してやられた記憶は残りやすい


 ミンミンミンミン、まるで憂さ晴らしのようにセミ達が鳴き続けていた。明るく強い夏の陽射しは、紫外線を含んでいて、健康的な肌の天敵となる。
 真夏日。
 冷房がなく、40人ほどの人間が常時座っている教室の中となれば、そりゃあだれても仕方ないだろう、などと朋也は思った。もっとも、現在は昼休みなので、多少人数は減っているけれど。

「暑いなぁ……」

 隣では、同じように陽平が突っ伏している。しかし、まわりを見渡せば、この蒸し暑い環境にも関わらず勉学に励むクラスメイト達の姿が見えて、朋也は溜め息をついた。

「なぁ、岡崎。なんか涼しくなる方法ないかな?」

 陽平の相手をするのも億劫で、朋也は心の中でだけ返事をした。そんな方法があれば、とっくにやっている、と。

「もうこの際なんでも良いからさ。寒いギャグとかで、場を凍らせることすら歓迎するよ」

 先ほどから暑い暑いと繰り返す割には、陽平はまだまだ元気に見えた。それがどうにも鬱陶しい。

「おーい、岡崎、返事しろよー。暑さでくたばったかー?」

 さらに目の前で、手をひらひらさせてくる。たまらず、朋也はうめいた。

「暑いんだから、ほっとけよ……」
「あ、生きてたか。それにしても、お前って、そんなに暑さに弱かったっけ? 去年とか、それほどでもなかった気がするんだけど」
「去年は、ここまで暑くなかっただろ」
「そうだっけ。まあいいや、で、なんか涼しくなる方法ない?」

 一度上げた顔を戻して、朋也は再び突っ伏した。陽平がまた何やら話しかけてくるのは聞こえたが、今度は無視する。

(去年……涼しくなる方法……)

 それでも、この暑さでは眠ることもかなわないので、去年の暑さに対する対策を思い出そうとする。去年は比較的涼しい日が多かったものの、当然のことながら暑い日もあった。

「……あ」

 なんとなく、思い出したものがあった。陽平が、その声に気付く。

「ん、何々、なんかあった?」
「いや……そうだな。まあ、ものは試しか」



    ×     ×     ×



「恐い話?」
「ああ。別に怪談に限らず、とにかく背筋がぞっとするような話だな」

 ジージージージーとセミが鳴く夏の夜。一年中散らかっている陽平の部屋の中、朋也は答えた。

「うーん、それって二人でやっても面白いのかなぁ」

 陽平が、不満そうに言ってくる。

「別にほかに案があるならそれでかまわないし、ほかに誰か呼びたいならそれでも良いぞ。って言うか、俺もそのほうが良いし」
「案はないけどさ……そうだ、美佐枝さん誘えないかな」
「なんか忙しそうにしてたぞ」
「なーに、大丈夫だって。僕が頼めば、いちころさ」

 そういうと、陽平は意気揚揚と部屋を出ていく。
 数分後。何かが叩きつけられる音が聞こえる。
 さらに数分後。涙ながらに、陽平は戻ってきた。

「お前、またなんか余計なこと言ったのか?」
「聞かないで下さい……」
「ま、別にいつものことだから良いけどさ。それじゃあ、はじめるぞ。まずは俺からな」

 朋也は声を潜めて、それでも聞き取りづらくはならない様に話し始めた。

「結構昔の話だけどな。
その学校は、木造の校舎だったそうだ。
ある女の子が、委員会の仕事で夜遅くまで残ってしまっていたんだ。
ちょうどその日残ったのは、その女の子一人で、他には誰もいなかった。
日が暮れてずいぶんと経って、ようやく仕事を終えた女の子は、早く帰ろうとしたんだ。
女の子は教室の電気を消して、廊下に出た。
廊下の電気はついていなくて、そのスイッチは端にある。
それをわざわざ付けに行くのもなんだし、月明かりもあったから、女の子はさっさと階段へ向かったんだ。
そうして歩いていると、階段の手前のあたりに、何かが落ちてるのに気がついたんだ。
どうも、それは倒れている人間に見えた。
不思議に思って、恐る恐る近づいてみたんだ。
でも、そいつは人間じゃなかった。
なぜなら、そいつには……下半身がなかったんだ。
驚いた女の子は、それでも怯えながら大丈夫ですか、って声をかけた。
そうすると――」
「あのさ、岡崎、ちょっと良いかな」

 ようやく話が本題に入ってきたところで、陽平が話を中断させる。

「ん、なんだよ?」
「悪いけどさ、多分、それ、僕が知ってる奴だよ」
「なにぃっ!?」
「いや、その後さ、上半身だけの奴が、腕だけですごい早いスピードで追っかけてくるって話だろ?」

 言い当てられて、朋也は言葉を詰まらせた。

「僕の中学にもさ、同じような話があったんだよね。まあはっきり言って、なんでもありな恐い話で、そんなありがちそうな怪談話をすること自体が間違いなんだよ」
「そうか……。くそ、確かに、今回は俺のミスだな」
「まあ、気を落とすなよ岡崎。たまには、こんなこともあるさ」

 朋也の悔しそうな声を聞いて、陽平がにやりと笑う。

「ああ、妖怪といえば、春原だもんな。妖怪に怪談話をすること自体、そもそもおかしな話だったか」
「ミスって、そっちかよ! って言うか、妖怪じゃねえよ!」
「え、でも今の話の化け物の正体、お前の知り合いなんだろ? 家族か?」
「なんでそうなるんですかねえ!」
「だって、今言ったじゃん。『それ、僕が知ってる奴だよ』って」
「ちげえよっ、知ってる話だって意味だよっ!」

 陽平は、もはや立ち上がらんばかりの勢いであった。それを諌めるように、朋也が言う。

「まあ、それはともかく、俺の話は終わりだな。んじゃ次、春原が話してみろよ」
「ふっ、余りの恐さに、おしっこちびったりしないようにね」
「あー、はいはい」

 こほん、と息を整え、陽平は話し始めた。

「まず、岡崎はあの話を知っているか。伝説の女の話」
「伝説の女って言うと、あれか。とんでもなく強い女だろ、夜の町を徘徊して、不良連中を狩ってたっていう」
「そう、それそれ」
「それがどうかしたのか?」

 確かに、その女が実在したとすれば、特異な存在であったろうが、それが恐い話かと言えば、そんなことはなかった。しかし、陽平は得意げな笑いを浮かべる。

「まあ、仮にその女が実在するとしよう。で、その女が僕たちの高校に転校して来るんだ」
「また、わけのわからん話を……」
「最後まで聞けって。それで岡崎、その女とお前が出会いました。すると、どうなる?」
「どうなるって、どうにもなんねえだろ」

 朋也が聞いた噂では、その女は、他人に迷惑をかける輩を叩きのめす、正義感の強い人間と言うことだった。一応校内では不良として通っている朋也だったが、積極的に他人に迷惑をかけようとすることはない。

「いや、まず目をつけられるだろうね。うちの高校で目をつけられそうな相手って、僕らだけだしさ」
「ああ、それはそうかもしれないな」
「で、岡崎が目をつけられたとする。その女にとって、岡崎は気になる存在になるんだ。いつも目を光らせておかないといけない。いつも心の何処かで岡崎のことを気にかけている。そして何時の日か、その女は気付くんだ。自分が、何時の間にか岡崎に恋心を抱いていたことに」
「……お前、頭が腐ったか?」

 唐突かつ意味不明な展開に、朋也が少々引く。しかし、陽平は弁解するように声を上げた。

「だから、恐い話だよ。考えてもみなよ、そんな女が実在したとして、絶対そいつ、筋肉ムキムキで逞しい、猪木みたいな女だぜ」
「せめて、女の名前上げておけよ」
「まあ、とにかく、そいつに好意を持たれてだ。そいつが毎朝家に起こしに来たり、昼休みに手作り弁当を持って来たり、放課後何処かに遊びに行こうと誘いに来たり、休みの日に家に料理しに来たりするんだ。もう、ストーカーみたいにね。想像してみろよ、すっごい恐いことになるぞ」

 陽平は、そう言いつつ自分で想像してみたのか、体を震えさせる。

「あー、もう、背筋がゾクっとするね。もうホラーだよ、ホラー」
「たしか噂だと、『月明かりの下で見る姿はただただ恐ろしく、ただただ美しかった』って話だぞ」
「はっ、そんなのデマに決まってるよ。ひょっとして、その女自身が、脅してその噂を流させたんじゃないの」
「わざわざそんなことするかねぇ」
「間違いないね。きっと、物凄い不細工に違いないよ。あー、こわ」



    ×     ×     ×



「ってことを、春原が言っていたな」
「ほう、そうなのか」
「……へ?」

 怒りを押し込めた穏やかな笑顔、そんな顔をしている智代を前にして、陽平は冷や汗をたらしながら、引きつった笑みを浮かべていた。
 昼休みの後半、場所は変わらず朋也と陽平の教室である。

「あ、あの、智代さん。なぜここに?」
「朋也に連れてこられたんだ。道中、話も聞かせてもらったぞ」
「お、岡崎、いったい何を吹き込んだんだぁっ」
「いや、昔話をちょっとな」

 怯える陽平に対して、朋也はかぶりを振った。
 さきほど朋也が智代の教室を尋ねてみると、珍しいことに彼女はいた。そして朋也は、去年陽平とした馬鹿話の内容を、端折りながら伝えたのだ。
 ちなみに、生徒会長になったばかりのころは智代と疎遠になっていたが、何時の間にか、以前のような友人づきあいがなされている。

「まあ、去年の話だと言うからな、そのことについては何も深くは問わない。人の容姿を散々悪し様に言ったのも、噂だけから推測したのならば、仕方のないことだろう。大丈夫だ、私は怒っていない」
「は、はは、そうすか。それはよかったです……」
「だからな、決して今からやることは怒っているからじゃないぞ。ただ、さすがにお前の遅刻の回数のあまりの多さに、改善させなくてはと思ってやるだけなんだからな」
「ひ、ひいぃぃぃぃ」

 一歩近づく智代に対し、怯える陽平が防御姿勢をとる。

「何、心配するな。蹴りはしない」

 智代が陽平の襟首を捕まえると、そのままずるずると引きずっていく。

「まくまくの刑だ」
「うわああああぁぁぁぁぁぁ、なんか知らないけど助けてくれぇぇぇぇぇぇ」

 陽平が青ざめた顔で、悲鳴を響かせる。
 その悲鳴だけを残して、二人の姿は消えた。

「ま、春原の希望は、一応かなえられたよな」

 二人の消えた方向を見ながら、朋也はふと思った。
 まくまくの刑って、なんだろうな、と。




 その日の夜。
 陽平の部屋を覗いた朋也は、「……ま……く……ま……く……」とベッドでうなされる陽平を見て、すぐに引き返すことにした。
 そして、その話題には今だ触れられていない。