巡り巡って。
ようやくたどり着く答えがある。
回り道をして。
何とか見えてくるものがある。
それを余計な寄り道と感じる人もいるけれど。
その寄り道が、大切な思い出になったりもする。
そして、彼らは。
想い巡らし心をつなぐ。
『想い、巡らし』 第五話
翌日。
朋也は十分な睡眠をとって通学路を歩いていた。
「ふわ……」
かみ殺しているあくびは、寝すぎて眠いという類のものである。
ぼーっと頭を空っぽにして、春の陽気の中を歩く。睡眠はたっぷりとったはずだったが、このまま教室につけばいつもどおり寝てすごせそうであった。
(いやいや……今日はやることがあるんだ……寝過ごさないようにしないと……)
心の声で自分を叱咤しつつ、朋也は昨日の出来事を思い出していた。
予想外の連続告白で混乱しきっていた朋也は、ことみの告白を受けた後に程なくして帰路についた。
校舎を通って教室で荷物をとり、家に到着するまで三人はおろか知り合いにもあわずにすんだのは幸運というべきであった。何しろ昨日はまともな状態ではなかったのだ。
家に到着すれば後は春原の部屋に行くのがいつものパターンだったが、朋也は昨日に引き続き春原のところに行く気にはなれなかった。それよりもむしろやりたいことがあったのだ。
それは至極単純なことで、寝ることだった。
ただでさえ寝不足で疲労が溜まっていた朋也は、告白について悩みすぎてオーバーヒートした頭で、ひとつの結論を得ていた。
すなわち、「考えても分からない」だ。
結論に至るまでの手がかりすら見つからない状況で、朋也は綺麗さっぱり考えることをやめた。普段酷使されたことなどない頭ももはや限界で、思考を放棄したのである。
普通に考えれば、現在の状況など起こるはずがない。だから何かがあったはずだが、何かは分からない。わからなければ聞けばいいじゃないか、ということなのだ。
そうやって開き直った途端に睡魔が襲い掛かり、思考が空っぽな頭は何も考えずにただただその本能に従い、夕食もとらずに一晩中眠りこける結果になった。
そういった出来事を経てきたため、朋也は昨日の事情を聞きだすべく三人の姿を探していたのである。
(お、いたいた)
やはりというべきか、桜の木の下には智代がいた。すでに散っている桜を毎日見ているのは、桜に特別な思いがあるからだろうな、と朋也は思う。そういった目で見てみると、その姿はぼんやりと桜を見上げるものではなく、なにか決意を持って見上げているように感じる。
そして、目標を見つけると眠気が退散する代わりに、気力が充実してくるのを感じた。それは、ここ数年感じていなかったものである。悩みぬいた反動なのか、躁のような状態だ。
「おーい、智代」
「ん、岡崎か。おはよう」
智代はさわやかな笑顔で、朋也へと挨拶をする。朋也もさわやかに返事をして、早速本題に入った。
「今日の放課後、少し時間あるか?」
「ん? 選挙がらみで明日からは本格的に忙しくなるが、今日ならばまだ大丈夫だ」
「そっか、よかった。じゃあ、放課後になったら……そうだな、一階の西階段あたりで待っていてくれないか?」
智代は、朋也の言葉にきょとん、とした顔をした。
「ああ、別にかまわない。何かあるのか?」
「ある。非常に重要な用件だ」
朋也の真剣な表情に、智代の胸が一瞬高鳴る。
「そ、そうか。分かった、必ず行こう」
落ち着け落ち着けと智代が自分に言い聞かせながら答える。
「よかった。じゃあ、放課後な」
朋也は智代のそんな様子には気付かず、了解の返事を受けたことに満足ながら、校舎へと歩き出す。
智代はボーっと、校舎の中へと吸い込まれて見えなくなるまで、朋也の後姿を見ていた。
× × ×
こんこん、と朋也は扉をノックする。
中から入出の許可をもらうと、朋也は片手を挙げて挨拶をした。
「よう、ことみ、宮沢。お邪魔するぞ」
「朋也くん、こんにちは」
「はい、いらっしゃいませー」
ここは、昼休みの資料室である。今現在部屋の中にいるのは、ことみと有紀寧の二人だけだ。春原がいないのは、今日さぼりであるためである。
いつものように飲み物を用意しようと有紀寧が立ち上がる。代わりというわけではないが、朋也が席に着いた。
「ことみ、ちょっと話があるんだけど、今日の放課後あいてるか?」
「うん、大丈夫。でも、放課後?」
ことみが小首をかしげる。それに対し、朋也はうなずいた。
「ああ、昼休みじゃ時間が足りないかもしれないからな」
「……大事なお話なの?」
「ああ、そうだ。少なくとも、俺にとってはな」
はっきりとした朋也の言葉。その朋也のいつもとは違う雰囲気に、ことみは少し驚いていた。けれど、それは決して不快なものではない。
「うん、わかった。どこに行けばいいの?」
「そうだな……ことみは教室に残っていてくれ。俺から迎えに行く」
「じゃあ、待ってる」
そう約束が交わされたところで、有紀寧がコーヒーを差し出してきた。
「はい、どうぞ」
「ああ、サンキュ。……ん?」
コーヒーを一口飲んでおいたところで、朋也は有紀寧のひざ小僧に絆創膏が張られていることに気がついた。
「宮沢、転びでもしたのか?」
「あ、や、これはそのう……昨日、ちょっと転んでしまいました」
「へえ。なんか意外だな。大丈夫か?」
「はい。心配してくれてありがとうございます」
「いや、宮沢には何かと世話になっているからな」
そうして、朋也はコーヒーを飲み干す。
カップを置いたところを見計らって、ことみが袖をくいくいと引っ張った。
「ん、どうした?」
「朋也くん、私が転んでも心配してくれる?」
「ん? そりゃまあな」
「そっか……」
それだけいうと、ことみは朋也から視線をはずす。
朋也の位置からは見えないが、今のことみの顔は笑顔――しかも、にやけているという類の笑顔だった。
ことみの様子に、朋也はおかしなやつだな、とだけ思うと腰を上げた。
「それじゃ、ご馳走様」
「朋也くん、もういっちゃうの?」
「そうですよ、朋也さん。ゆっくりしていってください」
「いや、気持ちはありがたいが、ちょっとこれからまた用事があってな。それじゃ」
そうして、朋也は資料室を後にした。
× × ×
続いて朋也がやってきたのは演劇部の部室である。
探しているのは、もちろん渚だ。クラスを覗いても中庭を覗いても見当たらなかったため、ここまできたのである。
どうやらあたりだったらしく、中からは朗々とした声が聞こえる。
ひとつ息を吐き、朋也は軽くノックをした。
「……はっ、はいっ」
中から、驚いた返事が返ってくる。
「古河、俺だ。はいるぞ」
入室の意思をつげ、朋也はドアを開けた。
「あ、岡崎さん、こんにちは」
「おう、こんにちは。悪いな、邪魔して」
「いえ、そんなことはないです。岡崎さんでしたら、いつでも歓迎です」
そうして、渚は朋也に笑顔を向ける。
「あー、それでだな、今日はちょっと話があってきたんだ」
「話、ですか? どんなことでしょう」
「それがだな、結構長くなるんで、出来れば放課後に話をしたいんだが、大丈夫か?」
問われた渚は、まず教室付きの時計へと目をやる。
確かに昼休みの残り時間は、すでに心もとなかった。
「はい、大丈夫です」
「そうか、よかった。じゃあ、教室で待っていてくれ。迎えに行くから」
「わかりました」
これで全員か、と、約束を取り付けた朋也は安堵の息をついた。
と、そこで渚のひざに張られている絆創膏に気付く。これは昨日から貼られていたのだが、昨日は気付くどころではなかったのだ。
「ん、古河、転んだのか?」
「え? あ、これですか」
朋也が絆創膏を指差すと、渚は合点がいったとうなずく。
「一昨日、あわてて走っていたら転んでしまいました」
「そうか……平気なのか?」
「はい。もう大丈夫です」
擦り傷以外の意味、そのときに走っていた理由も含めて、ともに大丈夫だと、言葉には出さずに渚は答えた。
「それにしても、昼休みまで練習しているのか。張り切ってるな」
「はい。坂上さんも、ことみちゃんも、がんばっていますから。わたしだけ何もしないわけにはいかないです」
「そう、だな。皆がんばっているよな」
智代はまだ本格的に忙しくはなっていないものの、迫りつつある生徒会の選挙で色々とあるようだったし、ことみは人見知りを克服しようとして努力している。渚もこうして、演劇の練習に熱を上げている。
ああ、それで自分も影響受けてるのかな、と朋也は自分の精神状態について思い至った。
「さて、それじゃあ俺はそろそろ戻るよ」
「わかりました。では、放課後待っています」
手をあげ、朋也は演劇部の部室を後にする。
かくして、舞台は整ったのであった。
× × ×
帰りのHRが終了し、放課後となった。
朋也は結局一日中空席だった隣の席に一瞥をくれると、まずは渚の教室へと向かう。
廊下を歩いていると、教室前で待っていた渚が朋也の姿を発見し、ぺこりと頭を下げた。
「よう。もしかして待たせたか?」
「いえ、うちのクラスも今終わったところですから」
まるでこれからデートでもしそうな会話であったが、当人たちはどこ吹く風という感じで気にせず歩き出す。
「これからどこに行くんですか?」
「ん、とりあえずはA組だな」
「A組?」
「ああ、詳しいことは後でまとめて説明する」
二人が会話をしているうちに、すぐにA組の前に到着する。
A組はまだHRらしく、ドアは閉まっていた。
とはいえ、クラスごとにそれほど極端な差は出ない。ほどなくドアは開き、がやがやと騒がしく生徒たちが出てくる。
朋也はある程度人の波が薄れたころを見計らって、教室の中を覗き込んだ。
「お、いたいた。おーい、ことみ」
廊下からさほど席が離れていなかったこともあり、朋也が軽く呼びかけるだけでことみが気付く。
荷物はすでにまとめてあったようで、鞄を持ってうれしそうに朋也の元へと駆け寄ってきた。
「朋也くん、お待たせ」
「いや、大丈夫だ。こっちもさっき終わったところだったからな」
朋也と声を交わしてことみが廊下に出ると、ドアのそばに立っていた渚と目が合うことになった。
「こんにちは、ことみちゃん」
「こんにちは、渚ちゃん」
お互いに礼儀正しく挨拶をしながら、二人ははて、どういうことだろうと首をかしげる思いだった。
朋也の話というのは、自分と朋也だけの話ではないのだろうか、と。
「よし。じゃあ二人とも、次に行くぞ」
しかし、朋也の言うとおりについていけば分かることと判断し、そのままついていくことにした。
廊下の端まで歩くと階段を下り、そのまま一階にたどり着く。すると、顔を上げる人物がいた。
「岡崎……と古河と、一ノ瀬」
「よう、智代」
「坂上さん、こんにちは」
「智代ちゃん、こんにちは」
「ああ、こんにちは」
あらかじめ知っていた朋也と、もしかしたらと半ば予想していた渚とことみはよどみなく挨拶をする。対する智代は、少し困惑しつつ挨拶を返した。
しかし、予想していた渚とことみにしても、なぜ三人が集められたのか、どんな話があるのかについては分かっていない。
時折、渚はことみを、ことみは智代を、智代は渚をそれぞれ様子を伺うように見ながら、朋也に対して説明を求める視線を送る。
それに対して、朋也はひとつうなずいた。
「それじゃあ、中庭にでるか。そこで明らかにしようぜ」
× × ×
ここ数日間。中庭では本当に色々なことがあったと、それぞれが思い起こしていた。
一緒に食事をしたこと。抱き合ったこと。それを目撃したこと。話し合ったこと。告白したこと。どれもこれも鮮烈だが、中でも告白はあまりにも強烈な思い出だ。
そのため、朋也が昨日の告白の現場で足を止めたとき、全員の脳裏には昨日の告白のことが占拠していた。そして、漠然とした不安を抱いていた。
それも当然である。いくら気持ちの整理がついたからといっても、昨日の今日だ。意味ありげに集められてつれてこられれば、何事かと思ってしまう。
「さて……」
朋也は一言で言葉を区切り、三人を見回した。
「一応確認しておきたいんだが、三人は、ここで昨日何があったのか、それぞれ知っているのか?」
これは、朋也が考えを放棄するまでに得た手がかりの一つであった。
昨日のやり取りの中で、智代の口からは渚の名前が、渚からはことみの名前が、ことみからは智代と渚の名前が出てきた。さらに言えば渚はことみを呼んでくるといって朋也の前から立ち去ったのであるし、ことみも渚から話を聞いていた。さらに智代とも話をしていたという点から、あるいは三人で話をしたのではないか、と考えたのである。
そして、その考えは的中していた。朋也の問いかけに対し、三人ともがうなずいたのである。
「そうか……」
朋也は一息ついた。まだどういった経緯で事態が引き起こされたのかは謎であったが、とりあえず第一歩を踏み出すことには成功したと感じていたのである。
しかし、ここで安心するわけにはいかなかった。ただ知っているというだけでは、何か妙な勘違いがないとも限らない。そのため、朋也はまず一番近くにいたことみに目を向けた。
「それじゃあ、出来ればそれぞれ詳しいことを聞かせてくれないか? 正直なところ、昨日のことに関しては少しよく分からないところがあって、すっきりしなくてさ」
「え、と……」
自分の判断で話していいものかどうか、という思いで、ことみは智代と渚を見つめる。
「私ならかまわないぞ。この場にいるものは皆知っているんだ、いまさら隠すようなことでもない」
「わたしもそう思います。岡崎さんが何か気になることがあるというなら、聞く権利があると思います」
二人の了解を得ると、ことみはうなずいて、朋也に向き直った。
「まず昨日の放課後は、朋也くんを探していたら、会ったのが渚ちゃん。そこで、朋也くんと智代ちゃんのことについて話していたら、渚ちゃんが朋也くんのことを捜してくるって言ったの」
早速か、と朋也は思った。
話のはじめから二人の名前が出てくるということは、やはり今回の件に関して三人は密接な関係にあったのだと判断できる。智代とのこと、という話の内容も気になる。だが、とりあえずは先に最後まで話を聞こうと、口を挟むことはせず、うなずいた。
「それから渚ちゃんと朋也くんを探して歩いていたら、智代ちゃんと会って。そこで、智代ちゃんが朋也くんに告白したってことを聞いたの」
告白、という言葉を聞いて、朋也はにわかに恥ずかしくなりそうなのを自制した。
「それで、智代ちゃんとお話してたら、渚ちゃんが来たから。三人で少しお話して、それから、朋也くんのところ……」
朋也の名前が出てきたところで、ことみが少しうつむく。さすがに恥ずかしい、ということだろう。朋也も、それから智代と渚もそれに触発されて多少顔を赤くしていたが、「そこは省略していいから」という朋也の言葉に、ことみは続きを話し始めた。
「後はそのまま帰ったの。昨日の放課後は、これでおしまい」
「なるほど。ありがとうな」
朋也の言葉がうれしかったのか、ことみの顔が華やぐ。
その話と様子から、渚はよかった、とひそかに安堵していた。そのまま帰った、ということは、二人の間には亀裂も入ることなく仲むつまじく帰った、ということだと判断できる。朋也が何を気にしているのかは分からなかったが、ことみとの仲がいいのであれば、何も問題はない。
そして、朋也が次に目を向けたのはそんな渚であった。
「それじゃあ、古河。頼めるか?」
「は、はい」
渚はすーはーと息を整えると、話し始めた。
「ことみちゃんが言ったとおり、放課後はまずことみちゃんとお話しました。それから岡崎さんを探しに中庭にいきました。そこで、その……」
渚が、言いにくそうにしていることで、朋也はもしかして、と思うことがあった。
「坂上さんと岡崎さんが、ここでお話しているのを聞いてしまいました……」
ああ、やっぱり。
朋也はなんとなくうなだれたい気分になったが何とか持ち直し、続きを促した。これは、自分の知らない事実なのだ。
「それで、すぐにどこかへ行こうと思ったんですけど、その前に坂上さんが出てきて、少しお話しました。あとは、わたしも岡崎さんに……」
「あ、ああ、そこはいい。その後のことを頼む」
やはり声がしぼんでしまう渚に、朋也は声をかける。
事情を知っているものだけがいるといっても、やはり恥ずかしかったのだろう、渚はほっとした顔になると、後の言葉を続けた。
「それから後は、ことみちゃんも言いましたが、三人で少しお話しました。ことみちゃんが岡崎さんのところに行ってからは、坂上さんと少しお話をしてから別れ、わたしも帰りました」
「なるほど……分かった。ありがとうな」
朋也の言葉に、渚も控えめながらうれしそうな顔をする。
その様子を見て、智代はおや、瞬間的に意外に感じたことを打ち消した。てっきり渚は、昨日は朋也と一緒に帰ったものだとばかり思っていたのだ。それが一人で帰ったということには驚いたが、別に二人の中に問題があったわけではないらしい、と胸をなでおろす。
そして、朋也の目が向けられるのは、当然ながら最後に残った智代だった。
「それじゃあ智代。話してくれ」
「ああ。といっても、ほとんど二人の話で出てしまっているから、私が話すことはほとんどないが」
そう前置きすると、さすが智代というべきか、よどみのない口調で話し出した。
「まず、告白の直接的な引き金になったのは、やはり昨日の5時間目の終了時に下駄箱に入っていた、あの手紙だ」
ああ、そういえば、春原のやつが手紙を出したんだったか、でもなんで春原の手紙がきっかけなんだ、という朋也の思考は、意外な声によってさえぎられた。
「……え?」
声を出したのは、ことみであった。なにか、どう考えてもつじつまの合わない難問に直面したかのように、顔に疑問が浮かんでいる。
「どうした、一ノ瀬?」
その反応に、智代もいぶかしげにたずねる。
「智代ちゃんが告白したのって、一昨日じゃないの?」
「……? いや、間違いなく昨日だが……というか、昨日話しただろう?」
「だ、だって」
いっそう首をかしげる智代に、ことみはあわてて告げた。
「智代ちゃんは、一昨日に朋也くんに告白して付き合ってるって……」
「「「えっ?」」」
疑問の声は、ことみを除く三人からいっせいにあがった。
さすがに自信がなくなったのか、ことみがおずおずと問う。
「……違うの?」
「……一ノ瀬が、なぜそう思ったのかは正直まったく分からないんだが……私は岡崎と付き合ってはいない。なにしろ、岡崎と付き合っている古河が、ここにいるんだからな」
「「ええっ!?」」
疑問よりも先に驚きを含んだ声を思わず上げたのは、渚と朋也だ。
「……なぜ驚く?」
不可解、という思いのままに、智代は二人を見つめる。
その二人はといえば、驚きから口をパクパクと動かすだけで、なかなか声が出てこなかった。
それでも、何とか復活した渚が、ことみを見つめて訂正を行う。
「あ、あのっ、わたしは岡崎さんと付き合っていません。もちろん、そう出来たらうれしいですけど……でも、岡崎さんと付き合っているのは、ことみちゃんですよね?」
すがるように渚がことみを見つめる。しかし、ことみは小さく横に首を振った。
「ううん、残念だけど、私も朋也くんとは付き合ってないの。……あれ?」
ここに来て、三人の間を話が一周した。
「どういうこと?」
「どういうことなんだ?」
「どういうことなんですか?」
このままでは埒が明かないと判断したのか、三人はこぞって朋也に視線を向けた。
それに対し、朋也はようやく精神を復活させ、何とか呼吸を整える。
とはいえ、どういうことかなんてこっちが聞きたい、という思いでいっぱいであった。当初の予定では三人から詳しい話を聞いていって経緯を探ろうとしたのだが、もはや二歩目で完全に躓いて、あさっての方向に向かっている。しかも、性質の悪いことに誰一人状況を正確に把握していないらしい。
自分は何かとてつもなく危険なものの安全ピンを抜いてしまったのではないか、と事ここにいたってようやく思ったが、それも今さらだ。こうなってしまった以上、全員で真実を知る動きになるのは確実である。
とてつもなく大事になりそうな予感を抱きながら、半ばやけくそになった思いで朋也は自分の真実を告げた。
「俺、誰とも付き合ってないんだけど……」
「……」
「……」
「……」
沈黙のみが返ってくる。
そして、たっぷり二十秒は時間をおいた後、最大級の驚愕の声が中庭に響いたのであった。
「ど、どういうこと? だって、朋也くんは智代ちゃんと付き合ってるって聞いたの」
「聞いたって、誰にだ?」
「えっと、陽平君に。昨日の昼休みに、資料室で」
「……なるほど、春原か……」
朋也は、先日春原が授業中に振ってきた話題を思い出した。あの時に智代と付き合っていることは誤解だといっておいたはずだったが、それを信じずことみに吹き込んだのか、と納得する。
それにしても、間の悪いものだった。ちょうど朋也を介さずに有紀寧と接触させるため、ことみと距離を置こうとしていた時に、春原がそんな話題に興味を持っていたとは。そうでなければ、このような誤解は発生しなかっただろう。
「あれは春原の馬鹿が勝手にそう解釈しただけだ」
「そ、そうだったんだ……」
朋也の言葉に、ことみが呆然としながらも、わずかに安堵が含まれた顔をする。
次に疑問を投げかけてきたのは渚だ。
「あ、では中庭でことみちゃんと抱き合っていたのは……」
「う゛っ……そういえば、まだそのことについていってなかったんだったな。一応、古河が見た段階では単なるアクシデントで、ことみが転びそうになったのを受け止めただけなんだが……」
その後のことがあるので、今度は朋也も少々歯切れが悪い。しかし、ことみに対する気持ちというのも未だ定まっていない所為で、そういうしかなかった。
「そう、でしたか」
完全に納得したわけではないようだったが、それでも渚はほっとしたようだった。
「だが、私は岡崎の口から直接聞いたぞ?」
はっきりと疑問を抱いているのは、智代だった。
「直接聞いたって……どういうことだ?」
「だから、岡崎と古河が恋人同士だということをだ」
「いや、そういわれてもな……」
回想してみるが、思い当たる節はない。なにしろ、朋也自身にそういった認識がまったくなかったのだ。思い当たることなどあるはずもない。
「ほら、古河と私が桜の下で初めて会ったときがあっただろう」
「ああ、それは覚えてる」
つい先日のことである。全ての会話とは言わないが、大体のことは思い出せた。
「その時、岡崎ははっきりといっていたじゃないか」
「いや、だから覚えがないんだよ。詳しく会話を言ってくれないか?」
ほとほと困り果て、朋也はそう促す。
「わかった。では、私が岡崎の腕を取って古河のところから離れただろう?」
「ああ、そうだったな」
「そして私は、古河がお前の親戚かと尋ねたんだ」
「ああ」
朋也もそれにうなずく。あの時は、なぜそんなことを聞くのかと不思議に思った記憶があった。
「次に、クラスメートかと聞いた」
「そうだな。それで、違うと答えたら、今度は一緒に登校してきたのか聞かれたな」
「うん、そうだ」
やはり、お互いにその時の会話の流れは記憶していた。では、なぜこんなに食い違った話になっているのかと、お互いに首をかしげる。
「それから、お前が演劇部にはいっているかと聞いたな」
「で、俺は実のところ入るつもりはないって答えた。正式な部員が集まるまでの、手伝いだって説明したんだよな」
「私もそう記憶している」
お互いに頷き合う。それは、意見が一致している証拠だ。
「それで、その後に岡崎が古河と付き合っているといったのだろう?」
「……いや、ちょっと待て」
そして、その一致はあっさりと崩された。
「なんだか、やたらと話が飛躍してないか?」
「いや、私のおぼえている限りではそういったはずだぞ。そして、古河の元に二人で戻ったんだ」
「だから待てって。さっきもいったとおり、俺にはその覚えがないぞ」
「だが……私が付き合っているのかと尋ねたらたら、はっきりと肯定したじゃないか」
「ああ、だから演劇部の部員集めに付き合ってるって…………あ」
目が点になる、という言葉のとおりの表情を智代が見せるのは、付き合いの浅い朋也からしても相当レアな光景であると分かるものであったが、その貴重さを朋也が堪能することはなかった。
「つまり、全部勘違い……なの?」
やや冷静になったことみが、ポツリとつぶやく。
「えっと……勘違いしたまま、告白……しちゃったんですね、三人とも」
倒置法で、確認するかのような渚の言葉に、渚自身を含めた全員の顔が朱に染まった。
「つまり、だ。岡崎……朋也がまだ誰とも付き合っていないということは、遠慮して身を引く必要も、ないということ……になるのか」
智代の言葉を聞き、気力がしぼんで背筋が寒くなりながら、ようやく朋也は、予感ではなく事実だと認めることにした。
今、自分はとてつもなく危険で大事の安全ピンを抜き去ってしまったのだということを。
エピローグ
朝。
カシャア、という勢いのいい音が、陽光をさえぎっていたカーテンを開いた。
そして同時に体がゆすられ、声がかけられる。
「朋也くん、起きてください。朋也くん」
「朋也くん、もう朝なの」
「何だ、朋也はねぼすけなんだな」
「うう……」
平和な睡眠を乱す光と声と刺激から逃げるように、朋也は布団をかぶりなおした。
「まったく、仕方のないやつだな……ほら、起きろ」
声とともに、朋也のかぶった布団は力任せに引き剥がされた。
そうすると、頭にはまだ眠気を残しているものの、だんだんと意識が覚醒していく。
そのまま狸寝入りをすることも許されそうになく、しぶしぶながら朋也は目を開けた。
すると、目に入ってくるのはよく見知った顔である。
「おはようございます、朋也くん」
「ああ、おはよう渚」
「朋也くん、おはよう」
「おはよう、ことみ」
「朋也、おはよう」
「おはよう、智代」
朝早くから部屋に乗り込んでいる少女たちに、朋也は胸のうちでため息をついた。
昨日、告白を巡る誤解騒動が解けてから言われていたことである。驚くには値しない。というか、あまりにもショッキングな出来事が続いた所為で、少々のことではもう驚けない。
「朝食が出来ているぞ。三人で協力して作ったんだ。着替えて顔を洗ったら降りてきてくれ」
言い残した智代に続き、渚とことみも退室するのを見届けると、朋也は大きく伸びをした。二度寝ができる状態ではないので、素直に着替えて顔を洗い、一階へと降りる。
一階につくと、美味しそうなにおいが漂っているのがわかった。朝は食欲がわかないことが多い朋也だったが、今日の所は胃袋が刺激されて空腹を訴え始める。
少々期待して居間の中へとはいると、テーブルの上には焼き魚や切干大根、おひたしなどの和食が並べられていた。
「お……すごいな」
朝食らしい朝食などずっと口にしていなかったため、朋也は思わずそんな感想を漏らしてしまう。
「あ、朋也くん」
「おう、ことみ。朝からこれ、結構大変じゃなかったか?」
「ううん、皆でがんばったから、そんなことないの。とっても楽しかった」
話しながら朋也が席に着くと、渚がご飯を、智代が味噌汁を運んでくる。
そして、ことみの声がけに合わせ、四人で朝食をとり始めた。
「ところで朋也。三人で話した結論なのだが」
智代がそう切り出したのは、登校途中であった。
食事中も家を出てからも、昨日までの出来事に触れることのない世間話を続けていたのだが、それが途切れたところでの話である。
「公平を期すために、当番制になった」
「そうか……」
やはりそこに落ち着いたか、と朋也は思った。
「基本的には私が朝の朋也係、昼と放課後に関してはその日によって古川と一ノ瀬の担当が替わる。とはいえ、あくまで禁止事項というわけではないから、今朝のように三人そろうこともあるだろう」
智代の説明を聞きながら、朋也は昨日のことを思い出す。
すでに告白を終えてしまった開き直りのためか、朋也に比べて三人が我を取り戻すのは早かった。しかし、そこで問題が当然発生した。
現状、朋也に恋人がいないということは、告白の返事というものが必要になったわけである。
これに一番当惑したのは、もちろん朋也だ。なにしろ、告白の返事など考えても考えても結論が出なかったため、思考放棄して真相究明に乗り出したのだ。
自分のへたれさが嫌になるほど分かったわけだが、告白に対する返事ということは最低限二人、あるいは三人を振る、ということである。
自分の中に確固たる思いがなかった朋也としては、どうしても言い寄ってきたから選ぼうという形になってしまう。だが、朋也にとっても恋愛対象ではないにせよ好意の対象である三人に対し、果たしてそんなことでいいのだろうか、と悩むのであった。
卑怯な考えではあるが、これが三人同時の告白でなければこれほど迷うこともなかったのだ。誰か一人であったならば、おそらく自分は付き合っただろう。そうなればその後二人に告白されたところで、こんな厄介な問題にはならなかったのだ。
「やはり、生徒会選挙のことを考えると、自由に動ける時間は少なくなる。当選すれば、もっと忙しくなるだろう。……古河も一ノ瀬も、私の事情につき合わせて、すまないな」
「ううん、気にすることないの。朋也くんのことは好きだけど、智代ちゃんのことも、渚ちゃんのことも好きだから。私は、皆で仲良くしたい」
「そうです。わたし達は坂上さんのことを応援したいですし……その、自分勝手なことですけど、部員募集のこともお願いしてますから。それに、ここまで来て抜け駆けはしたくないです」
「そうか……ありがとう」
そして、当惑したのは女性三人も同様である。
真相が判明した時点で、朋也に返事をくれるようにいうことも出来た。しかし、それを行うことはふいに生まれたチャンスをみすみすつぶすことになりかねない。
朋也が困惑しているのは明らかであったし、そこで答えたとしてもあるいは全員にとって悔いの残る結果になる可能性もあった。そしてさらに理由を挙げるとすれば、三人ともがそれぞれ、今の関係を惜しいと思ったのである。
勘違いが多分に含まれていたとはいえ、告白までの流れ、背中の後押しや同じ心境での告白などといったことから、三人は奇妙な連帯感とでも言うべき友情を感じてしまっていた。そしてそれは、朋也と二人でいることとはまた別の暖かさが感じられるものだった。
朋也が誰かの告白を受ければ、四人でいることは出来ない。そのことに寂しさを覚えてしまえば、結論はひとつだった。
すなわち、先延ばしである。
(しかし、いくら相手の方がいいっていったってなぁ……)
果たして、告白の返事を先延ばしにして本当にいいのだろうか、と朋也は悩んでいる。いくらなんでも不誠実だし、相手が告白してきたのをいいことにはべらせているように考えると、とりあえず首をくくるかなにかしたほうが世のためじゃないかと思えてしまう。
答えが出せずにいる問題に疲れたところで、気が付けば見慣れた坂道が目にはいる。毎日登っている坂道だ。
そう遠くない未来、自分はこの坂道を降りる時が来る。そうして、見上げるだろう。時の移ろいを感じて、今まですごしてきた学校生活を思い返しながら。
その時、自分の傍らにいるのはいったい誰なのか。あるいは、愛想をつかされて誰もいないのか。
今の自分には分からないけれど、と、それでも朋也は考えた。
巡る想いの行き着く場所。けれど、終着点にはならないであろう場所。
その時に、今の自分たちが大切な想い出になっていますように、と。
「つまり、やるからには正々堂々ということだな」
「はい、全力でぶつかり合いましょう」
「ここからが本当の戦いなの」
「……大丈夫かなぁ?(汗)」
おわり
あとがき
ようやく終わりました……。書いても書いてもなにやら予定より増えていき、結局三話の予定が五話になってしまったわけですが、それでも何とか終わりました。
シリーズもの自体をほとんど手がけたことがなく、ちゃんと完結したシリーズなんてのは、これが初めてです。散々延び延びになりましたが、それでも終わらせられたのは、読んでくれて、面白いといってくれる人たち(+相方)のおかげです。
いくつか終わり方は考えましたが、まあ一般的なものとして特定キャラのエンディングにはなりませんでした。仕方がないですよね、作中ではほとんど時間が経過してませんから。結局、代表的な打ち切り方っぽく「戦いはこれからだEND」です。でも続きは書きません。
とにかく、読んでくださってありがとうございました。
追記
あ、ちなみに続きではないのですが、一応おまけがどこかにUPされるかと思います。それで、完全に「想い、巡らし」シリーズは終わりですのでそちらもどうぞ。場所については、後で日記にて触れておきます。