転勤が決まったという連絡を受けた時、俺の感情は複雑なものとなっていた。
 喜びと悲しみと、やっとかと今更かと、それが混ざりあったような、簡単に言えばよくわか らない感覚。

『朋也』

 俺の頭の中はそのことでいっぱいになり、他のことが考えられない。
 ただひたすら、転勤という言葉が頭を駆け巡る。そのあとをついてまわるこの町での思い出 たち。
 転勤――同じ官庁や企業などの中で、勤務地が変わること。
……意味を思い浮かべてもどうしようもないのだがつい考えてしまう。

『朋也っ!』

 転勤っつーことはここの暮らしとはおさらばってわけだよな。
 つまりは智代と杏の元を離れて一人で暮らすことになる。こんな生活とはおさらばできる。 この生活が終わってしまう。

「「朋也(ってば)!!」」
「あっ……」

 ふと、2人が俺を呼ぶ声を聞いて正気に戻る。
 そういえば今は夕食の時間だった。

「どうしたのよ一体」
「元気がなさそうだが、なんかあったのか?」

 どうやら俺のよくわからない、つまり不安な感情は表にでていたようだ。

「いや、なんでもない。ほら、こんなに元気だって」

 心配させまいと無理に笑顔を作り、ご飯をかきこんで口に入れる。

「う゛っ、げほっげほっ!」
「ちょっ朋也! 大丈夫?」
「そんなに急ぐからだ、ほら」

 無理して急いで食べてしまったため、飯を喉につまらせてしまった。智代から渡された水を 飲んでなんとか持ち直す。

「助かった……」
「もう、そんなに急がなくても食事は逃げないわよ」
「はは、それもそうだな」

 なんとか話をそらせたようだ。心の中でほっと胸をなでおろす。
 とりあえず明日の仕事のときに詳しいことは聞こう。そして下手して不安そうな顔を2人に 見せないようにしよう、そう思った……なんでそう思ったかはよくわからないが。



「……ということは2〜3ヶ月程度なんですね」
「ああ、それだけあればお前も考えをまとめるのに十分だと思ったし、それに丁度いいタイミ ングでそういう話があったからな。岡崎、運が向いてきたんじゃないか?」

 芳野さんの話によると前々から俺の働きを評価して、転勤させて能力向上させようという話 があったらしい。それが俺の芳野さんにしていた悩みへの対策にもなりそうだったため、この 時期に決まったそうだ。

「はは、そうかもしれませんね。あと色々とすみません」
「何、そもそもこんな話があったのはお前が評価されてのことだ。気にすることはないさ」

 そう、本来ならこの話は願ってもないことだった。
 だけど、いざ転勤すると決まった途端俺の胸に湧き上がるこの悲しさ。これは一体なんなの だろうか。
 そういえばこの感覚、前休日に味わった記憶がある。あれは自分が1人になったとき、皆が 買い物に出かけて完全に自由となったあの日。
 ああ、あの感覚が毎日来るのか。でも次第に慣れていって……何も感じなくなる。
 慣れるということは人間にとって大事な能力、でも、悲しい能力。
 忙しい毎日はつらく感じる。でもそれがなくなった途端物足りなさを感じる。
 だけど、最後にはそれに慣れてしまう。

「……何考えてんだろ、俺。アホらし」

 そこまで考えて、ふと思ったことをこっそりつぶやいて考えるのをやめた。きっとそれが正 しいのだ。今までだって考えずにやってきたわけだし。

「で、今週出発なんですね」
「ああ、早い方がいいかと思ってな。しっかり準備しておけよ」

 準備か、着替えとか日常用品とか……あと、このことを皆にしっかり伝えないとな。
 一体、どんな顔をするだろうかあの2人は。



「転勤することになった」

 俺がその言葉を口にした途端、2人の驚愕の顔が見て取れた。

「仕事の都合でさ。ほんの2〜3ヶ月の間らしい。俺はいなくなるけどそのかわりその間アパ ートは自由に使っていいから」

 2人とも未だに驚いていてなかなか意見が飛び出さない。
 智代がようやく口を開き、意見が出た。

「朋也が行くなら私も行きたい」
「あっあたしだって!」
「2人とも大学があるだろーが。それに俺は大学休んでまでついていくなんて言葉は聞きたく ないからな」

 それはこの2人だったら言うだろうと予想していたので、予め用意していた答えを返す。
 案の定それを言った途端、2人ともまた口を閉ざしてしまった。
 気まずい沈黙。でもこれは覚悟していたことだ。どうせばれるのなら内緒にしておくより先 に言ってしまった方がいい。

「ばっ……馬鹿ぁ!」

 この沈黙を打ち破ったのは杏だった。

「なっ!?」

 思ってもみなかった言葉で沈黙を打破され、驚きのあまり杏の顔を見る。智代もそれは同じ ようで杏の顔を見る。

「朋也のいないアパートになんの価値もないわよ! 本当はもっと広くていいところがあるん だから!」
「杏……」
「……私も同意だ。私は朋也と一緒にいたい」
「智代……」

 2人とも嬉しいこと、もとい困ることを言ってくれる。
 でも、ここは譲れない。俺はきっぱりと断りの意志表示をする。

「我慢してくれ。それに2〜3ヶ月の間だからさ」
「どーせその間にそっちで新しい彼女でも作るんでしょ?」

 杏の一言にちょっとカチンときた。

「なっ……それはねーよ!」
「なんで?」
「なんでって……」

 ああ、これを言ってしまっていいのだろうか、いいやもう、感情に任せて言ってしまえ。
 そう悪魔の囁きが強くなった瞬間、俺は答えを口にしていた。

「俺は皆好きだからだよ!」

 ついに言った、言ってしまった。もう止められない。

「だから皆好きすぎて、こっちだって決めていても次にはまたわからなくなって。だから一旦 皆から離れて、本当に好きなのは誰か自分でも知りたいんだよ」

 あまりにも馬鹿すぎる、馬鹿すぎるとわかっているがゆえに情けない、情けないとわかって いるからまさにへたれと呼ぶにふさわしい言葉を。言い終えたあと、俺にはやっちゃったと後 悔する気持ちが押し寄せてくる。

「……はぁ、あんたって結構へたれだったのね」
「うっ」

 痛いところをつかれる。杏も呆れているようだ。まあ無理もない。

「まあでもそんなやつを私たちは好きになってしまったのだからな。ここまでさせるほど」
「それもそうね。あと、ここまではっきり言われると逆に怒る気もなくすわ」
「ううっ」

 だんだん自分が惨めになっていく気がする。
 でも今の気持ちを伝えられたのは大きな一歩……なのかな?

「それじゃあ朋也、こっちを向いてくれ」
「えっ?」

 智代に呼ばれたので俺は智代の方を振り向く。
――途端、唇が触れ合った。

「あー!!」
「なっ……」

 怒る杏、唖然とする俺。

「ふふ、今回の件はこれでチャラにする。朋也……できるだけすぐ帰ってきてくれ」
「それならあたしだって! んー!」

 唖然としているところに今度は杏がキスをしてきた。
 もちろん止められるわけもなく、そのまま口付けをしてしまう。

「これでいいわ。あとは智代と一緒よ」
「……」

 なんというか、こんな素敵な女から必死で選ぼうとしている俺はすごく贅沢者だなと思った 。



 その後電話とかで皆にも今度の転勤を伝えた。
 悲しそうにするもの、泣き出すもの、無事で帰ってくることを願うもの……皆俺のことを考 えて言ってくれた。
 だからこそ、今度の転勤は意味のあるものにしよう。そしてそれこそがこのハチャメチャ生 活の真の終り、だからこそ悔いのないものにしよう。そう自分に言い聞かせた。



 そして出発の日。駅には皆集まってくれた。せめて見送りはしたいそうだ。

「それじゃあ行ってこい。行って、一歩成長してこい」
「はい、芳野さん」

「これお父さんの作ったパンです。あの、頑張ってくださいね」
「ああ、渚こそな」

「おら、小僧。こいつはオマケの早苗のパンだ。しっかり食ってけ」
「私の……私のパンはオマケだったんですねー!!」
「ちょっ早苗……ええい! 俺は大好きだー!!」
「……何しに来たんだあの2人は」

「岡崎さんだけに特別のヒトデです。これは幸福のヒトデで……ほわーん」
「あー時間がないから、ちゃんと大切に持っておくからさ」

「医療方面で困ったことがあったらいつでも電話してください」
「ああ、どうすればいいかわからなくなったら真っ先に頼るよ」

「行っちゃう、行っちゃうの?」
「たった2,3ヶ月だから。だからそんな悲しそうな顔すんな」

「あちらのお友達にも朋也さんのこと伝えておきますね」
「あっああ、ありがとう」

「朋也くん、椋のことはあきらめないからね」
「勝平、お前それを言いにわざわざココまで来たのか」

「ふぅちゃんが電話してきても、ちゃんと相手してあげてね」
「わかってますって」

「ここにはいない兄の分まで応援させていただきます。勿論私の分の方が多いですけどね」
「はは、相変わらずしっかり、そしてちゃっかりしてるな」
「ちゃんとしっかりしなさいよ」
「美佐枝さんまで……はい、頑張ります」

 そして最後に杏と智代。

「アパートはあたしたちがしっかり管理しとくから。だから安心して行ってきなさい」
「それじゃあ、元気でな」
「2人とも、本当にありがとう」

 電車の出発時刻になる。俺は電車に乗り、指定席に座り窓の外を見る。皆が手を振っていた 。
 芳野さん…渚…おっさん…早苗さん…風子…椋…ことみ…有紀寧…勝平…公子さん…芽衣ち ゃん…美佐枝さん…そして杏と智代。
 たった2,3ヶ月いなくなるだけなのにこんなにたくさんの人が送ってくれる。
 俺は必死に涙をこらえた。
 ベルが鳴り、電車が出発する。
 俺は皆が見えるまでらしくないと思いつつも窓から手を振った。





――3ヶ月後。
 生まれ故郷の地を踏む、懐かしさがこみ上げた。意外と3ヶ月は長いものだ。
 あえて帰る日は皆には知らせなかった。その方が驚かせて面白いと思ったから。
 いつもこちらが驚かされる立場だ、たまにはこっちが驚かせてもなんのバチも当たらないだ ろう。
 自分のアパートへ向かう。果たして誰かいるだろうか。まあいなくても待ち伏せしておけば いいだろう。
 意気揚々とアパートへと歩いてゆく。驚く顔を想像しただけで笑いがこみ上げてくる。
 さあ、そこを曲がった先が我がアパートだ。
 アパートの様子は3ヶ月前となんら変わっていなかった。
 自分の部屋の前にたち、鍵を開ける。





 空っぽ。

「………………はぁ?」

 改めて部屋の番号を確認する。間違いなく俺の部屋だ、というかこの鍵で開いた以上間違い なく自分の部屋だ。
 ふと、何にもない部屋に1枚の紙を発見した。俺はおそるおそるその紙を見る。

『朋也へ。
追い出されました。新しい入居先は……』

 置き手紙に唖然とする。え、追い出されたって、新しい入居先って。
 久々にやな感覚ってのが背筋を走った。

『本当はもっと広くていいところがあるんだから!』

 ふと、3ヶ月前の杏の一言が思い出される。何この伏線。
 とりあえず住むところがなくなった以上この新しい入居先とやらに行くしかない。でも、俺 はこの住所を知っている気がする。
 俺の予感が確かなら、この住所は……



「やっぱり……」

 その住所はことみの家だった。確かにことみの家は大きいし、広い。3人4人もなんのその 。もっと住んでも大丈夫なくらいだ。

 も っ と 住 ん で も 大 丈 夫 ?

 いっいや、自分で考えたこととはいえまさかな。そんな非常識なことあるわけがない。
 とりあえず玄関前のチャイムを押す。

『はい』

 この声は智代の声だ。カチャという音と共に扉が開く。

「あっ……」
「やっやあ、ただいま」

 久々の再開。ちょっとどもってしまったのは何でだろうか、少し恐怖しているから? 何に ?

「と……朋也ぁ!」

 智代が抱きついてくる。むっ胸が! ちょっと幸せだと邪まなこと考えながらも智代との久 々の再会に喜びを覚える。

「みんなー! 朋也が帰ってきたぞ!!」

 智代はこの喜びを伝えようと大きな声で皆を呼ぶ……皆?
 仮に杏とことみだけなら2人ともでもいいはず、わざわざ皆と呼ぶ必要は――まさか。
 どたどたどた……。
 たくさんの足音、そして……

「本当ですか!」
「わー本当に帰ってきてます」
「お友達の言ってたことは本当でしたね、今日帰ってくるって」
「おかえりなさーい。ごめんねー、ちょーっと智代と喧嘩したら追い出されちゃって」
「お姉ちゃんたら関係ない人たちまで巻き込むんだもの。あれはちょっとじゃないよ」
「おかえりなさいなの」
「えへ、やっぱりあきらめきれませんでした。これからはガンガンいかせてもらいますよ」

 次々と出て来る知り合いに俺は唖然呆然。
 どこからつっこんでいいのかわからない。

「朋也、女の子だって積極的に攻めるのよ。好きな男が迷っていたら完全に自分を振り向かせ ようとするくらいね」

……オーケー、つまりはこういうことだな。
 ずーっとこの言葉にはお世話になりっぱなしだ。そしてこれからもきっと。
 俺は天にいる神様にも聞こえるような大きな声で叫んだ。



「こんなんどうせいっつーの!!!」




終り

あとがき(いつもより長め)
 この作品は多分俺の作品の中でもっとも楽しく書いた作品であり、評価された作品じゃない かなと思います。この作品目当てに色んな方々が来てくださり、サイトも大分繁栄しましたし 、リンクでの紹介もほとんどこれがオススメみたいなのにはこの作品の名前がありますしね。  えねま亭様、たぬきの散財日記様ではオススメ作品として紹介されてたりして本気でびびったのを覚えて います(リンク貼るの今更ですみません)。VERMEILLE様のToDaysでは更新されるたびに紹介されても のすごくありがたかったです。他にも、気付いていないだけでこっそりと協力してくださった 皆様もいるのかもしれません。
 BTさんにはDNMLにまでしてもらいました。DNMLを楽しんでいた一人として、自分の作品がその一 つになっていたとき本気で驚いてしまいましたよw CLANNADDNMLには優秀な作品が多くて、 なんか申し訳ない気分にもなったり。
 あとしまさん、DILM、ジニアさんなどには作品を見てもらって色々アドバイスをいただきま した。
 他にもたくさんの方々にWEB拍手で元気づけてもらったり、アドバイスをもらったり。WEB拍 手に関してはレスをあんまりしなくて本当に申し訳ございませんでした。でも、全部読んで、 見るたびに喜んでいました。後半少なくなったのは俺が面白さを維持できなかったからかなと ちょっと反省。
 ともあれこれでこの作品は一旦完結です。この作品は大好きなんで続き、もしくは補完(あ るいは外伝)的な作品を書くかもしれませんがとりあえずは完結。まあすぐに同棲シリーズのおまけ作品書くつもりですがね(ぇ
 最後まで読んでくれた方も、最初らへん読んで、途中で飽きて最終話だけ読んだって人も、 WEB拍手でなにか一言残してくれると嬉しいです。
 ほぼ一周年記念に最終回をするってのはなんか閉鎖しちゃいそうな感じなんですが(更新速 度も相当落ちたし)、これからも気まぐれに、マイペースでこのサイトは更新していきます。

 最後にもう一度、皆様この作品を読んでくださり本当にありがとうございました。

……しかし、オールスター物でこれほど春原が活躍しない作品も珍しいなと自分で思ったり。 最後も出てないしねw