べたべた
「風が気持ち良いな」
「うん、今日は涼しくなって良かったの」
一ノ瀬宅の庭に面した窓をあけ、俺とことみは火照った体に夜風を受けていた。
火照った、と言っても何か運動をしていたわけではない。残念ながら、いわゆる男女の営みという奴でもない。そもそも、そんな事を出来る状況にはないのだ。
家の中に目を移せば、廊下につけられた明かりが確認でき、その先にある一部屋からは人の気配もする。杏、藤林、古河の三人は、そこにいるはずだ。
ことみの誕生日から、三ヶ月ほど経った日。
今日は、バイオリンの贈呈式だった。
遅れてしまった誕生日プレゼントを渡すということで、俺達は今年二度目のことみの誕生会を開いていた。
杏が、カンパした全員を召集したため、結構な大騒ぎになっていた。もちろん、召集された全員が来たわけじゃないが。
沢山の人達に祝ってもらえる誕生会。それが開けて、本当に良かったと思う。
昔、俺が子供だったころ。俺はそのころに一度、ことみの誕生日を祝うという約束を果たせなかった。
別にその代わりというつもりではないけれど、あの時果たせなかったことが、こうやって実現できたのは嬉しかった。
正確には、誕生会ではなく、誕生日プレゼントを贈る会ということだが、些細なことだろう。
「それにしても、ずいぶん上達してたな。ヴァイオリン」
「とってもとっても練習したの。皆に聞いて欲しいって。だから、嬉しかった……」
「そうだな。合唱部の連中にも、色々教わってたからな」
「仁科さんはとっても上手なの。きっと、とっても音楽が好きなんだと思う」
「歌も一生懸命だしな。ことみのヴァイオリンにあわせて歌った時は、さすがにビックリしたぞ」
合唱部の三人は、ことみのヴァイオリン演奏の曲の一つに合わせて、歌を歌うなんてことをやったのだ。しかも、古河のカスタネット、藤林のトライアングル付き。
果たしてこんなので演奏になるのかとも思ったが、楽器が明らかにちぐはぐなことを除けば、それなりに聞けるものだったように思える。それぞれ上達はしていたし、合唱部の歌はなかなかのものだった。
「まあ、そこまではいいとしてだ。問題はヴァイオリンの演奏会が終わってからだったな」
「皆でパーティーをするのは、とっても楽しかったの」
「いや、そりゃ最初は普通に楽しかったが……」
皆それぞれ持ち寄ってきた食料に、藤林と古河が買ってきた食料、そしてことみの作りすぎたお菓子のおかげで、食べるものに不自由はしなかった。
きれいな庭での立食パーティーは、普段この庭を見なれている俺からしてみても、何処か不思議な光景だった。
わいわいがやがや、楽しそうに過ごす人達と、暑い陽射し。時折ふく風が、俺達を取り囲む芝や花の香りをより強く運んできてくれて、何処か日常とは離れているような気がした。
「アルコールはやっぱりまずかっただろう」
「朋也くんは、苦手?」
「そういう意味じゃなくてだな、暴走する輩が出るってことだ」
「春原くん」
「ああ、切っ掛けはあいつだったな……」
どうも、参加者の誰かが、アルコール飲料を持ってきたらしい。
しかも、それが何時の間にか、色々なところにしかけられていたのだ。
その結果、酔っ払いが続出した。といっても、軽く酔っている程度ならば問題ないし、全員が酔っ払っていたわけでもない。
しかし、何処の世界にも、問題を起こす奴はいるものだ。
酔っ払った春原が、いきなり叫び声を上げたかと思うと、ボンバヘッを叫び出した。なぜか、手にカスタネットを持って。
「そして渚ちゃん」
「あいつも酔っ払ってたんだろうな。酒には弱そうだったし」
対抗するように、なぜか始まるだんご大家族。トライアングル付だった。皆テンションがおかしかったのだろう、それに続くように、あちこちで、ばらばらな歌が始まった。
誰かの別の歌にかき消されないように、皆が声を張り上げる。誰もがばかみたいに、好きな歌を歌いつづける。
搾り出すように、慈しむように、楽しそうに、思い出に浸るように、歌いつづける。
「そこから、また加速していくんだよな」
「歌うと、飲み物が欲しくなるの」
「もう皆、区別なく飲んでたからな。大変だった」
「でも、楽しかった……」
「まあ、確かにな。青空の下で、こんなに声を張り上げて歌ったのは久しぶりだ」
どうも、その後さらにアルコール飲料を摂取するのが続いたようだった。場の雰囲気は、さらにヒートアップする。
好き勝手な独唱がいくつも集まって、もうわけがわからなかった。
「終わっちゃうと、ちょっと寂しい」
「ま、お祭り騒ぎの後は、そんなもんさ」
そんなパーティーも、日が暮れていくにしたがって場の雰囲気が静まってきて。
いくつもあった歌が、一つ一つ少なくなっていって。
それがほとんどなくなったころ、解散の合図が出た。
別れの言葉を口にして、だんだんだんだん人が減っていく。
そして今残っているのは、いつもの5人だけだった。
「結局5人とも、酒飲んじゃってたけどな」
「うん、寝ちゃってた」
「まさか、古河、藤林に続いて、杏までダウンするとはな」
そうそうにダウンしていた古河と藤林は、先に家の中に運び込んでいたのだが、解散してほとんど人がいなくなったあたりで、意外なことに杏まで眠ってしまったのだ。
その杏を家の中に運び込んで、俺とことみは、人のいなくなった庭を眺めつつ、のんびりと語らっていた。
「なあ、ことみ」
「?」
「今更だけどさ、あの時、誕生会に来れなくて、ごめんな」
「あ……」
「本当はさ、あの時に、今日みたいに沢山の友達を連れてきて、一緒に祝ってあげたかったんだ。けど、誰一人として連れてこられなくて、会わせる顔がなくって行けなかった」
そして、俺が行った時にはもう、このいえには泣き伏す彼女しかいなかった。
「約束、破っちゃって、ごめん」
ことみは、ふるふると首を振って、俺の手を優しく包み込んだ。
「そんなことないの。ちょっと遅れちゃったけど、朋也くんは約束、守ってくれた。とっても嬉しかった。ありがとう」
そうして、微笑む。その笑顔が、俺はとても好きだった。
「ねえ、朋也くん。もう一つの約束憶えてる?」
「もう一つ……?」
「うん。私、もう十八歳」
記憶になかった。おそらく、俺にとっては、さほど深く考えもせずにした約束だったのだろう。
しかし、ことみの嬉しそうな様子を見る限り、ことみはずっとその約束を大切にしていたのだと分かる。あの幼い日からずっと。
必死に記憶を探りながら、ちらりとことみの様子を見る。どうも、頬が赤い。照れているようだ。
しかし、どうにも思い当たらない。心苦しいが、ことみにおしえてもらうしかなかった。
「……悪い、憶えてない」
「残念……」
ことみが、目に見えて落ちこんだ。
「う、ごめん。じゃあほら、おしえてくれたら、絶対その約束果たすからさ、な」
「本当?」
「ああ、本当だ」
すると、ことみはさらに真っ赤になった。そして、深呼吸をする。
息を整えると、意を決したように言った。
「大人になったら、お嫁さんに貰ってくれるって」
聞いた途端、何かが停止する音が、はっきりと聞こえた気がする。
約束……お嫁さんに貰う約束?
つまりそれは、結婚の約束という奴だろう。
幼馴染の女の子と、結婚の約束。
……なんつーべたべたな。
「って、何なのそのお約束な話はっ!」
俺の胸中と同じような突っ込みがはいる。
「杏ちゃん?」
「はっ、しまった、思わず突っ込んじゃったわ」
「お、お姉ちゃん……」
「見つかってしまいました」
突っ込みをいれたのは、やはりというか杏だった。ついでに、藤林と古河もいる。
「お前ら、覗いてたのかよ……」
呆れたように言うと、素直な二人は謝ってきた。
「で、どうなのよ?」
そして、覗いていたことを差し置いて話題転換を図る奴が一人。まあ、別に良いんだけどな、今更だし。
そう、今更だ。こいつらの前で恥ずかしがっても仕方がない。今まで、散々恥ずかしいところも見られてきたから。
だから、ここで答えよう。
「もう少し先の話だろうけどな。とりあえず、これからもよろしく。ことみ」
まあ、直接的な言葉でないあたりは、見逃してもらうということで。
はやし立てる三人の声を聞きながら、俺はことみに微笑んだ。
「うんっ」