「よし、じゃあ今日はここまでだ」
芳野さんから仕事の終わりが告げられる。
「ういっす」
返事をした後、軽トラの助手席に乗り込む。高校を卒業した後芳野さんのコネで電気工に就職した俺は必死に働いていた。最初の頃はひどい疲れと痛みに襲われていたものの、今はそれほどでもなくなっている。
最も、それでも俺は未だひよっこには違いないのだが。
「そういえば岡崎」
「はい、何でしょうか」
「お前アパート借りたんだってな」
「ええ、それが一応最初の目標だったもので」
俺が必死になって働く理由。その目的は一人暮らしをするためだった。
未だに親父との関係がこじれたままなので家に居てもちっとも休まる気がしない。高校時代ならある程度の時間まで春原と……いや、春原で遊んでいればよかったものの、今春原は他の場所で働いている。一時期は親父が眠る頃になるぐらいまで外で遊んでみたが、それも自分に合わなくてやめた。
それを解決するために俺が思いついた手段は一人暮らしをするということだった。
以来、しばらくの間我慢すればあの親父とおさらばできる――そういう思いで必死に働いた。そしてつい昨日、念願かなって一人暮らしをするようになったのである。
「それで、誰かと一緒に住むのか」
「いえ、一人です」
「そうか……岡崎、一人には限界がある。だから人は人生においてパートナーを見つけなければならない」
また始まったか……。俺は思わず頭を抱えた。芳野さんは近々結婚するらしい。本当はもっと早い時期に挙式するつもりだったのだが、事情があってできなかった。
しかし、その事情が最近になって解消されたらしい。そのときの芳野さんは冷静を装ってはいたものの、はたから見ればすごく嬉しそうに見えた。そしてことあるごとにこういう話題につなげていったものだ。
今でもその傾向はおとろえてなく、うんざりすることは多々ある。だけど、嬉しそうにしている芳野さんを見ているとうんざりを通り越してうらやましくもなってくる。
でも、今の俺が女性と触れ合う機会はほとんどない。パンを買いに行くときに古河と軽く話すくらいである。
思えば、高校時代が一番女性と話した気がする。たった一年前とはいえ、すごく昔のことのように感じられる。皆今頃何しているんだろうなあ……。
そんなことを考えていると、やがて軽トラが事務所についた。
「岡崎、着いたぞ」
「あ、はい。お疲れ様です」
芳野さんに挨拶を済ませ帰宅する。今日からは実家ではなくアパートの方へだ。このことは既に親父に話してある。俺を他人としか見ない親父との会話は吐き気がしたが、もう二度と会うこともないだろう、そう考えることによってなんとか頑張って耐えることができた。
苦難の末あってようやく手に入れた俺だけの安息の場所――そう考えると、どこぞの豪勢なお城よりずっと魅力的なものに思える。
そんなちょっと馬鹿らしいことを考えながら帰路を歩き、もう少しでアパートにたどり着くというところで、俺は違和感を覚えた。
「部屋の明かりが点いている……?」
確かに俺は仕事場に向かうとき、きちんと電気は消したはずだ。それに何故か換気扇から流れ出てくる煙……。そこで俺の脳裏にふと嫌な予感がよぎる。
もしかしたら鍵を閉めるのを忘れてしまっていたかもしれない。すると、あの明かりは……もしや泥棒? そしてあの煙は必要なものを取ったあと証拠隠滅のための放火?
「はは、そんな馬鹿な……」
口ではそう言いつつ、足は自然とはや歩きになり、そして走りへと変わる。万が一というのがありえるからだ。
だんだんと俺の部屋が近づいてゆき、そしてドアの前へとたどり着く。疲れている体に鞭打って走ったためか既に息切れを起こしていたが、中に誰かいると考えて息をひそめ、そしてノブを回しドアを開ける。
扉の向こうには――
「ああ。朋也、おかえり。いや、久しぶりの方が先だろうか」
何故か、智代の姿があった。
『同棲(どうせい)っつーの』
唖然としている俺の前で、智代は言葉を続ける。
「思えば1年半以上会っていなかったんだな。とても長かったぞ」
「な……」
「まずは風呂にでも入ってきたらどうだ。既に沸かしてある」
「な、な……」
「着替えは後で持ってくる。大丈夫、場所は既に心得ている」
「な、な、な……」
「つもる話もあるからな、食事ももう少ししたらできる……」
「なんでお前がここにいるんだー!!」
隣人がいることにもかかわらず叫んでしまった。智代の方はというと突然の大声に驚いているようだ。
「思わず驚いてしまったぞ。近所の人に迷惑がかかってしまうからやめた方がいい」
「ああ、それは俺も思った……って話をそらすんじゃない!」
「なんで場所をってことか。そのことなら朋也の親父さんに聞かせてもらったぞ」
「そっちじゃなくて……」
軽いめまいを覚える。確かにそっちも後々聞こうとは思っていたことだが。
しかし……智代がまさか親父から俺の居場所を聞くなんてのは全く予想外のことだった。そもそも、智代が俺を探していたこと自体を考えすらしなかったから当然のことだが。
とにかく、今はそっちじゃない。本来の話に戻ろう。
「どうしてお前は俺を探してたんだ?」
すると、智代は真剣な表情になって話し始めた。
「私は生徒会長になれた。なることで叶えたい目標もかなえることができた。友人もたくさんできた……」
智代だったら全て達成できるようなものだなと俺は聞きながら思った。確かに、智代は昔は荒れていた。それは事実だ、曲げようがない。
しかし、彼女は俺とは違い努力をして信頼や未来を得た。それゆえ、俺のような不良が普通に友達のように接していていいのだろうかとも思った時もあるぐらいだ。
「だが、高校時代に手に入れられなかったものがある……」
智代が手に入れられなかったもの……はっきり言って全く思いつかん。智代だったら望めばどんなものでも手に入れられるはずだ。智代ならそれに対する努力は惜しまないから。
「だからそれを手に入れるためだ」
「なるほど……」
智代がそこまでして手に入れたいもの……皆目検討がつかんが、それを手に入れることに対して強い意思を持っていることは確かだった。
「まあとりあえず、大学に入ってから手に入れようと考えたんだな」
おそらく智代が手に入れようとするものは高校にいる間では達成し難いものだったのだろう。そこで大学に入ってからそれを手に入れようと考えた。だからわざわざ高校時代と限定して言ったに違いない。
「まあ……そういうことになる」
智代が認めた以上俺が考えたことは間違いないようだ。ただ、なら何故俺を探していた?
いや、そこから間違っているのかもしれない。もし、俺を探しているのではなかったとしたら……もしかしたらと思い智代に尋ねてみる。
「もしかして智代の通う大学ってこの近くか?」
「当たり前だ」
当たり前とまで来たか。それで俺は確信した。そう、つまり俺ではなく大学に近いこのアパートに住んでいる知り合いを探していたのだ。そんなことをするということは他の近くのアパートは全部埋まっていたということだろう。そう考えると俺は早めに予約しておいてラッキーだった。
「これは俺の勘だが、しばらくの間ここに置いてほしいと。そうじゃないのか?」
「……いいのか?」
智代は先に出てしまった結論に戸惑っているようだ。まさかここまで当てるとは……俺の推測もなかなかのものだな。『他の部屋が空くまで』ってのは言いそびれたが、まあそれは智代自身がわかっているだろう。
「ああ、構わない。結構広い部屋だしな。ただ、ちょっとした事故は大目に見てくれ」
「勿論だ。しかし、ここまでとんとん拍子に話が進むとは思っていなかったから夢じゃないかと思ってしまうぞ」
「はは、ところで大学に入ってから手に入れようと考えてるものって何なんだ?」
俺の推測でも考え付かなかった部分を聞いてみる。きっとすごくびっくりするようなことなのだろう。
「ん、決まっているじゃないか。朋也だ」
「へぇ〜そうか朋也か。それは驚いたな」
「しかし、それも簡単に達成できそうだな」
「ああ、お前なら簡単に達成できるよ……」
「……って、何ィ!!?」
俺はまたもや大声で叫んでいた。
「朋也、さっきも言ったじゃないか。近所に迷惑だと」
「いっいやだっておおお前の目標っておっ俺!?」
全く予想だにしなかった展開にてんやわんやしてしまう。言葉もうまく出てこない。
「ああ、他のどんな人と話してもお前と話しているときのあの雰囲気は得られなかった。そのとき気付いたんだ。私にとって最も手に入れるべきなのは朋也なんだと」
智代は俺の問いかけに答えてくれた。しかも男としてはこれ以上ないってぐらい胸に来る告白で。
しかし、今の俺はそっちよりもむしろ智代と一緒に住むことを了承した自分に対して後悔していた。一時的な住まいとして貸すつもりだったものが、一転して同棲と呼ばれるような状況になってしまった。
つか、俺の推測って全然方向間違ってるじゃん……。
「これから、2人で頑張っていこう」
「あっああ……」
ようやく手に入れた俺だけの安息の場所――それはたった一日で崩壊してしまった。
これからどうなるんだろう……つか、これからどうせいっつーの!!
つづく?