「よお、渚」
古河パンに買い物に来た俺は、店番をしていた渚に挨拶をする。よくここのパン屋は利用するし、そのときに渚とも会話をするのだが、苗字で呼ぶと家族全員が反応してややこしいので下の名前で呼ぶようになった。
「あ、岡崎さん。こんにちは」
渚は相変わらずの笑顔で俺を迎えてくれる。ようやく高校を卒業した渚は現在は家事手伝いをしている。
目標はないのかと前尋ねたところ、「今はまだこのままでいいです」と答えた。まあ、アパート暮らしを手に入れて第一の目標を達成した俺自身、今後の目標なんて全く考えていないのだが。
「今日もオッサンと早苗さんは追いかけっこか?」
「はい、しかもいつもどおりのことで……」
「あの2人もよくあきないよな」
いつもどおりのこととは早苗パンの件に関してだ。このパン、とにかく味や形が独創的すぎて売れ行きが悪い。オッサンもそれをわかっているのか脅迫や罰ゲームによく使っている。杏が俺に対して使うぐらいだから効果は抜群だ。ただ、いつも早苗さんにばれては追いかけっこが始まる。最近じゃあれでお互いの愛を確かめ合ってんじゃないだろうかとも思う。
「んじゃ、ちょっとパンを選ぶから待っていてくれ」
「はい、わかりました」
俺は会話を一旦中断し、早苗さんのパンを選ばないようにパンを取っていく。相変わらずレインボーパンとかボンバーパンとか怪しげな名前がついていて、その姿も個性的なので判断がしやすい。さり気に高校の食堂で見た『竜太サンド』が混ざっていたが見なかったことにした。
どうせだし、智代や杏の分も買おうといつもよりちょっと多めに選ぶことにする。
パンを選び終えた後、再び渚のいるレジへと持っていく。
「今日はいつもより量が多いですね、誰かへのおみやげですか」
「あ、ああ、まあな」
渚の質問に曖昧に答える。『杏や智代へのおみやげです』なんてとてもいえやしない。渚のことだからそんなことはないとは思うが、もしどうしてとか問い詰められたりしたらうまく答えることができないからだ。
まして実は2人と同棲しちゃってますなんてことがばれたりしたら、社会的に俺の立場が危うい。
PILLL PILLL
突然、俺の携帯が鳴り出した。やはり仕事は休日をもらった日でも緊急に舞い込むことがある。しかし俺も必ずしも家にいるとは限らないので、たまに俺の元まで連絡が届かないで迷惑をかけたことがあった。そんなときどこにいても連絡が取れるようにと仕事を始めてしばらくしてから買ったものだ。
見てみると、芳野さんからのメールだった。どうやら明日は仕事は休みらしい。
「岡崎さんも携帯持ってましたか」
しげしげと少し嬉しそうに俺の携帯を眺めてくる渚。そういえば渚には携帯持ってること伝えてなかったっけ。渚のことだからそういうの持っていないだろうと思って伝えなかったんだが。だが、さっき「も」って言ったよな?
「ということは渚も持っているのか?」
「ええ、最近買ったばかりですが。その……こういうのちょっとうらやましかったので」
どうやら渚もこういうのにあこがれるらしい。どこら辺にあこがれたのかはわからないが携帯を持っているならやることは一つ。
「あの、電話番号……」
「じゃあ携帯の番号教えるからそっちも教えてくれよ。ついでにメールもな」
渚が何か言おうとしていたが先に俺のほうが言い切る。
「あ……はい!」
俺の言葉に渚はしばし呆然としていたが、やがて立ち直ると嬉しそうに返事してくれた。
「じゃあちょっと番号とメールアドレス見せて」
携帯を借り、渚の電話番号とメールアドレスを自分の携帯に登録する。その後渚に携帯を返した後、メールに俺の電話番号を貼り付ける。やがて、渚の携帯が鳴り出した。
「わっわっ」
「どうした? まさか使い方よくわからないのか」
慌てている渚を見て、もしかしたら初心者ではと判断した俺は確認のため聞いてみる。
すると渚は恥ずかしそうにうつむきながらコクンとうなずいた。
「しょうがないな……ほら」
そういって携帯電話の操作を教える。とはいえ、俺だってメールと電話ぐらいしか使わないから本当にごく基本なことばかりだったが。
一通りのことを教えた後、ふと面白いことを思いついた。
「じゃあ大体基本はわかったよな」
「はい、なんとか……」
「それじゃあ宿題。明日の朝、俺にモーニングコールをすること」
「はい……ってええ!」
突然出された宿題に驚く渚。顔中に動揺がはしっているのがよくわかる。
「なんか恋人みたいで恥ずかしいです!」
「そこまで大げさに考えなくてもいいからさ。まあ本当に使えるようになったか試す意味でもな」
「はい……」
まだ完全には納得していないようだが渚はうなずいた。顔じゅう真っ赤にしているが、渚のことだから頑張ってやってくれるだろう。その様子を思い浮かべるだけで、俺は明日の朝が楽しみになった。
――そして次の日の朝、
PILLL PILLL
携帯がなると同時にパッチリと目が覚めた俺は智代と杏が反応する前にすばやく携帯を取る。勿論携帯に表示されている電話先には「渚」の文字があった。
一体渚はどんな言葉で挨拶をしてくれるのだろうか。恥ずかしそうにしながら一生懸命『おはようございます、今日も頑張りましょう』なんて言ってくれるのかもしれない。そんな風に期待しながら携帯に出る。
「あっ! 岡崎さん、大変なんです! お父さんがぎっくり腰で……」
初めてのモーニングコールはエマージェンシーコールだった。
『同棲(どうせい)っつーの』第4話(前編)
「いててて……」
俺の目の前には腰を痛めて寝込んでいるオッサンの姿があった。なんでも、早苗さんを追いかけていたときに早苗さんが逃げる道の途中にあった階段で足を踏み外してしまい、それを受け止めたときに腰を強く打ったそうだ。
こんな朝早くにそんな騒動を起こすのはこの家族ぐらいだろう。
「おいおい、大丈夫かよオッサン」
「うるせー! お前に心配されるほどまだ俺は弱っちゃ……いてて」
オッサンは立ち上がろうとしたものの、痛みのあまり再びもとの体勢に戻る。あのオッサンが動けないぐらいだからその痛みはよっぽどのようだ。
「秋生さん、無理をしないで安静にしていてください」
隣では早苗さんが看病をしていた。すごく心配そうな、それでいて申し訳なさそうな顔をしている。事情を聞く限り原因を作ったのは早苗さんだから仕方ないことなのだろう。
しかし、オッサンはそんな早苗さんの様子を見て真面目な顔をして言った。
「早苗、お前は悪くねえ。だからそんな顔をするな」
「秋生さん……」
ああ、やっぱりオッサンはいざというときかっこいい。早苗さんが選ぶのもわかる気がする。
「そして今日は一日中俺の看病をしてくれ」
前言撤回、単なる甘えん坊親父だ。早苗さんも困ったような顔をしている。
「そうです、こういうときだからこそわたしたちに任せて2人で過ごしてください」
ただ、渚もオッサンの意見に賛成らしく早苗さんに意見している。それでも早苗さんは首を縦に振らない。
というか『たち』? 多分俺のことだろうが。
「でも、パンの販売が……」
「けっ、何のためにこいつがいると思っているんだ」
そういって俺の方を指差す。一気にみんなの注目が集まった。
「え、俺?」
「すまないが、渚と一緒に仕事をやってくれねえか」
オッサンが俺に頼みごとをしている……それはすごく信じがたい光景だった。
「わたしからもお願いします」
「岡崎さん、すみませんがお願いできますか?」
渚と早苗さんからも頼まれる。正直、断りづらい。
最も、こうなるであろうことは電話で呼ばれたときからなんとなく予想はしていたことなので別に断る必要もなかったが。
「ふぅ、いいぜ。別に仕事なくて暇だったし……」
家に居てもとても休まりそうになかったし。さすがに口には出さなかったもののそれが俺の本心だった。
「ありがとうございます、それじゃあ一緒に頑張りましょう!」
「ああ」
俺は渚と一緒にレジの方へと降りていった。
「……行ったか?」
「ええ」
「しかし、渚のためとはいえ小僧にお願いごとをしなけりゃならんとは……」
「その代わり2人の時間も増えたからいいじゃないですか」
「……だな」
「ところで、秋生さんが早く元気になるようにと『スーパーレインボーパン』を作ってみたんですけど」
「早苗、愛してる」
「ええ、わたしもです。ところで……」
「早苗、愛してる」
「ええ、わたしもです。ところで……」
「早苗、愛してる」
「ええ、わたしもです。ところで……」
「さあ、皆で頑張りましょう」
「ああ、だけどな……」
エプロンをしてレジに立つ俺と渚……
「私たちも手伝うぞ」
「あたしたちの力で売り上げもUPよ」
……と、智代と杏の姿。
「なんでお前らがここに?」
「朋也が慌ててアパートから飛び出していったからさ。どうしたのか気になって」
「悪いが朋也の後をつけさせてもらった」
どうやら俺は気付かないうちに2人につけられていたらしい。というか、この2人そんなこと一緒にするぐらい仲良かったか?
多分、同じ目的のためなら敵味方関係ないってことだろう。呉越同舟ってやつか。
ちなみに、智代と杏と渚は高校で既に知り合っている。渚が簡単に2人の手伝い要請を受け入れたのはそのためだ。
「アパート、後をつけるって……」
「わあああああ! たまたまだよな! なっ!」
2人の軽率な発言に反応した渚。それをごまかすように大きな声で偶然を強調する俺。
そのまま2人に近づき、渚に聞こえないように忠告する。
「(おい、渚には一緒に暮らしてること伝えてないんだから内緒にしておけ! いろいろ俺の立場とか危ういから)」
「(ふむ、まあこれ以上人が増えると厄介だしな。安易な発言は控える)」
「(ごめんね、ちょっと軽率すぎたわ)」
2人とも理由はどうあれ納得してくれたようだ。
「えっと、じゃあ役割分担をしますね」
一番この仕事をよく知っている渚がそれぞれの役割を決めていく。
「それでは藤林さんと坂上さんは売り子をよろしくお願いします。岡崎さんはレジをお願いします」
「最初にちゃんと指導してくれるんだよな」
「はい、わたしも一緒に手伝いますので」
レジ打ちとかそういった経験は全くないものの、渚も手伝ってくれるからおそらく大丈夫だろう。ただ……多少の冷や汗をかきながら俺は2人の方を見た。
「智代、どっちが客を多く入れるか勝負しない?」
「いいだろう、やってやろうではないか」
正直この二人を売り子にするというのはすごく不安なのだが。しかも最初っから競争意識燃やしちゃってるし。
「そして勝った方が……後は言わなくてもわかってるわね」
「ああ、朋也のことだな」
しかもなんか俺賞品にされちゃってません?
言わなくてもわかるって、俺は聞かんと不安で不安でしょうがないのだが。
一方、渚の方はその様子を少しぼぉっとした様子で見ていた。2人の話にあきれているのだろうか? 俺は渚を呼ぶ。
「どうした渚」
「えっ? いや、なんでもありません……。それでは始めましょう」
俺の言葉で気を取り戻した渚は、仕事の開始を告げる。
既に作っておいたパンを並べた後、シャッターを開けた。
「さあて、どうなることやら」
店内を一通り見渡し、渚、智代、杏の3人を見た後俺はつぶやいた。
ただ何事もなく無事に終わることを祈りつつも、おそらく「どうせいっつーの」的な状況になるんだろうなと予感しながら。
後編に続く
なか書き
うい、時間がないのともう少し長くなりそうなので前後編にしてみました。というか途中までことみ書いてたんですけど、途中で詰まってしまって(汗
できるだけ早く後編は仕上げたいと思います。ご意見、ご感想とありましたらWEB拍手の方にでもどうぞ。
あと、WEB拍手や掲示板で応援してくださったふぁるさん、シンさん、海優さん、秋明さん、そしてその他にもたくさんの皆様方、どうもありがとうございました。今後とも応援していただければ幸いです。