「ふぅ……」
学校終了後。僕は部屋に向かいながら、今日一日の疲れを吐き出していた。
最近では毎日がこんな感じだ。
その根本的な原因は、僕の恋人が生み出す騒動に起因している。
彼女はなんというか、少し暴走しがちな女の子だ。
休み時間のたびに教室にやってきては、やれ僕の上に乗ってみようとしたり、二人羽織をすれば一緒に授業受けてもばれないとか言い出してみたり、赤い糸で結ぶとかいって縄を持ち出してみたり。
その行動自体と周囲からの反応もあわせて起こる騒動は、毎日僕から気力も体力も奪い取っていた。
それを少し楽しく感じる自分もいるのだけど、さすがに度が過ぎると困る。
僕はゆっくり休んで明日への英気を養うべく、部屋のドアを開けた。
「きゃああっ!!」
「わあっ、ご、ごめんっ!」
途端に響く女子の絶叫。その声と、たった今網膜に焼きついた半裸の女の子の肢体に、慌てて僕はドアを閉じる。
「び、びっくりしたぁ」
まさか、中で着替えているなんてのは予想外だった。着替えが終わったら、改めて謝らないといけない。
ノックもせずにドアを開けるなんて軽率だった。例えここが僕と真人の部屋で、本来なら中に佳奈多さんがいるはずがないといっても――
「……あれ?」
何か、おかしい。
ここは男子寮の、僕と真人の部屋だ。扉を確認しても間違いない。
この部屋の中で着替えるのは僕か真人だけであり、まかり間違っても佳奈多さんではない。
「何で部屋にいるのさっ、佳奈多さんっ」
ようやく僕はツッコミを入れた。
『ダメな佳奈多さんが部屋に遊びに来た』
とりあえず、佳奈多さんの叫び声で誰かが来たりしないかと周りを見回していると、扉越しにくぐもった声で佳奈多さんから返事が来る。
『ちょっと直枝に用事があったのよ。けど、留守だったから中で待たせてもらうことにしたの』
「いやいやいや、鍵かかってたでしょ」
『マスターキーがあるわ』
「何で佳奈多さんが持ってるのさっ」
『あら、寮長特権よ』
「男子寮の寮長は僕だよっ」
それに、マスターキーの使用は緊急事態に限られる。
ただ単に部屋で待ち伏せするためだけに使っていいはずがなかった。
「佳奈多さん、僕からもちょっと話があるから早く着替えてね」
ここらで一度、佳奈多さんにはびしっと言っておかなければならない。
『もう部屋に入ってきていいわよ、直枝』
「うん、わかった」
さて、相手はあの佳奈多さんだ。生半可なことでは説得できないだろう。
なんと伝えるべきか考えながらドアを開け、僕は第一声を放った。
「何で裸になってんのさっ!!」
先ほど半裸だった佳奈多さんは、見事に服を脱ぎ捨てていた。
今となっては、靴下オンリーである。かろうじて胸や股などは手で隠しているけど、下着もつけていない。
「何よ直枝。あなた、さっきは服を着ろとは言ってないじゃない」
「そりゃ言ってないけど、まさか脱ぐとは思ってなかったよっ。大体、だからといって裸になるのはおかしいよねっ!?」
「全裸健康法よ」
「お願いだから自分の部屋でやってっ! 切実にっ!!」
今まで佳奈多さんがそんなことしているの聞いたことないとか、厳密に言えば全裸じゃないとか、そんな些細なことはどうでもよかった。
「仮にも恋人の裸を見ておいて、その反応はなんなのよぅ」
「うっ……」
すねて口を尖らせる佳奈多さんに、思わず言葉を詰まらせる。
そりゃ、僕だって興味はあるし、嬉しくないわけがない。でも、こういうことはもっとしかるべき時と場所で、ムードとか手順とかを大事にするべきことだ。
佳奈多さんにそれを噛み砕いて説明すると、彼女は上目遣いに尋ねてきた。
「じゃあ、直枝は私の裸が見れて嬉しい?」
「うう、それは……」
嬉しい。けど素直にそれを認めていいものか。
「まったく、直枝は強情なんだから」
ふっ、とやさしい笑みを浮かべた佳奈多さんが、僕の頭をぽんぽんとなでる。
「隠さなくたっていいのに。照れ屋ね」
「佳奈多さんは隠してよっ!!」
当然、そんなことをされると佳奈多さんの胸がまるみえだった。
うわぁ、おっぱいが、おっぱいがぁ……。
「と、とにかく、服を着てよ」
このまま言葉で言っているだけでは埒が開かない。佳奈多さんの脱いだ服まではいささか距離があったので、僕は自分の上着を佳奈多さんにかけてやる。
「大体、鍵もかけずに着替えるなんて無用心だよ。もし真人が入ってきたりしたらどうするのさ」
憮然とした表情で言う。
さっきから気になっていたことではあったのだ。たまたま僕が入ってきたからいいものの、ここは僕だけの部屋ではない。真人が何かするとは思えないけど、それでも着替え中の佳奈多さんを見られたらと思うと、いい気持ちはしなかった。
「大丈夫よ、直枝」
しかし、そんな僕の懸念を吹き飛ばすかのように、佳奈多さんは笑顔になる。
「留宇務明人は転校しました」
「鬼隠しっ!?」
「それにちゃんと廊下の様子を伺って、直枝の姿が見えてから脱ぎ始めたわ」
「計画通りっ!?」
「けど、さすがにこの格好だけじゃ寒いわね」
「当たり前だよっ」
真人の行方とか色々気になることもあるけど、とりあえず佳奈多さんに服を着てもらうのが先だ。多分、真人はまた謙吾の部屋だろうし。
「まったく。寒いのなら早く服を着ればいいのに。
僕はそういいながらも、内心では佳奈多さんに服を着せたくなかった。
先ほどから何とか理性的に振舞っているけど、佳奈多さんの裸を目の前にして、僕は獣になりそうになっていたのだ。
そんなことしちゃいけないと言い聞かせているけど、このままでは自制心が持ちそうにない。
そう思っていると、佳奈多さんが僕に抱きついてきてささやいた。ねえ、直枝。このままでは寒くて凍えてしまうわ。直枝の体で暖めて、と。
寒いときは人肌で暖めるのが一番だから、それは理にかなった行動だ。
ああ、そうか。僕は今理解した。これは人助けなんだ。
寒さで震える恋人を救う、正当にして尊い行為なんだ。
僕はいったい何をためらっていたのだろう。
意を決すると、僕は服を脱いで佳奈多さんと同じく全裸になる。
生まれたままの姿になった僕等は、ベッドへと入り、まずはお互いの体を愛撫し始め――」
「ストップ。ストーップ!!」
「何よ直枝。ここからいい所なのに――あら、ごめんなさい、私としたことが。そうよね、言葉だけじゃ満足できないわよね。実践しなきゃダメよね。直枝も早く準備なさい」
「何をピンク色の妄想をナレーションした挙句に僕のシャツのボタンに手をかけてるのさっ!!」
慌てて佳奈多さんを引き剥がす。
あ、危なかった。もう少し我に返るのが遅かったら、ナレーションのとおりになっていた恐れもある。
とにかく早く佳奈多さんに服を着せて帰そう。じゃないと危険だ。色々と。今も見えてるし。
「佳奈多さん。何度も言うけど早く服を着てよ」
「あら、手が滑ったわ」
ばしゃ、と佳奈多さんがコップに入った水をぶちまけた。先ほどまで自分が着ていた服の上に。
「服が濡れちゃったわ。これじゃ着れないないわね。困ったわ」
「今の明らかにわざとだよねっ」
その対応は予想外だったけど、幸いにもここは僕の部屋だ。
ということは当然、僕の着替えがある。男性用ではあるけど、佳奈多さんを部屋に帰すまでなら何とかなる。
「もう、仕方がないから僕の服を着ていいから。服着てよ、ね、佳奈多さん」
もはや懇願だった。
「そう? わかったわ」
ようやく思いが通じたのかうなずく佳奈多さん。
そして再び僕のシャツのボタンに指をかけ、それをはずそうとする。
「今着てるのは貸さないからねっ!」
「残念ね」
そろそろ僕をいじるのにも満足したのか、僕の言葉に素直に手を止め、佳奈多さんは服を着始めた。
それを確認した僕は、佳奈多さんに対して背を向ける。着替えをまじまじと見るのはマナー違反だろう。
「着替え終わったわよ」
佳奈多さんの声に恐る恐る振り向く。
「やっぱりというか、ちゃんと着てよっ」
前をはだけた大き目のワイシャツを着た佳奈多さんは、胸元とか鎖骨とか太ももとかを服の間から覗かせていた。
「そう、思った通りね」
「何が?」
「直枝って少しムッツリなところあるじゃない? だから直接的なのより、チラリズムとかの方が好きかなって思ったのよ。裸になった時より興奮気味よね」
「興奮は別の理由だよっ」
ああもう、話が進まない。ムッツリとかにも言いたいことはあるけど、とりあえず服を着ている分だけ、全裸よりはましだろう。
「もう分かったから大丈夫よ。今日のミッションは成功だわ」
「ミッションだったんだ……最初に部屋を開けた時、脱いでたのも?」
「直枝、ああいうのも好きそうだし。やっぱりキーワードは、恥じらいとチラリズムね」
「うう……」
我慢だ、我慢だぞ、僕。
「ちなみに、卒業後に同棲をする際の予行演習もかねてるわ」
「今さらりとすごいこといったよねっ」
「さ、ちゃんと服を着たわ」
言葉どおり、今度はちゃんと服を着ていた。
自分の私服を佳奈多さんが着ているという光景は妙な気持ちになるが、さっきまでのことを考えればなんてことはない。
「ねえ、直枝」
「どうしたの?」
「男性が女性にアクセサリーを送るのって、一種の支配欲の現われっていう話を知っている?」
「聞いたことはあるよ」
相手が常に身につけるものを送るのは、乱暴な言い方をすればペットの首輪と同じって話だ。
「いわばマーキングよね。直枝ってば、自分の服を私に着せたりして、そんなに自分のものだって主張したいのかしら?」
「いや、そのりくつはおかしい」
どう考えても、僕の選択肢はこれと突き進むことの2択しかなかった。
「じゃあ佳奈多さん、あとは自分の部屋に戻って、ちゃんと自分の服に着替えてね」
「ええ、分かってるわよ。お邪魔したわね」
濡れた服を回収して、佳奈多さんは去ってゆく。服を着るまでの強情さから考えると、実にあっさりとした撤退振りだった。
「はぁ、疲れた……」
途端に、部屋に来るまでに感じていた疲れを思い出す。
しかも、それはさっきよりもより重く圧し掛かってきた。
とにかく早く寝よう、とベッドに視線をやる。と、そこにはなにやら見慣れない物体があった。
ひらひらした、ピンク色の小さな布。
……言葉を濁して認識を邪魔しても無理だった。どう見てもパンツだった。
そしてそれには、メッセージカードが添えられていた。
『大事に使いなさいよ 佳奈多』
「いったい、何に使えって言うのさああぁぁっ!!」
僕にはそう叫ぶことしか出来なかった。
おわり
あとがき
WEB用のリトバスSSは実に久しぶりです。
最近この光神社の顔となっているダメな佳奈多さんなわけですが、爆発力はすさまじいですね。
本当は最近になってはまった別作品のネタを考えていたのですが、半裸の状態を見られるというシチュで、もしダメかなだったら、と思った次の瞬間ネタが降り注いできました。
その熱が冷めないうちにプロットをくみ上げ、完成まで行きました。
あんぱんの本家ダメかなとは若干異なるかもしれませんが、私が書くとこんな感じです。