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 走っていた。
 なぜ走っているのか、その理由すらまとまらないまま、帰宅の途につくまばらな生徒達の中を、彼女は走っていた。
 元々運動が得意ではない彼女は、走ったとしてもさほど速くはない。
 しかし、誰かに追いかけられているのならばともかく、走っているのは彼女一人だ。彼女を追いかける人影もない。故に、この場において足が遅いことは問題ではなかった。

「はあ、はあ、はあ……」

 息を乱し、汗を流しながら、それでも彼女は止まらない。
 さながら、止まることを拒否するかのように。
 しかし、どれほど止まりたくないと思ったところで、いつまでも走りつづけることなどできはしない。彼女の場合であれば、尚更だった。

「あっ」

 不意に躓き、転ぶ。疲れた体は、それでもなんとか手を前に出して受身を取った。
 両手と右膝に、軽い痛み。確認してみると、浅い擦り傷が見える。
 そのことに安堵を憶えるが、それも束の間。
 走ることを止めた彼女の心に、無意識の内に浮かぶものがある。なぜ、自分は走っていたのだろうかという疑問。
 その答えはたやすく与えられる。それはもとより彼女の中にあったもので、それから逃げるように走り始めてしまったのだから。
 彼女が走り出す直前に見てしまった光景。
 それを思い出し、同時に彼女――古河渚は、心に棘のような痛みを感じ取った。





 『想い、巡らし』 第二話





 岡崎朋也は困っていた。
 自分達――自分と、その上に覆い被さって抱き合っている一ノ瀬ことみ――を見ている人影がないことを確認し、とりあえずその点は安堵した。
 しかし、根本的な問題が解決されていない。反応のないことみをどうするべきか、なるべく早急に対処しなければならない問題であった。

(いやまあ、一応一つだけ手段はあるけどさ)

 本を読んでいる最中のことみも、今のように反応を示さないことがある。
 おそらくその手段を用いればなんとかなるだろう、と朋也は見当をつけていたが、それは同時にこの状態を終わりにすることだという自覚もあった。
 朋也も健全な男子だ。このように自分が好意を抱いている女性、しかも美少女に(ハプニングではあるが)押し倒されて、嫌な気持ちになるわけがない。
 むしろ、状況としてはおいしいといえるだろう。この状況を壊したくないという気持ちもある。
 とはいえいつまでもこうしているわけにはいかない、と朋也は意を決した。他人の目がなく、朋也自身がまんざらではなくても、ことみがどう思っているのかはわからないからだ。少なくとも嫌われているわけではない、とはわかっていたが。
 そんな結論を出し、そっと口をことみの耳元に運んだ。

「ことみ……ちゃん」

 無意味にためて、名前を呼ぶ。
 すると、今までまったく反応を示さなかったことみが、ピクリと反応を示して朋也の胸から顔を上げた。
 朋也とことみの目が合う。

「あ……朋也くん……」

 未だに顔は赤いままだが、ことみからはとりあえず意識を保っている様子が見て取れた。

「ようやく起きたか。突然だったから、ビックリしたぞ」
「うん……」
「でもまあ、怪我はないみたいで良かった」
「朋也くんのおかげ……」
「ははっ、まあ役に立てて良かったよ」

 会話もこなせるということに安心し、朋也は後ろに手をついて上半身を持ち上げる。
 それは、この状態を終らせるという明確な意思を伝える行動だ。次いで、言葉も発せられる。

「さて、それじゃあことみ――」

 そろそろ降りてくれないか。
 そう続けようとした朋也の言葉は、ぎゅっと抱きしめてくることみの行動で遮られた。
 なぜ、と朋也は再び混乱する。ことみは意識を戻したはずなのに、なぜまた自分に抱きつくのかと。

「もう少し……もう少し、このままでいたい……」

 胸に顔を押しつけた状態で、ことみが言う。朋也からは見ることは出来なかったが、ことみの顔は先ほどまでよりも更に赤くなっていた。その様子からも、ことみがどれほどの勇気を振り絞ってこんな行動を取っているかがわかる。
 そんな言葉だからであろうか、その声はついさっきまでより近くから聞こえるようだった。
 それは、物理的な近さではなく、心の距離だ。朋也の心に触れようと、ことみは近づいてきている。自分の想いを朋也に届けようと、そして朋也の心を知りたいと歩いてきているのだ。
 戸惑いが消えることはなく、動機も更に激しくなっていく。それでもハプニングではない、ことみの確かな意思を感じられる接近に、朋也はどこか安らぎにも似た感情が生まれるのを感じた。
 だから、動揺で声が上ずったりなんかしないように、精一杯格好つけて答える。

「ああ、じゃあもう少しだけな……」

 そして、二人は今度こそ本当に抱き合った。



    ×     ×     ×



「朋也くん、また明日」
「ああ、また明日な」

 夕日の射す帰り道で、朋也とことみは簡単な挨拶を済ませて別れた。
 分岐点からしばらく歩き、振り返ってみる。ことみの姿が見えないことを確認してから、朋也は空を仰いで大きく息を吐いた。
 体に残った熱は、まだ若干寒さが感じられる風を受けても、一向に奪われることがない。抱き合っていた状態が終わってから、時間はそれなりにたっていたが、まだまだこの状態は続きそうだった。
 まず、二人はあのまま少し抱き合った後、演劇部室へと向かった。
 恋人同士という訳でもないのに抱き合っていた姿を渚に見られたことで、朋也は一体どういう説明をするべきか悩みながらの道のりであった。
 そもそも最初に渚を呼びとめた時は事故だ、と釈明しようと思っていたのだが、何しろその後互いの意思で改めて抱き合ってしまっている。
 脳内で繰り返し説明する内容を考えるのだが、そう簡単に結論は出ず、結局朋也の考えがまとまる前に部室に着いてしまった。
 しかし、幸いにもというべきかそこに渚の姿はなかった。
 教室のほうを見てみても渚は居らず、仕方無しに今日の所は二人で帰ることとなった。
 お互いに照れがあるのか、帰り道の会話はほとんどなく、わずかにあったとしても少し硬い感じがした。
 そしてそのままの雰囲気で別れ、現在朋也は空を仰いでるわけである。

「やっぱり、好きってことなのか……」

 敢えて声に出してみると、気恥ずかしさが更に跳ね上がった。しかし、そうとわかっていても声に漏らさずにはいられなかった。そうでもしないと、自分の中で感情が縦横無尽に暴れまくって、パンクしてしまうような気がしたのだ。
 ああ、と顔を覆う。まさか、自分がそんな発想をするとは夢にも思わなかったのだ。声に出したことそのものよりも、そんな考えを持ってしまう自分が朋也には信じられない。
 ことみが自分のことをどう思っているか、好きか嫌いかのどちらかで言えば間違いなく好きのほうだと、朋也は以前から実感していた。好意を持たれているかどうかに関しては、ことみは非常に分かり易い人間であったからだ。
 そして、確かに朋也の知りうる限り、ことみが好意を持っている相手の中にいる異性といえば、朋也自身だけであった。
 だがそこに、いわゆる恋愛感情が絡んできているかどうかと言うことに関しては、朋也の想像の範疇外であった。
 ことみ自身が子供っぽい性格だと言うこともある。外見上はともかく、ことみの精神は幼く見えた。だからそこにあるのは単純な好き嫌いであり、第二次成長を終えた微妙な感情の付きまとう好き嫌いではない、と思いこんでいた。
 しかし、それは間違いである。確かにことみの性格は子供っぽくはあるものの、彼女の精神が本当に子供だというわけではない。他人とのコミュニケーションの経験こそ多少乏しいものの、恋愛をすることが出来ないなどということはなかった。
 ああ、こうして論理的に考えても間違いないだろう、なんてことを思うと、朋也は自分の顔がにやけるのを止められなかった。主観的に考えても客観的に考えても、このような状況となれば嬉しくないわけがない。

(けどなあ……)

 唐突に、熱に浮かされた状態から冷めることがある。
 間違いはないだろう、とは思っているのだ。ことみはいわゆる恋をしていて、その対象が自分であることは。しかし万が一、それが勘違いであったならば、自分は自惚れた自分の情け無さの余りに打ちのめされてしまう。むしろ自分をゴミ扱いしてしまいそうだった。
 かといって、これ以上ことみから何らかのアクションがくるのを期待している、と言うのも問題だと思った。今日の行動だって、物凄く勇気を振り絞ってやった結果だろう。
 そこまでしてもらわなければことみの気持ちに気づかなかった自分も問題ではあったが、気づいたのにまだ待ちつづけるというのはそれ以上に問題だった。
 自分は何らかの返答をしなければならない、と朋也は思った。そう、ここまではいいのだ。

『もしさ、あんたのこと好きって娘がいたらつきあう?』

 以前、友人の藤林杏との会話でそんな言葉を聞いたのを思い出す。あの時は特に意味のない話の中で出てきて、自分がなんと返したのかも覚えていない。
 しかし、今ははっきりとではないものの好きという意思を伝えられた。さて自分はことみと付き合うのか、といわれるとその返答は簡単だ。
 自分は付き合うだろう。朋也はそう結論付けた。
 ことみに対して好きか嫌いかの二択を迫られれば、はっきりと好意を抱いていると言える。いままでそういった対象としては見ていなかったが、今日の自分の行動を鑑みるに、それは問題ではない。ことみと付き合うことを拒む理由など何もない。

「ふぅ……」

 朋也は有り余る熱を吐き出すように、幾度目か分からない溜め息をついた。
 為すべきことはほぼ決まっている。障害も特に見当たらない。問題は、いかにして確証を得るべきか。
 そこまで考えたところで、視界には見なれた自分の家が広がっていた。



    ×     ×     ×



 翌日。
 坂上智代は、いつものように桜の木を見上げていた。その目には、やはりいつもの精彩が欠けている。

(昨日は一体、どうなったのだろう……)

 昨日、朋也と見知らぬ女子生徒が抱き合ったシーンを見て、智代は思わず逃げ出してしまった。
 ただでさえ渚と朋也のことで打ちのめされていたところにその追加攻撃で、智代の頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
 とりあえず一時的に問題を置いておくか、それとも直接問い詰めて早急に真実をつきとめるかする必要があるのは分かっていた。だと言うのに、どちらの選択も出来ずに溜め息をつくだけ。
 智代は、自分がこんな臆病な人間だと言うことに、更にうなだれてしまう。
 視線を下に下ろせば、散ってしまった桜の花びらたちが見える。つい先日まで華麗に咲き誇り、皆の視線を受けていた花びらも、今では踏まれ、泥に汚れて箒で掃かれる運命だ。
 クラスの友人の弁では、恋とは桜のようなものらしい。蕾から美しい花となり、輝く時間を経て散り、終焉を迎える。勿論実際の桜のようにすぐ散ってしまうわけではなく、終焉も愛への移り変わりと言う昇華もある、とか言っていたが。

(実際の桜よりも短かったな……)

 そう、昨日の女子生徒がどうであれ、それは自分には関係ない。それは朋也とその恋人である渚、そしてあの女子生徒の問題であり、自分はまったくの部外者で、あの女子生徒が何であろうと自分の恋はすでに終わってしまったのだ。と、智代は考えていた。勿論それは智代の勘違いなのであるが。
 それでも、と智代は思う。それでも朋也に対する気持ちは消えない。むしろ日に日にましていくばかりだ。頭ではいけないと分かっているのに、この思いを伝えてしまいたくなる。
 そして彼女はそのまま、校内へと入っていく生徒たちのなか、ただぼうっとループしている考えを続けた。

(どうすれば良いんだ、私は……)

 胸が苦しかった。どうしようもなく。

「朋也……」

 口をついて出てくる、思い人の名前。
 それは、今までの「岡崎」ではなく、より親愛のこもった名前であった。





 そして、思考がループしているのは朋也も同じだった。
 寝不足でだるい体を引きずりながらも、朋也は始業時間に合わせて登校していた。
 真面目に来ることになった原因は、昨晩ロクに寝つけなかったためである。春原のところに向かう気にもなれずぶらぶらと時間をつぶして、日が変わった頃にベッドに入ったのだが、目を閉じるとどうしても昨日の出来事がフラッシュバックしてしまうのだ。
 そうなると、もはや自分でも止められない。古代ギリシアの哲学者か、はたまたロダン作の有名な彫刻かというほどに様々な考えが繰り返し浮かび上がってくるのだ。脳はフル回転し、体もあわせるように気の昂ぶりを持て余して疼く。
 とてもではないが眠れる状態ではなく、気を落ちつけるために無意味に近所のコンビにまで出向き、ぱらぱらと雑誌を読む振りをしながら自問自答を繰り返し、そのまま帰ってきてまたベッドに倒れこんだりということまでしてしまった。コンビニの店員に、胡乱げな目で見られたことは言うまでもないが、朋也はとてもそれに気付くどころではなかった。
 それでも眠れずに寝返りを繰り返し、鳥の鳴き声が聞こえて来たことを機にカーテンを開けてみれば、すでに日は上っていた。結局寝ることを諦め、ゆっくりと準備をして家を出てきたのだった。
 重くなってはいるが、気だけは相変わらず高ぶっている頭で周囲を見れば、毎日この時間に来ているであろう学生達の姿がある。
 この登校時間というのも人によってある程度固定されており、ギリギリの時間に登校する人間はいつもギリギリで、余裕を持って登校する人間は何らかのハプニングがなければいつも余裕で登校する。
 そのような自然な分け方をされているためか、ある程度のグループでの登校となっている学生も少なくない。類は友を呼ぶということなのか、友人同士で登校時間まで似ているのだろう。もっとも、ただ家が近かったり、待ち合わせをしているということもありえるが。
 朋也は、自分とよく登校時間が重なる渚を探していた。勿論、登校時間が重なるといっても、渚と出会ったばかりのように、遅刻仲間としてではない。
 ここ暫く朋也が遅刻せずに学校に来ていた期間、他の学生と同様に学校へ向かう途中の渚と一緒になったことがたびたびあった。その経験から、朋也は渚の登校時間を見越して家を出てきたのだ。
 しかし、先ほどからその姿を探して歩いているのに一向に見つからない。

(もういったのか、もう少しあとに来るのか)

 そもそも探したところでなんと言って説明するのか、一晩中考えていたと言うのに、結局まとまってはいなかった。
 一晩中考えていたと言っても、結局は浮かれて、それに反論するようにまずい場合の状況を考えて少し沈んで、の繰り返しばかりだったのだから、仕方がない。
 しかし、朋也はさほど渚のことに関しては深刻な考えは持っていなかった。ことみとの抱擁シーンを見られて逃げ出された時には驚いたが、そもそも疚しいことなど何一つないのだから当然である。
 唯一の問題はと言えば、昨日の昼休みの時のように手伝いを遠慮される可能性があることだが、そこは押しきればどうとでもなるだろう、と言う結論に至ったのだ。
 そして説明ついでに例え話で、ことみの気持ちを聞いてみようと言う狙いがあった。同年代の女性としての意見を聞いてみたかったのだ。
 結局、渚が見つからないまま学校へとついてしまう。

(おっ)

 しかし、そこには別の知り合いがいた。
 智代が、何度かみかけたように桜の木を見上げてぼうっとしているのである。後姿ではあるものの、間違いなかった。
 せっかくだから都合が良い、とばかりに朋也は近づいていく。本来は渚に例え話をして意見を求めるつもりであったのだが、同年代の女性と言うことならば智代でも何ら問題はなかった。
 近づく。と、不意に背を向けたままの智代が口を開いた。
 
「朋也……」

 振りかえってみたわけでもないのに気付いたのか、と朋也は少し驚く。だがまあ、智代なら気配を感じ取るくらい可能なのかもな、と自分を納得させた。

「おう、おはよう、智代」
「っっ!?? お、おはようっ?!」
「? どうした、そんなに驚いた顔して?」

 何を驚いてるのだろう、と朋也は心底不思議そうに尋ねる。勿論、智代が朋也の名前を呼んだのが、朋也の存在に気付いたからではなかった、などとは思いもしない。

「あああ、い、いやぁ、その、お、岡崎っ! も、もしかしてさっきのを聞いてしまったか?」
「さっきのって? 智代が俺の名前呼んだことか?」

 やはり聞かれていたか、と智代の顔がかあっと赤くなる。
 無意識に名前をつぶやいてしまったことだけでも恥ずかしいのに、よりによってそれが相手に聞き取られてしまったのである。智代は半ばパニックを起こし、穴があったらすぐにでも入りそうであった。
 しかし、朋也は呼ばれ方の違いなど気にしていないのか、ただただ不可解な反応だと思うだけである。

「良く分からんが、まあ良いや。ところで、ちょっと智代に聞きたいことがあるんだが、良いか?」
「あ、ああ、私でよければ相談に乗る」

 朋也から話題の転換を振って来たことで、渡りに船とばかりに智代は飛びついた。もはやこの時点で、昨日からずっと抱きつづけていた抱擁シーンに関しての疑問など吹き飛んでしまっている。

「助かる。それでだな、聞きたい事って言うのは、異性の友人同士の話というか、まあそんなことに関わる話なんだけど」
「だ、男女間、と言うと、例えば私と岡崎でも良いのか?」

 アクセルを思いっきりふみこんで走り始めた智代の頭は、普段なら到底恥ずかしくて言い出せないようなことさえ、言ってしまうことを許可している。
 しかし、寝不足もあいまって気分的にハイになっている朋也は、そんなことには気付かなかった。

「おう、そうだな。じゃあ仮に俺と智代としてだ」

 と、そこで朋也が一旦言葉を止める。
 智代の台詞が普段と違うことには気付かなかった朋也だが、ここでとある重要なことに気付いてしまった。
 すなわち、男女間の友人を自分と智代に設定してしまったからには、いくらなんでもそのまま『女性が男性に抱きつく時にはどんな気持ちでやるのか』などと言うストレートな質問はぶつけられない。
 かといって、逆にするわけにもいかないだろう。すなわち、質問を変える必要がある、と朋也は判断を下した。

「あー、その、だな……おおそうだ、仮に俺が智代に対して、昼休みに一緒に飯を食べようか、と言うとする」
「いっ、一緒にか? ああ、私はかまわないぞ」
「あ、いや、だから……」
「任せておけっ、場所はどこがいい? 教室かっ、中庭かっ?」
「あーその、もしもし?」

 ものすごい勢いで突っ走られ、置いてきぼりを食らっている朋也の様子に、智代はようやく気がつく。
 瞬間、智代の背筋に氷がいれられたかのような寒気が走った。
 一体自分は何を言っていたのだろう、朋也には古川と言う彼女がいて、あくまでこれは例え話に過ぎないのに、浮かれてしゃべって、困惑させている……。
 目に見えて分かるように一気に沈み込んでいく智代に、朋也は見かねていった。

「ん、えーと、な、良かったら一緒に、昼飯……食うか?」
「あ、ほ、本当か? 私で良いのか?」
「ああ、もしよかったら、だけど」
「い、良いに決まっている。分かった、楽しみにしている」

 そこで、チャイムの音が響く。学校での一日が、まもなく始まると言う警告音だ。

「もう時間か……では、急いで昇降口まで行くぞ」
「あっ、ああっ」

 そうして、二人は周囲の生徒達と一緒に走り出す。
 そういえば、朝に智代とここで会うと、いつも話しこんで結局走るはめになるんだよな、と、朋也はなんと無しに思った。
 ついでに、結局相談できなかったな、とも。



    ×     ×     ×



 その日は、渚もまたロクに眠れずに朝を迎えていた。
 明らかに沈んだ様子が見て取れたことと、寝不足の為に少し顔色が悪かったことから、両親は学校を休んだほうが良いんじゃないかと心配していたのだが、渚は大丈夫だといって家を出た。
 両親も渚が学校に行きたがっているのは知っていたので、それ以上強くは言わずに見送った。
 いつもより早く家を出たのは、寝不足で重い体を引きずるように歩かなければ行かないことに加えて、どうにも朋也に顔を合わせづらかったためだ。
 そのかいあって、普段よりも早く学校に着く。まだ半分以下の人数しかいないがらんとした教室に入り席につくと、重く感じていた体が少し楽になった。
 そうして、普段はまずやることのない頬杖をつく。
 暫くそのままでいると、だんだんと眠気が襲ってくる。
 この眠気と言うのは現金なもので、眠れぬ夜を過ごしたあととなると、日中でも容赦なく襲ってくることになる。寝床よりも全然寝づらい机だろうとお構い無しだ。
 渚は、たびたび眠りかけそうになるのを堪えながら先生が来るまでの時間、HRの時間、一時間目の授業時間をしのいだ。
 休み時間になったところで席を立ち、顔を洗うために廊下へと出る。人通りのまばらな廊下を抜けて、水道へ。幸い、人は並んでいなかった。
 袖をぬらさないために腕まくりをし、両手に水をためて顔をつける。まだ4月の水道水は冷たく、眠気を飛ばす効果は多少なりともあった。

「あ、古河」

 声がかけられたほうへと振り向く。声のした方向にあるのは階段で、そこには移動教室らしく筆記用具やノートなどを手に持った智代がいた。

「坂上さん、おはようございます」
「あ、ああ、おはよう」

 昨日知り合ったばかりのこの女性に対しては、心配をかけないように普段通りにしよう、と渚は努める。
 しかし、元々渚がそういった隠し事に向かないのか、それとも昨日の場面を智代も目撃しているからなのか、渚が元気に見えるよう取り繕っているのが、智代には分かった。
 智代は、まるで冷水を浴びせられたかのような気分になった。
 朋也に声をかけられ、昼食にさそわれ、浮かれていた自分。恋人である渚のことを忘れたわけではないのに、ただただ喜んでいた。
 自分の身勝手さが苦しい。それでもなお、智代は言った。

「古河、その、一つ聞きたい」
「ええと、わたしで答えられることでしたら」
「ああ、岡崎のこと、なんだ」

 本来ならするべきではない質問であると、智代には分かっている。それでも、問わずにはいられなかった。

「もし、岡崎が、お前以外の人と付き合おうとしたら、どうする?」
「え……それは……」

 逡巡する渚。それも当然だろう、と智代は思う。
 渚以外の相手というのが、昨日の女子生徒であるのか自分であるのかも、実のところ良くわからない。自分であったらいいと思うと同時に、こんな卑怯なことをしてしまう自分が嫌であったし、そんな自分がふさわしいとは思えなかった。 

「それは、いいと思います。岡崎さんの選んだことですから」

 その言葉は、智代にとっては意外だった。もし自分が渚の立場であったことを考えると、自分にはっそんなに簡単に決断することが出来ない、とはっきり分かるだけに。

「そう、か……すまない、変な質問をして」

 その所為で、智代は更に落ちこんでしまう。自分は一体何をやっているのだろう、と。

「あの、何故そんな事を?」
「ん、ああ、不躾だったな。ほら、昨日少し古河から離れて岡崎と二人で話しただろう。その時に岡崎から古河のことを聞いたんだ」
「あ、そうなんですか」

 そこまで聞いて、渚はおや、と思った。自分と朋也の立場と言うのは、演劇部部長とそのお手伝いであり、同時に友人である。渚自身は朋也に好意を抱いてはいるが、それを朋也に告げたことはない。
 だから、渚にとっては、智代が自分に質問をしてくる理由が不明瞭であった。果たして、現状を説明しただけで、そんな質問をするだろうか、と。

「えっと、岡崎さんはどんなこと言ってました?」
「なんというか、その……平たくいえば、好き、ということか」
「えっ!?」

 この時、智代は敢えて恋人と言う言葉を使わなかった。それは、先ほどの非礼を考慮してのことだ。

 もしかしたら、先ほど時の自分の質問で二人が不仲になってしまうかもしれない、朋也の心が自分から離れていっているのかもしれない、と渚に思われることのないように、との考えたのだ。
 だから、渚は智代が込めた意味とは別の意味で解釈した。

「岡崎さんは、そんなことまで?」
「ああ、その、まずかっただろうか?」
「い、いえっ、そんなことはないです」

 そのため、渚は呆然とする。
 自分が朋也に好意を抱いていると言うこと、それを、朋也が知っている――渚の頭の中は、たった今智代から気化された内容ででいっぱいであった。

「あっと、すまない、もう時間だ。呼びとめて悪かった」
「あ、いえ」

 智代が去り、ほどなくして鐘が鳴る。渚ものろのろと、自分の教室へと戻っていく。
 教室を出るとき、あれほど頭に巣食っていた眠気は、全て吹き飛んでいた。





 続け





 あとがき

 ええと(色々と)無理でした。11月の頭には半分くらいまで出来あがっていたんですが、結局のびのびで年が変わってしまいました。
 理由としては、リアルのほうが大変になって来たことが上げられます。これから更に大変になっていくので、正直この先どうなるか……。
 どうも、私はある程度余裕がないと創作活動できないようです。そして暫く余裕なさそうです。
 内容のほうも、当初予定していたところまで進められず、こっちもどうしようかな、という感じです。次で終わるかどうかも怪しくなってきました。
 マブラブオルタネイティブが出るまでには第3話を出せるんじゃないかなぁ、と思いたいです。