それが冗談でないことは表情からあきらかだった。
 決心をした目、懇願する目。
 その目を見てしまったら、答えを返さざるを得ない目。
 しかし、答えなんて存在していなかった場合は何を返せばいい?
 一時して、僕は口を開いた。
 悩むに悩んで、出した結論。

「僕は――」



「見つけたわよ! 葉留佳!」



「二木さん!?」
「お姉ちゃん!?」

 答えを言い切る前に、穴の外から大きな声が聞こえてきたので思わず僕らは外をみやる。
 そこには、二木さんの姿が。

「どうしてここがわかったの?」
「双子だからよ」

 理由になってない気がするけど、妙に説得力があるのはどうしてだろうか。

「それは冗談として、前からこの辺で何か馬鹿やってるってのは知っていたわ。それで二人の姿が見当たらなかったからもしかしてと思ってね」

 二木さんが冗談を言ったことに少し驚いたけど、それ以上に二木さんの勘の鋭さに驚いていた。

「それより、肩車なんてしてないでここから早く出たらどうなの」
「い、いや僕も出たいのは山々なんだけど届かなくて。だからこうして肩車して届かないかなあと」

 そう、出られるならとっくの昔に脱出して逃げている。

「へーん、お姉ちゃんうらやましいからって。私たちは出られないからこうして仲良くしているのですよ」
「なっ……」

 手を顔まで持ってきて挑発している葉留佳さん。舌を出しているところを見るとあかんべーをしているのだろう。

「は、葉留佳さん挑発するのはやめようよ」
「そう、そういう理由ならこっちにも考えがあるわ……」

 二木さんが立ち上がった。
 もしかして、梯子か何かを取りにいってくれるのだろうか。

「えいっ!」
「――って二木さんも降りてきた!?」

 二木さんの取った行動、それは葉留佳さんと全く同じものだった。
 ちょっと違うのは、僕に向かってではないという点。きっと肩車していたからだろう。

「これでよし、と」
「これでよしじゃないよ! 何やってるの二木さん!?」
「降りる道具を取りにいく時間も惜しいと思ったのよ」
「いやいや! どうやって脱出するのさ!」
「……三人も行方不明が出たら捜索されるんじゃないかしら」
「何も考えてなかったの!?」

 何この葉留佳さん2号。
 いや、もしかしたら双子だから根底では似ているのかもしれないけど。

「そんなことより葉留佳、そこから降りなさい!」
「や、やだもん! せっかく理樹くんが私を支えてくれてるってのに」
「い、いや僕もそろそろ体力的にきついんだけど」

 そういや結構長い時間肩車している気がする。

「大体お姉ちゃんもお姉ちゃんですよ! 私のためとかいって結局自分が理樹くん狙うことにしちゃったじゃん!」
「自分の気持ちに素直になっただけよ。それとも、ひっそり寝取られる方がよかった?」
「お姉ちゃんを理樹くんが選ぶと思ってるの?」
「ええ、自分に素直になった以上は私を選ばせてみせるわ」
「うっわー、すごい自信! でも、でもでも、それだけは絶対ないのですよ!」
 
 僕の上と目の前でうるさく討論する姉妹。正直、これは止めようとしたら僕にまで被害が及ぶ。
 一体どうしたらと思っていると、ふと、佳奈多さんのポケットから変な人形のストラップが出ていることに気づいた。
 ストラップ……? そうだ! 携帯あったのすっかり忘れてた!
 僕は携帯を取り出し、真人に連絡する。現在の状況と、梯子を持ってきてほしいというお願いを。
 幸い、姉妹喧嘩に夢中になっている二人には気づかれていないようだ。
 しばらくして、二人の喧嘩声意外に外からがやがやと声が聞こえてきた。どうやらみんなが助けに来てくれたようだ。
……みんな?

「理樹くーん、助けにきたよー」
「わふー、ホントに穴におっこちてます」
「どうやら大変なことになっているようだな」
「穴…堕ちる……いいことを考え付きました」
「なんでみんなが来てるの!? 真人は!?」

 僕は真人に助けを頼んだはずだ。それなのにどうしてみんなで来ているのだろう。
 あと、西園さんの言葉にはつっこまない方が身のためだろう、なんとなくそんな予感がした。

「あたしが情報を盗み聞きしたのよ」
「そして真人は邪魔になりそうだから置いてきた」
「置いてきたって棗さん……あれは気絶させてきたの方が正しくなくて?」

 うわあ、なんかもう真人が不憫すぎる。僕は思わず黙祷した。
 そしてみんなが助けに来たにもかかわらず未だに口論を続けている二人。姉妹ってこういうものなんだろうか。

「あーもうあったまにきた! いーいお姉ちゃん! これだけはいっておくよ」
「あ、ち、ちょっと葉留佳さん……」

 葉留佳さんはもう一度僕の頭を強く抱いて、そして佳奈多さんに向かってこう宣言した。
 よりにもよってみんなが集まってきたときに、さらにこのいざこざをややこしくしてしまう、あの一言を。

「理樹くんは私のもの、なんだってば!」


つづく

あとがき
 だいーぶ間があいてしまいましたがお話を覚えている方はどのくらいいらっしゃるんでしょうか(汗
 よーやく続編が書けてほっとしているところです。次は誰を書こうかな……。
 リトバス人気も大分落ち着いてきましたが、最後まで続けられるよう気力を維持し続けたいものです。


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