僕は今、ただ立ち尽くしていた。
女性三人がにらみ合っているという、目の前の光景のすさまじさに。
どうすればいいんだろう、僕に何かできるのだろうか。
そのとき、この場にくもの糸、つまり救いの手が差し伸べられる。
それはメールの着信音だった。すぐに僕は携帯を取り出し確認する。
『野球をやろう(∵)』
メールは鈴からだった。どうやらあっちも授業が終わったらしい。
「あらあら、申し訳ありませんが、わたくしたち、用事が出来てしまったのでこの辺で失礼させていただきますわ」
同じく携帯電話を見ながら、どこか勝ち誇ったように言い放つ笹瀬川さん。
僕のところにメールが来るのだから、同じようにリトルバスターズのメンバーである笹瀬川さんに同じメールが来るのはごく自然なことで。
「用事って……またあの集まりかしら?」
「集まり?」
どうやら二木さんは用事が何なのか、大体察しがついているようだ。
一方でまだ転校してきたばかりのあやちゃんはよくわかっていない。
「あーうん、リトルバスターズっていう仲間たちの集まりがあってね。それでみんなで今野球をやっているんだ。んで、ついさっきそれに呼ばれたってわけ」
「リトルバスターズ? 野球?」
あやちゃんはリトルバスターズのことを知らない。
あやちゃんと遊んでいたのは僕の両親が生きていたころ、つまりみんなに会う前だったから。
「なんだかよくわからないけど……おもしろそうね、それ」
「あやちゃんも一緒に行く?」
「いいの?」
「うん、多分みんな快く迎えてくれるよ」
そう、リトルバスターズは誰でも暖かく迎えてくれる。
僕だって、新しく仲間になっていったみんなだって受け入れてくれたのだから。
「……直枝さんがおっしゃるなら仕方ありませんわね」
そういった傍ら、笹瀬川さんが不満そうにしている。まあ、さっきの件でいきなりというのは確かに無理があるか。
「まあまあ、仲良くしようよ。ね」
「わかってますわ、そのくらい」
「んじゃ、いこうか。みんなのところに」
「そうね、いきましょう」
僕、あやちゃん、笹瀬川さん、二木さんの4人で移動を始める。
と、途中であることに気がついて立ち止まった。
「……ん? あれ? 二木さんも?」
「何よ、私が来たらおかしい?」
「いや、別に……」
今まで二木さんが見に来るなんてことなかったから。
でもまあ、それをわざわざ言う必要はないか。せっかく来てくれるところに水をさす必要はない。
というわけで、4人でグラウンドまで移動した。
「――そういうわけで、こちらが新しくリトルバスターズに入りたいって言っている転校生の……」
「朱鷺戸あやよ。よろしくね」
あやちゃんをみんなに紹介する。
「よろしく…お願いします」
「よろしくねー」
「おっ、新顔か。よろしく頼むぜ」
「よろしく頼む」
「わふー、仲間が増えたのです」
みんな僕と笹瀬川さんが知らない女の子と二木さんを連れてきたのには驚いていたけど、すぐに新しい仲間だとわかるとみんながあいさつしたり、話しかけてくる。
「ふむ、これでまた理樹君の大奥に一人追加されたというわけか」
「変なこといわないでよ来ヶ谷さん!」
こういうとき相変わらず変なことを言ってくる来ヶ谷さんにつっこみを入れる。
「あれ、お姉ちゃんもここにいるってことは参加するの?」
「わ、私はしないわよ。直枝の大奥に参加なんて……」
「そっちじゃない、そっちじゃないよ二木さん!」
「ま、間違えただけよ! ……私は見ていることにするわ」
二木さんは参加こそしないものの、見学はしてくれるようだ。
一方であやちゃんには鈴が話しかけている。
「お前、野球できるのか」
「んー、ちゃんとやること自体は初めてだけど、これでも運動神経はいい方よ」
そういや小さいころ遊んだときもあやちゃんは運動できる方だった気がする。
もしかしなくても即戦力レベルなのではないだろうか。
「しかし……これで野球をする人数は十人だ、一人多いのではないか」
「あ、確かに」
謙吾に言われて気づく。
あやちゃんの運動能力にもよるけど、少なくとも一人補欠にしなくてはならない。
「恭介がいたときみたいに、鈴か笹瀬川さんのどちらかが控えになるってことでいいかな」
恭介がいたときはそうすることで人数の問題を解決していた。
なぜかというと鈴も笹瀬川さんもポジションが同じ投手だから。
「それではわたくしがスタメンで棗さんが控え、ですわね」
「いや、あたしがやる」
「わたくしの方がコントロール、そして総合的な能力は優れていますわ」
笹瀬川さんの言うとおり、ソフト部でエースだった笹瀬川さんは投手としての能力も然る事ながら、野手としても僕らより優れている。そして投手としては僕が望むコースにほぼ確実に投げてくれることからコントロールは確かに優れていた。
「あたしの方がおまえより色々投げれるし、足もはやいぞ!」
一方で鈴はというと、強力な速球とたくさんの変化球を持つ、こちらも優秀な投手だ。野手としても足が速いというのはかなり魅力的だった。
そう、どっちも控えにするには惜しい能力だった。
「まあほら、控えじゃなくて他の守備についてもらうって可能性も……」
「わたくしは投手がやりたいのですわ」「あたしはピッチャーがやりたいんだ!」
僕の意見は却下された。どうやら二人とも投手にこだわりがあるようだ。
「こうなったら棗さん、勝負ですわ!」
「望むところだ!」
そして二人で勝手に勝負で決めるという話になってしまった。
「ち、ちょっと、二人とも」
「いいんじゃないか、こーいうのは気のすむまで戦った方がすっきりするってもんだぜ」
「……そ、そうなのかなあ」
多分真人の頭の中では朝日をバックに殴り合っている光景が流れているのかもしれないけど、そんな単純なことで解決するのだろうか。
「いいですわね棗さん、ルールは簡単、わたくしが三振する前に一球でもヒットを打てばわたくしの勝ち。三振したら棗さんの勝ちですわ」
「わかった」
鈴はピッチャーマウンドに立ち、笹瀬川さんはバッターボックスへと入る。
他のみんなはそれぞれの守備位置についている。僕はもちろんキャッチャーとしての位置にいた。
まずは第一球、いきなりライジングニャットボールを投げるようだ。
ライジングニャットボールといえば初めての野球による勝負で、笹瀬川さんからストライクを取ったボールである。その背景もあっての選択だろう。
振りかぶって、僕のミットを目掛け、ボールを投げる――。
「この球は通じませんわ!」
すごいスピードでやってきたボールは笹瀬川さんのバットへ吸い込まれる。
「なにっ!?」
バットから離れた球は高く、遠くへと飛んでいく。
しかし、早目に振りすぎたのかボールはレフトのファール方向へと飛んで行く。
「マジかよ……あの球打ちやがった」
ファーストを守っている真人が驚きの声をあげる。
「予想していたよりも遅かったようですわね」
レフトへ飛ぶということは打者が想定していたよりも遅かったということだ。
おそらく笹瀬川さんもあの後さらに特訓を重ねていたのだろう。
ファール方向へと飛んでいった球はそのまま落下していき――
あやちゃんのミットへと納まった。
「へ?」
唖然とする僕。
確かにあやちゃんにはレフト側を守らせていた。本人たっての希望で。
しかし、ファールボールをキャッチするだけの反射神経と速度を持っているとは。
「――とっ、これでいいのよね」
運動神経はあるということを自負するだけのことはあるらしい。
「う、うん。すごいよ!」
「わふー、すごいです朱鷺戸さん」
「すごいすごーい」
もちろん僕だけでなくみんなも褒める。
まあ初参加でここまでのすごさを見せられたら誰だってそうなるだろう。
「……つ、次行きますわよ!」
「……そ、そうだな!」
逆に不満げなのが笹瀬川さんと鈴だ。だってこれは二人の勝負なのに一人のスーパープレイに水をさされたという形になってしまったのだから。
気をとりなおして、二人が集中する。
鈴が少しあせっているのが遠くで見てわかった。
何せあのライジングニャットボールを打たれたのだ。
しかし、鈴は変化球で勝負しようとはしないだろう。と、すれば次の球はあれしかない。
鈴が振りかぶり、そして、投げる。
「なっ――!」
ライジングニャットボールを超える球、真・ライジングニャットボールを。
その速度はライジングニャットボールを超える。ライジングニャットボールを打った笹瀬川さんでもさらに速度が上がった真・ライジングニャットボールは見切れなかったようだ。
むなしくバットが空を切った。
ボールはミットへと収まっている。空振りだ。
「まさかこんな球を持っていらしたなんて――次は打ちますわ」
「次も、打たせない。あたしが勝つんだ」
お互いがさらなる闘志を燃やす。おそらく次で勝負が決まるのだから。
おそらく鈴は次も真・ライジングニャットボールで来るだろう。
鈴も、笹瀬川さんもにらみ合っている。
そして、ついに鈴が振りかぶった。
笹瀬川さんもそれに対し構える。
そして、鈴が思いっきり投げた――。
「――くっ!!」
鈴が投げた真・ライジングニャットボールに対して思い切りスイングする笹瀬川さん。
しかし、バットが上の方を掠めたボールは軌道上地上のホームベースへとぶつかり、そのまま高く舞い上がる。
「ボールは! ボールはどこにいきましたの!?」
その軌道ゆえにボールの位置を特定できない笹瀬川さんは、バッターボックス上で必死にボールを探している。
僕はそのボールを取ろうとするが笹瀬川さんが邪魔で位置を取ることができない。
「さ、笹瀬川さん危ないからどいて!!」
「危ないってどういうことですの?」
「上! 上!」
「上って――はうっ!?」
僕がボールの位置を伝えたときは既に手遅れだった。
上空から落ちてきたボールはもの見事に笹瀬川さんの額にヒットする。
そのまま笹瀬川さんは崩れ落ちるように倒れてしまった。
「笹瀬川さん!?」
「だ、大丈夫か!?」
僕と鈴が笹瀬川さんの方へ駆け寄る。どうやら気絶しているようだ。
「どうしたんだ?」
「わわっ! 大変なことになってるよ!」
「みんな落ち着きなさい! こんなとき慌てたってしょうがないわ」
「濡らしたタオルを持ってきました。これをぶつけたところに当ててください」
場を二木さんが沈静化させ、西園さんがすぐに対処する。
冷静な人がいるというのは正直助かる、本来なら僕がやらなきゃいけない役目なんだろうけど。ダメだなあ、恭介ならすぐにみんなをうまく指示するだろうに。
「とりあえず、僕が保健室に連れて行くから。みんなは野球続けておいて」
「でも――」
「ほら、人数多いと迷惑になっちゃうしね」
とにかく、僕は自分の出来ることをやろうと思い、みんなにそう伝えた。
笹瀬川さんを背中におぶる。恭介よりはずっと軽いからなんとかなりそうだ。
「それじゃあ、すぐ戻るから」
そういって、僕は保健室へと向かった。
保健室には先生がいて、事情を説明するとベッドを貸してくれた。
ベッドへと背負っていた笹瀬川さんをおろし、布団をかける。
ボールが当たった部分にはこぶができてはいたものの、すばやく冷やしたりなどしたためそこまでひどくはなっていなかった。
「ん……」
笹瀬川さんが目を覚ます。
「あ、気づいたようだね」
「わたくし……気絶してましたのね」
さっきのことを思い出しているようだ。
心なしか表情が暗い。
「わたくしとしたことが、球をおいかけきれないなんて……」
「いやいや、流石にあれは無理だよ」
多分プロだってあれを目で追うのは難しいと思う。
「それより、頭の方は大丈夫?」
「ええ、少しズキズキしますけど……気にするほどのものじゃございませんわ」
「ごめんね、僕がもう少し早く伝えていれば……」
そう、僕がもう少し早くボールのことを伝えていたらこんなことにはならなかったのだ。
「いいですわ。お気になさらなくても」
「でも……」
「あなたは……やさしすぎるのが欠点ですわ。他人のミスまで受け止める必要はありませんのよ」
「ははっ、逆になぐさめられちゃったね」
なんという本末転倒なのだろう。
「まあ、だからこそあなたの元に自然と人が集まるのでしょうけど……困るくらいに」
「ん? どうかした」
「なんでもありませんわ」
小声で何か言っていたためあまりよく聞き取れなかった。
どうしたんだろう、少し顔を赤くしているけど。
「ところでさ、やっぱりピッチャーをやりたい?」
「どうしたんですの突然」
「いや、笹瀬川さんがさっきあんなに必死になってたからさ」
「決まっていますわ。わたくしのプライドが許しませんもの」
プライド、それは鈴に負けたくない、ソフトボール部ではエースといった、そういったものから来ているのだろう。
それは笹瀬川さんにとってはゆずれない一線なのかもしれない。
「それに、直枝さんの恋女房はわたくしですもの」
「ははっ、確かにさっきそう伝えちゃったしね」
「――できることなら、野球以外でも」
「……えっ?」
時が止まったかのような感覚を受ける。
僕が笹瀬川さんの方を振り向くと、笹瀬川さんも僕をうるんだ瞳で見つめていた。
「さ、笹瀬川さん?」
「直枝さん――」
明らかにおかしい空気になっている。
その空気は、笹瀬川さんをいつもよりかわいく見せた。
それに惹きつかれるように体が自然と笹瀬川さんの方へと向かう。
お互いの距離が近づいてゆく。少しずつ、少しずつ。
笹瀬川さんが目を閉じた。これはつまり、そういうことなんだろう。
引き寄せられるまま、僕は顔を近づけ、そして――。
「こらー! 何やってんだおまえらー!!」
鈴の怒声にはっと我に返った。
「あ、あれ? 鈴!? それにみんなも」
「いやーすまねえな、理樹」
「さーちゃんのことが心配でみんなで来ちゃったんだよ。そしたら……」
「いやードキドキしちゃいましたよ」
「……不潔ね、直枝理樹」
みんなが口々にはやしたててくる。
途端に恥ずかしくなってきて顔が熱くなっているのがわかった。
「うんがー!! 理樹くん! 理樹くんはあたしと一緒になる約束してるんでしょ!?」
「あ、あやちゃんそれは……」
「なにぃ!? どういうことだ理樹!」
そして火に油をそそぐかのようにあやちゃんがとんでもない発言をしてくる。
「い、いやそれはね、小さい頃の約束で――」
「ほう。朱鷺戸はおまえの幼馴染だったのか」
「あ、そうなんだよ謙吾」
「き、強敵出現です、いっつあすとろんぐらいばる」
状況がてんやわんやになる。普段なら口をはさんでさらに状況をおかしくする来ヶ谷さんが遠巻きに見ているのがせめてもの救いだろうか。
「ええい、うるさいですわみなさん!」
それを鎮める笹瀬川さんの一喝。
途端に騒ぎが収まった。
それ自体はうれしく思う。でも――。
「いい、よろしくて?」
僕はなんとなく理解していた。
それは多分、さらなる混沌を招く前の嵐の前の静けさにすぎないことを。
そしてまもなく、嵐を呼び起こす一言が起きることを。
そしてそれを証明するかのように、笹瀬川さんの一言は、僕らを戦慄させるものだった。
「直枝理樹はわたくしのもの、ですわ」
つづく?
あとがき
つづいちゃいました。
と、いうのも前回の『理樹くんはあたしのもの』が予想以上の人気がありまして、Web拍手もコメントも結構いただいちゃったんで、ああこれは続けないとと。
多人数を動かすのは大変ですけど、こういう作品は書いてて楽しいので好評なようならまたすぐにでも続き書こうと思います。こうやって他の作品がおろそかになるんだn(ぉ