最初は『好奇心』だった。
私は、彼とその仲間に興味をもった。だから私はその輪に参加した。
次に『好意』を持った。
こんな私でも仲間だと認めてくれる輪に。優しく受け止めてくれる彼に。
そしてとうとう『愛』を覚えた。
私を好きだといってくれた彼に対して。
その感情はひどく甘美で、麻薬のように抗いがたいものだった。
あきらめなければならない運命なのに、捨てなければならない感情なのに。
私はそれに反発した。
輪を裏切ってまで彼と一緒にいたいと思った。
結果――リセット。
輪によって生み出された世界が終わったあとも彼に私の記憶はなかった。
全てなかったことになったのだ。
私は全てをあきらめた。
自業自得、これほどふさわしい言葉もないだろう。
もしあのままことを続けていたら、今の、この幸せな結末はなかったのだから。
でもせめて、『仲間』として傍にいたいと思った。
もしかしたら、そう、ほんのわずかな可能性だが、彼がまた、私を選んでくれることを望んで――。
しかし、私はそれが過ちだと気づいた。
目の前で、私の好きな彼が別の女とキスをしようとしている。
胸に、痛みを覚えた。
あの世界で、彼はそれを何度もしていることを知っているのに。
私はそれに耐えられなかった。
そして、彼女たちの言葉。
『うんがー!! 理樹くん! 理樹くんはあたしと一緒になる約束してるんでしょ!?』
『直枝理樹はわたくしのもの、ですわ』
そのときに胸から湧き出る感情。
私は、気づいてしまった。
彼をあきらめきれないということに。まだ求めているということに。
それならば――。
私――来ヶ谷唯湖は行動を開始する、私のために。
例え同じ過ちを繰り返すことになろうとも、後悔はなかった。
「はあ……」
部屋の中で僕は大きなため息をついた。
というのも、ようやく今日という一日が終わるから。
思えばすごく長い一日だったように思う。
3年の始業式、まず僕はリトルバスターズのみんなと離れ離れになった。
そして代わりに一緒のクラスになったのが笹瀬川さん、二木さん、そして……転校してきたあやちゃん。
そのあやちゃんに呼び出され、告白された。
それだけならともかく、笹瀬川さんにまで告白された。
さらに二木さんも爆弾発言をしていた(葉留佳さんのものだとか)。
それだけでも一大事だというのに、リトルバスターズのみんなにもそのことがばれてしまった。笹瀬川さんの告白によってだ。
あの後は大変だった。
またあやちゃんと、そしてなぜか鈴が問い詰めてきたり、みんなの表情に陰りが見えたり。
葉留佳さんと来ヶ谷さんが妙に黙っていたり。
結局あのあとまともな練習ができるわけもなく、その日は自然に解散となった。
「おう、どうした。理樹」
真人が腕立て伏せをしながら僕のため息を聞いて話しかけてきた。
「ん、何でもないよ」
「そうか? まあ悩みがあるなら運動がいいぜ。運動が」
「野球はしてるんだけどね」
むしろ、今日は運動をしている最中に悩んでいた。
なんというか、集まる視線が重いのだ。
「まあ、元気出せよ。理樹が元気ないと、俺の筋肉も悲しくなるからな」
真人の筋肉は感情まで持っているのだろうか。
もしかしたら、真人が今かいている汗の何割かは、筋肉の涙なのかもしれない。
……想像して、何か気持悪くなった。
「よし。理樹にいいものやるぜ」
「え、何?」
真人のことだから、また何か筋肉関係だと思うのだが、何か気を紛らわせるものが欲しいのも本当だった。
がさがさと置いてあるビニール袋を漁ると、そこから袋を取り出す。
「ちょっと面白そうな飴があったからな。カップ麺のついでに、買ってきたぜ」
「へえ。なんか、珍しいね」
部屋には、(主に真人の)非常食としてカップ麺を置いている。
そのため、カップ麺の買出しは基本的に真人が行っているんだけど、普段はあまりお菓子は買ってこない。
別に真人がお菓子嫌いなわけではなく、単に真人がお菓子よりも主食を優先させているだけだ。それに、お菓子だったら小毬さんが定期的に皆に配ったりしているので、甘い物を食べる機会には困っていない。
……そういえば小毬さん、あんなにお菓子買って、平気なんだろうか。
「ほれ、理樹」
ひょい、と真人が僕に向けて、いくつか飴の小袋を投げる。
「ん、ありがと」
空中で少しばらけたものの、僕は落とすことなくすべてをキャッチした。野球をしてから、こういった反射神経はよくなったと思う。
手に取った小袋を見てみる。
そこには、楷書体で、小袋いっぱいにドンと字が書いていた。
『男梅』
「……少なくとも、甘くはなさそうだね」
「いいネーミングだろ?」
「音読みしたらオーラでも出せそうだよ」
真人が気に入ったのは、間違いなくこの名前なんだろうな。
それにしても、梅の飴は初めてだ。今までのところ、僕は甘い系統の飴しかなめたことがない。例外はハッカだろうか。子供のころ、リトルバスターズでお金を出し合ってドロップを買ったことがあったけど、ハッカは人気がなかった。
特に鈴がハッカを口に入れたときの暴れようはすごくて、『もうぜったいたべない』と宣言してたっけ。
そんなことを思いつつ、袋を破り、飴を口に入れる。
……これは、なかなか。
「どうだ、理樹?」
「……想像以上に、梅だね」
いや、男梅という名前から、もっと覚悟をしておくべきだったのかもしれない。
けど、僕は梅干をご飯なんかと一緒に食べるのは平気でも、単体で食べようとは思わない。
もちろん、飴として作られている以上、実際の梅よりは抑えられていると思うんだけど、僕の顔のパーツは、なんだか顔の中心に集まろうと蠢いていた。
「くぅー、この乳酸が吹き飛ぶ感じ。たまんねぇぜ。お前もそう思うだろ、理樹」
「いやいやいや、普通はそんな感覚わかりませんから」
まあ、乳酸が吹き飛んだかはわからないけど、とりあえずこの飴のおかげで、なんとなく気分転換にはなった。
真人には感謝しておこう。
こうして、夜も更けていく。
まだ寝るには早い時間ではあるが、疲れていた僕は布団へと入ると目を閉じた。
どすどすと音がしたが、真人が運動しているのだと思い、気にしないことにした。
夢。
夢を見ている。
放課後の教室。
誰もいない教室。
そこにいる僕。
そして、来ヶ谷さんの姿。
『…好きなんだ』
恥ずかしそうに片方の手を唇に当てながらの告白。
『恋してるって方の、好きだ』
僕は答える。そのとき持っていた気持ちで。
抱きつかれる。全てをその態度にこめているのだろう。
その体温が温かくて。そして、やわらかくて――。
「――え?」
夢なのに、この現実的な感覚はなんなのだろう。
意識が戻ってくる。
そして目の前には白と肌色のコントラスト。
「おや、起きてしまったか理樹君」
聞き覚えのある声。
顔を確認しようとして、大きな胸に阻まれる。
……やわらかい。
「ってそうじゃなくて、く、来ヶ谷さん?」
その声の持ち主、この胸の持ち主。
間違いなく来ヶ谷さんだった。
「そのとおりだよ」
「ど、どうしてここへ?」
ベッドの上、何故僕は胸元で抱きしめられているのか。
「なに、決まっている――夜這いさ」
「ええええええええ!!!!?」
その答えは単純明快かつとんでもないものだった。
「そ、そんなこの部屋には真人が……」
「彼には御退室願ったよ。まあ、少々手荒い形だったがね」
本当に少々なのだろうか。
さっきのどすどす音はそのときのものなのだろう。あのとき起きておけばよかった。
「というわけで邪魔者はいない。ゆっくりとこれから楽しむとしようか」
「楽しむってナニを!?」
「ふふ、それはもちろん、少年が想像しているようなことさ……」
僕が想像することって……ダメだ、エッチなことを考えたら負けな気がする。
でも、こういう状況ってすることってそういうことくらいしか思いつかないわけで。
思考がぐるぐると頭の中を駆け巡る。
その思考を中止させる来ヶ谷さんの行動。
さらに僕の頭を胸に抱き寄せた。
「ほら、理樹君も好きだろ。こういうことは」
やわらかい、あったかい。
なんかもうこの快楽に身を任せてしまいたいとさえ思う。
抵抗する気がなくなってくる。
「さあ、おねーさんと幸せな時間を過ごすとしよう」
「幸せな時間……」
それもいいかもしれない。
そう、感じた瞬間だった。
「あなたたち何をやっているの!!」
ドアが強く開かれる。二木さんの怒声。
「二木さん!? それにみんな!?」
後ろに続くリトルバスターズの面々。
「理樹! 助けに来たぞ!」
「ほわあ! ゆいちゃんが一緒に眠ってるー!」
「あ、姉御ー何やってんですか!?」
「わふー!? ダブルインベッドなのですー!」
「……不潔です」
「ま、まだ何もやってないよ!」
西園さんの発言にはさすがに僕もいいわけしておく。
「まだ!? 理樹くんはあたしというものがありながら何かするつもりだったの!」
「そうですわ! わたくしというものがありながら……」
しかしそれが墓穴を掘ったようで、あやちゃんや笹瀬川さんにさらに問い詰められる。
「え、あの、えっと……」
「ほう、そろっておでましとは。どうしてこのことがわかった?」
僕が答えあぐねていると、来ヶ谷さんが話題を別の方向へと持っていく。
このような状況なのに冷静に場を見る来ヶ谷さん。
これで会話の主役は来ヶ谷さんへと移った。
助かった、正直そう思った。
「ひとつは葉留佳があなたに連絡したのに、その返信がなかったことです」
「いやー姉御にちょっと聞いてもらいたいことがあったんですけど、反応がなかったのでどうしたのかなーって。普段なら起きている時間で、しかもへんてこなものだけどちゃんと返信する姉御がですよ」
「ふむ、なるほど」
なんだかんだで世話焼きな来ヶ谷さん。その普段との違いが疑惑を持たせたらしい。
「で、気になって姉御の部屋までいったんですけどノックしても反応がなくて、もし姉御が部屋の中で変な病気にかかって意識を失っていたらこりゃ大変だーと思って、寮長であるおねーちゃんに相談にいったのですよ」
「失礼ながら寮長権限で来ヶ谷さんの部屋を開けさせてもらいました。しかしあなたの姿はなかった」
「人の部屋を勝手に開けるのは感心しないな」
まるで推理小説のように過程を述べていく。
来ヶ谷さんも、追い詰められる立場だというのに極めて落ち着いていた。
「嫌な予感のした私はその不安を拭うべく、女子寮でいる可能性のある部屋を巡ったわ。でもあなたはいなかった。残った、あなたが存在しうる可能性のある場所はここしか考えられなかった。まさか嫌な予感の方が当たってしまうなんてね」
来ヶ谷さんの発言を流すようにして話を続ける二木さん。最後はやや自嘲気味に話した。
「ほう、しかし、ひとつはということはそれだけではないと」
「むっちゃんに教えてもらったんだよー。外に男の人が縛られてるって」
「そしたらそいつは馬鹿真人だった」
「亀甲縛りをする人……他に思いつきません」
真人亀甲縛りで放置されていたのか。
なんというか、ものすごくかわいそうに思う。
あと、むっちゃんって誰だろう?
「ふむ、捨てる場所を考えるべきだったな。もう少し人目がつかない場所にするべきだった」
「結果、ここに全員で来てしまったけど……これだけいれば、流石のあなたでも逃げるのは無理でしょう?」
確かに二木さんの言うとおり、ただでさえ来ヶ谷さんにとって手の出しづらいリトルバスターズの女子メンバー、それが全員そろっていたら正面突破は厳しいだろう。
「さあ、観念して理樹くんをこっちへ引渡しなさい。そしたらこのことは見なかったことにしてあげるわ!」
「成敗するのです!」
こちらが正義だと言わんばかりに主張するあやちゃんとクド。
「……嫌だといったら?」
「徹底抗戦あるのみ、ですわ」
それは笹瀬川さんの独断による発言だったが、誰も否定しなかった。
「来ヶ谷さん、貴方が何故このようなことを……」
二木さんが尋ねる。
二木さんでさえ、来ヶ谷さんがここまでの行動に出るとは想定していなかったのだろう。
「……その答えを言う前に、ひとつ尋ねるとしよう」
唯湖さんが上半身のみを起こす。
そして改めてみんながいる方を向いた。
「キミたちは、理樹君のことは好きか?」
単刀直入、直球ど真ん中の質問。
「ちょ、く、来ヶ谷さん?」
思わずうろたえる僕。
みんなが質問に答えようとする前に来ヶ谷さんは言葉を続ける。
「まあ、聞くまでもないことだろう。もちろん、私も好きだ。しかし……私は、自分からアプローチをしようとはしなかった。ひとつはこのチームが好きで、もう二度と壊したくなかったから。もうひとつは、理樹君自身が決めることだと思っていたから。もしかしたらそれは、みんなが思っていたことかもしれない」
来ヶ谷さんの言うこと、それはこれまでの自分、いや、みんなについてのこと。
「しかし、今日あった出来事、佐々美君に朱鷺戸女史の告白。それは自分たちが思っていたことをぶち壊す出来事だった。そう――」
「暗黙の了解は既にやぶられた。もう、黙って見ている時代は終わったのだよ」
その発言はこれからの来ヶ谷さん、そしてみんなへ向かっての言葉。
「な――」
二木さんの驚きの言葉。それ以上のものがでない。
みんなも同様だった。
それはつまり肯定、相手の言葉が正しいと認めているようなもの。
「え、えと、それって……」
僕に対してのことなのに、僕はいまいちそれを現実として受け止められない。
それだけ僕のこれからを揺るがす発言だと思ったから。
「なあに、簡単なことさ」
来ヶ谷さんは再び僕を抱き寄せる。
それは来ヶ谷さん自身がそうしたいと思ったのと、それをみんなに見せつけるため。
「私も宣言するとしよう」
この後の言葉。
それはみんなが予測がつくもの。
かつ、それは新たなる宣戦布告だった。
「理樹君は私のもの、だ」
つづく
あとがき
まず最初に、みんなの期待を裏切ってしまい申し訳ありません。
二木佳奈多希望の声が大きかったというのは重々承知していたのですが、そのためにはどうしてもこれを先に書かなければいけなかったんです。
まあつまり、これの次が佳奈多の出番ってことですn