「こんにちは。遊びに来ました」
休日の昼下がり。岡崎家の戸をたたいたのは見知った少女――実年齢は少女と呼ぶには厳しいが――伊吹風子だった。
「あ、ふぅちゃん。こんにちは」
待っていましたとばかりに、汐が反応する。
「お邪魔していいですか」
「ああ。その辺に座っててくれ」
「はい。ではお邪魔します」
料理を中断し、コンロの火を消して俺も応対をする。
礼儀正しく頭を下げ、風子は岡崎家に上がりこんだ。
「相変わらず狭いですっ」
「やっぱり失礼なやつだなお前はっ」
伊吹先生に教えられた挨拶以降は、いつも通りな風子だった。
『風子が乗ります』
「風子、夜も眠れないくらいの気持ちでずっと考えていました」
早速くつろぐ風子にジュースを出してやると、それを飲みつつ風子が言う。
「じゃあ何時に寝たんだ」
「いつもは9時に寝ているところを、11時まで考えていました」
「いたって健康的だなっ」
「なにかんがえてたの?」
汐が、無垢な表情で尋ねた。
「そうです、風子が求めていたのはその質問です。やっぱり汐ちゃんは風子と心が通じ合っているんですね。岡崎さんとは大違いです」
「いや、お前が俺の前で仰々しく言う考えていることなんで、どうせろくでもないことだろう」
「岡崎さんは失礼です」
「ちなみに、汐も岡崎さんだからな」
「でっかい岡崎さんは失礼です」
俺の呼び方はでっかい岡崎さんで決定なのだろうか。
「風子が考えたのは、極秘作戦・汐ちゃん奪回作戦です」
「極秘って言ってる割に堂々と作戦名で内容晴らしてるだろうがっ。そもそも汐は一度もお前のものになってねえっ」
「コードネームは、『あの日見たヒトデの涙の一滴』です」
「長い上にまったく内容も意味も分からなくなったなっ」
「ねえ、パパ。ヒトデってなくの?」
「いや、多分なかないぞ……」
まったく、うちの子が間違った知識を憶えてしまったらどうするというのだろうか。
「ということで、風子は今から作戦に移ります。でっかい岡崎さん、ちょっとここに足を伸ばして座ってください」
別に拒否してもいいのだが、俺と風子のやり取りを見ている汐が嬉しそうなのでしぶしぶ従うことにする。
「これでいいのか?」
「はい。それでは汐ちゃん、一度でっかい岡崎さんの上に座ってください」
「うん」
俺の腿の上に汐がちょこんと座る。つまり、抱っこしている状態だ。
「どうですか、汐ちゃん」
「ん? うーんと、嬉しい」
笑顔で応える愛娘。ああ、可愛いなあ。
風子が何をしようとしているのかわからないけど、もはやそんなこともどうでも良くなりそうだ。
「ふっ、まあ仕方がありません。敵ながら天晴れといっておきましょう」
「ああ、そうか。うん」
「返事がおざなりですっ」
「ああ、悪い悪い。んー、汐、ちょっとおっきくなったかな」
「うん。あそこ、手が届くようになった」
「おーあの棚の上か。うんうん、毎日一緒にいると帰って気付きにくいものだからな。日々すくすく成長していって、パパは嬉しいぞ」
「えへへー」
「風子の話を聞いてくださいっ」
そこで、ようやく客の前だということを思い出す。いや、なんか自分の親バカが進行しているってのもあるんだけど、どうもこいつの前だと世間体とか気にしなくなっちゃうんだよな。
俺たちの注目が集まったことを確認すると、風子は一度ふんぞり返ってから俺と同じように足を伸ばして床に座り込んだ。
「さ、汐ちゃん。風子にも抱っこさせてください」
ぽんぽんと、風子が自分の足をたたく。
「……パパ?」
「ああ、いってこい。そろそろ昼飯の仕度もしなくちゃいけないからな」
汐は俺の言葉にうなずくと、とてとてと風子の元へ向かう。
「さあ、どうぞ汐ちゃん」
「うん」
ぽふっと、風子の上に座り込んだ。
だが、なにぶん風子の体格自体がかなり小柄……というか、小学生くらいだ。少し年上の子供が、無理して自分より小さい子供の面倒を見ているようにしか見えない。
俺はコンロに再度点火してチャーハンを作りつつ、二人の様子をちらちらと眺めた。
「ふ、風子は大丈夫です。可愛い汐ちゃんのため、これくらいの苦難は乗り越えて見せます」
「んー……」
大変そうなのを察したのか、少し体を下がる汐。腿の上ではなく、足の間の床にしりをつけて後ろに寄りかかるような体勢になった。
「はっ、急に楽になりました。これも、風子と汐ちゃんの愛の奇跡ですね」
「うん?」
「汐ちゃんにはまだ難しかったですか。けど、わからないながらもやってしまうなんて、汐ちゃんはきっと天才です」
こうして見ている分には微笑ましい。
そんなことを考えているうちにいい焼き加減になったチャーハンを、三つの皿に盛った。
「ほら、出来たぞ。食え」
「うん」
お気に入りの皿をテーブルに置くと、汐は風子から降りて皿の前に座った。
「ああ、汐ちゃん……こうして、風子と汐ちゃんは、でっかい岡崎さんの卑劣な罠により引き剥がされてしまいました」
「飯食うときは行儀良くしろよ」
別にマナーなんてのを口うるさく言いたくはないが、片親だから教育が出来ていないだなんて思われたくはない。最低限の礼儀は守らせるようにしていた。
「いただきます」
手を合わせてから食べ始める。
「おいしい」
「おかしいです。おいしすぎます。風子、料理だけはでっかい岡崎さんに連敗中ですっ」
他に何で争っていて、風子はいったい何で俺に勝っているのだろうか。
「そういえば、今日の勝敗をまだ聞いていませんでした」
「既に何かで戦ってたのかよ」
「汐ちゃん、風子とでっかい岡崎さん、どっちに抱っこされたときが良かったですか?」
「あれって勝負だったのか」
「うーん……パパ」
「『あの日見たヒトデの涙の一滴』が失敗しましたっ」
「はっはっは、可愛いなー汐は」
風子にツッコミを入れることも放棄して、汐を撫で回す。
昼食は、そんな感じで楽しく過ぎていった。
「風子、敗北から学ぶ女です」
昼食後。片づけを終えた俺が戻ると、風子がなにやらまた汐に話しかけていた。
「いったい敗因は何だったのでしょうか。汐ちゃん、風子にでっかい岡崎さんのほうがいいところを教えてください」
「うんと、おっきくてたのもしい」
「汐……」
なんか、ジーンと来た。
「汐ちゃん。今はそう見えるかもしれません。でも、でっかい岡崎さんは世間的に見ると甲斐性なしです」
「人が感動しているところに余計な茶々を入れるなっ。後なんかお前に言われたくないわっ」
いやまあ、否定できないところだけどさ。
「ですが、おっきいのは確かです」
「そりゃ、お前と比べれば大抵の人はそうだろうよ」
「でっかい岡崎さんは、いまだに風子の大人の魅力がわかっていないみたいですね」
「はいはい。それよりも口が汚れてるぞ」
「確かにまだ味がしますっ」
「舐めないでふけよっ」
「はい、ティッシュ」
汐がティッシュをとって渡してやる。正直、汐のほうがお姉さんみたいだ。
「おっきくなるのは、さすがの風子もすぐには無理です……」
というか、こいつ、冷静に考えると俺と同じ年なんだよな。
これ以上大きくなる見込みはあるのだろうか。
「風子、たくましくなるために肉襦袢でも着るべきでしょうか」
「何の解決にもなってない上に抱っこしたいなら邪魔にしかならんだろう」
「にくじゅばん?」
「汐、今の言葉はまだ憶えなくていいからな」
多分これから先も使う機会はないだろう。
「はっ、風子気が付きました」
「何をだよ」
どうせろくでもないことだろうと思いつつ、一応聞いて見る。
「岡崎さん、そのように余裕でいられるのも今のうちですよ。風子は取って置きの秘策を練りました」
「簡単に練れるんだな、秘策」
「ふぅちゃん、すごい」
「ありがとうございます、汐ちゃん。というわけなので、ここに胡坐で座ってください」
先程俺が座った場所をまた示す。
何を考えているのかはわからないが、どうせたいしたことじゃないだろうから付き合うことにした。
「座ったぞ」
「でっかい岡崎さん、風子の罠にはまってしまいましたね」
「なにがだ?」
「分かってしまったのです。汐ちゃんがでっかい岡崎さんに抱っこしてもらえる状態だから問題なのです。ならば、それを防いでしまえば風子の不戦勝です」
「どうやって防ぐんだ?」
「こうですっ。では……失礼します」
断りを入れると、風子は俺のほうに近づいてきて身をかがめる。
そしてあろうことか、俺の脚の上に腰を下ろした。
「って、おい。ちょっとまてっ」
「い、今更焦っても遅いです。これで岡崎さんの攻撃は封じました」
い、いやいや。
いくらこいつが子供っぽいといっても、一応は同い年の女なんだぞ。世間的に考えると、さすがにこれはまずくないか。
いや……違うか。
むしろこいつに対してそういう意識を持つほうがまずいような気がする。また大人だとか何とか調子に乗る前に、適当にあしらったほうが良い。
「な、なんですかこれ」
「何が?」
そう思いつつも、風子自体がいつもと違う気がする。
「ま、まずいです。確かになんだか、がっしりしててちょっぴり頼りがいを感じてしまいます。しかもなんだかちょっぴりどきどきします」
「そ、そうか」
ペースが乱れないよう、なるべく落ち着くように心がける。娘の前で取り乱すわけにはいかない。
「いけませんっ、汐ちゃん、今すぐ風子に抱っこされてください」
「うん」
汐がうなずき、先程のように風子の足の間、つまり俺の胡坐をかいた足の上に座り込む。
「はぁー、良かったです。汐ちゃんの可愛いパワーで中和されてきました。危うくでっかい岡崎さんに懐柔されるところでした」
「いや、してねえから」
ようやく空気が元に戻る。俺はこっそりと安堵の息をついた。
「ねえ、パパ、ふぅちゃん」
「ん、どうした?」
「どうしました、汐ちゃん」
「こうやって、みんなでくっついてると、あったかいね」
「そうですね……仕方がないので、これからはでっかい岡崎さんも仲間に入れてあげます」
「お前が入ってきてるんだけどな。なあ、汐は風子も仲間にいれてやっていいか」
「うん。ふぅちゃんもパパのこと好きだから、汐もふぅちゃんのこと好き」
「風子がでっかい岡崎さんのことをですかっ? う、汐ちゃんがそういうなら、そういうことにしておきます」
「はいはい」
口調は嫌がっている風だが、声音はそうでもない。俺も、どういうわけだか小うるさい風子が嫌いではない。汐も懐いているしな。
「それにしても、こうして可愛い汐ちゃんとでっかい岡崎さんに挟まれていると……」
そこで風子の声が途切れる。
不審に思って顔を覗き込んでみると、風子はどういうわけか恍惚といった表情を浮かべて静止していた。
「うぐ……」
俺の中から、何か抗いがたい衝動が湧き上がってくる。
なんだろう、この気持ちは。もし俺が高校生位の年齢だったのなら、間違いなくこいつにいたずらを仕掛けてしまっているに違いない。
「ふぅちゃん?」
じーっと風子を見つめている汐がいるから、しないけどな。
俺たちはこの日、風子が帰るときまで、ずっと三人でくっついていた。
「今日のところは引き分けとしておきましょう」
「もうそれでいいよ」
夕方になり、俺と汐は風子を見送る。
「じゃあね、ふぅちゃん」
「はい。また遊びましょう、汐ちゃん」
さすがに何回も失敗しているからか、今日は帰り際に連れ去ろうとはしないようだった。
「それでは、失礼します」
汐と互いに手を振りながら、風子の背中が遠ざかっていく。
と、それをしばらく見届けて風子が50メートル以上は進んだころだろうか。不意にこちらのほうへと振り返り、口元に手を拡声器のように当てた。
「でっかい岡崎さーん、次もまた、風子が上に乗りますからねーっ!!」
そして、大音量の声が響き渡りそれから一目散に去っていく。
「人聞きの悪いことを、大声で言うなーっ!!」
そんな俺の絶叫が、どれほどご近所さんに理解してもらえるだろうか。
「ねえ、パパ」
「どうした……汐」
「ふぅちゃんがいない間は、汐がパパに乗る」
ええと……やっぱり汐の教育に良くないんじゃないかなあ、あいつ。
おわり
あとがき
クラナド最終回のエネルギーをこめました。
汐をだしにして風子SSです。いえ、汐も好きですが今回は風子分を多めにしようと意識しました。
汐から風子に呼びかける呼称が見当たらないため、伊吹先生に習ってふぅちゃんということになりました。
風子はハーレム物でなければ割と書きやすいですね。
クラナドアニメも完全に終了してしまったので、これからは下火になりますか。
うちのサイトでは連載物が残ってますけどね。
今後も楽しいクラナドSSが読みたいものです。