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目を閉じれば


 家族の平和な夕食は、侵入者によって破壊された。
 そして俺達は今、その侵入者を退治するために索敵を行っている。俺の右手には、その侵入者を退治するために作られた武器が携えられていた。
 余り広くはない部屋の中、俺は目を凝らし、耳をそばだてる。
 隅々まで視線を向け、耳を澄まし、奴の存在を見逃さぬように神経を尖らせる。
 頼りになるのは、視覚と聴覚。速やかに奴を見つけ出し、排除しなければならない。

「パパ、こっちっ」

 汐の指差す場所に、奴はいた。発見さえしてしまえば、こちらのものだ。
 なるべく気配を発さないように、そろりそろりと近づく。気分だけは達人だ。
 射程距離に立ち、手に持ったハエ叩きを振りかぶる。


 ブーン


「ちぃっ、しまった」

 俺の存在に気付いたのか、ハエは一足先に空中へ逃げ出す。俺も追撃を試みる。

「ダメです、朋也くん」

 しかし、それは渚によって制止させられた。

「くっ、なぜだ、渚?」
「空中で叩いたら、何処に飛んで行っちゃうか分からないです」
「う、確かに……」

 妙なところに紛れ込んで、発見できないというのも、確かに嫌だった。

「となれば、壁で確実にしとめるべきか……って、何処に行った?」
「あれ?」
「みうしなった」

 三人とも、ハエの行方を追うのを忘れていた。

「くそっ、ハエをやっつけないことには、我が家の平和は戻らないぞ。汐、また探すぞ」
「おー」

 やる気に満ち溢れた娘が、再びそこら中を探し回る。うん、実に頼りになるな。
 俺自身も捜索を再開する。先ほどと同じように、目を凝らし、耳を澄ます。姿、羽音を決して逃さないように。
 しかし、今度の捜索は難航した。

「みつからない」
「見つかりません」

 それは二人も同じようだった。

「仕方がない、こうなったら秘策を使おう」
「おー、ひさく」
「そんなのがあるんですか?」

 素直に期待する汐と、疑問を浮かべる渚。どちらも素直な性格だが、これが人生経験の差と言うものだろうか。

「いいか、まず、目をつぶるんだ」

 二人が、言われた通りに目をつぶるのを確認し、俺も目をつぶる。

「すると、視覚からの情報が入ってこない。まあ、目をつぶっているんだから、当然だな」
「しかくって?」
「要するに、見えないってことよ、しおちゃん」
「なるほど」

 間違ってはいないが、「視覚=見えない」と憶えてしまってもまずいんじゃないか、と一瞬思う。
 まあ、大丈夫か。

「で、そうなると脳に送られる情報が少なくなり、他の感覚がより鋭くなるんだ。味覚はこの場合除外するから、聴覚、触覚、嗅覚だな。耳が良くなったり、鼻が効くようになるわけだ」

 俺もそんな話を聞いたことがあるだけで、真偽のほどは知らないんだけど。

「目をつぶって、羽音を聞き取るんですね」
「そうだ。昔のえらい人も言ってるしな。この月光、生来目が見えぬ、って」
「げっこう?」
「いや、なんでもない。気にするな。それより、耳を澄ますんだ」

 そしてそのまま、家族3人目をつぶって黙り込むと、様々な音が聞こえる。
 雨の音。さほど強くはないが、こうしていると感じ取れる。雨に喜んでいるのか、時折かえるの鳴き声が紛れ込む。
 時計の音。秒針が、一定のリズムで、留まることなく時を刻む。
 近所から聞こえてくる家族の談笑。暖かな空気が感じ取れる。
 そして、渚と汐の呼吸音。愛する二人がそばにいるのが分かる。
 で、肝心の羽音は聞こえない。
 しかし、俺にはまだ、二人に言っていないことがあった。
 目をつぶって研ぎ澄まされるのは、何も五感だけではない。第六感、今だ解明されていないそれこそ、俺の狙いだった。
 深い呼吸で、精神を落ちつけ、敵の存在そのものを感じ取る。心眼だ。刀(ハエ叩き)を腰につけ、もしも射程内に入ってきたならば、一瞬でカタをつけてやろう、という気構えで望む。
 いや、もちろんちゃんと、壁で叩くけど。
 そして、壁に気配を感じた瞬間。

「そこかっ」

 目を見開き、抜刀。勢いを衰えさせることなく、壁に叩きつける。


 バチン


「しとめましたか?」

 問いかける渚に、目で合図を送る。それを受け取った渚が、ハエ叩きを見た。そして、苦笑いをする。

「……パパ、失敗?」

 汐の言う通り、そこには壁しかなかった。

「……やっぱり、分担しよう。目をつぶって聞き取る係と、目で見て探す係だ」

 すると、汐が目をつぶる。俺は諦めて、地道に探すことにした。渚も同じように探しはじめた。



「あ、いた」

 数分後、汐の耳が羽音を捉えたらしい。

「でかした、どこだ?」
「あっち」
「あ、いました」
「え、ああくそ、どこだー?」

 汐に続いて渚も、ハエを補足したようだ。しかし、二人の指差す方向を見ても、いまいち分からない。

「朋也くん、ハエ叩きを貸してください」

 仕方がないので、渚にハエ叩きをたくす。

「いきます」

 渚がハエ叩きを振りかぶる。そこでようやく、俺もハエを見つけた。ハエは、追い詰められたことも分かっていないのか、暢気に壁に張り付いている。


 バチン


「ああ、しくじりました」

 しかし、ハエはまたしても上手いこと逃れてしまう。

「大丈夫だ。見失わなければ、またすぐにチャンスは来る」

 動きまわる黒い点を、しっかりと見据えた。

「みうしなった」

 まず最初に、汐が脱落する。身長の問題で、高いところまで飛ばれると追跡できないため、仕方がない。

「あ、見失っちゃいました」
 続いて渚も脱落。このハエを目で追うというのは、結構しんどい。気を抜くと、すぐに見失ってしまうのだ。
 今のところはなんとかくらいついているが、下手すれば、俺も見失ってしまうだろう。

(くそっ、止まれ止まれ止まれ)

 願いが届いたのか、ハエが窓のところに止まった。チャンスだ。
 渚からハエ叩きを受け取る。俺は再び(気分だけ)気配を消して、音を立てないように、奴の元へと歩み寄った。
 ハエ叩きを、奴のすぐ近くで構える。敵を倒すのに、威力は必要ない。ただ正確な狙いだけがあれば良い。
 そして、標的までのわずかな距離を、振りきった。


 バチン


 チェックメイト。我が家に平和が戻った瞬間だった。

「やったぞっ!」
「やりましたね」
「やった!」

 家族で力を合わせ敵を討ち取った喜びに、俺達は震えた。健闘を称えあう。
 そして一段落ついたところで、夕食を再開した。



 夕食後。
 渚が後片付けをしている間、汐が胡座を書いた俺の上に座り、俺に持たれかかって、目を閉じたり開いたりしていた。

「なあ、汐、何やってんだ?」
「かくにん」
「確認?」

 胸にぴたりと耳を当て、今度は目を閉じたまま言う。

「うん。やっぱり、めをとじると、パパのおと、よくこえる」

 なるほど、さっきのことか、と納得する。どうやら、妙に気に入ったらしい。
 俺は、なんだか無性に嬉しくなり、汐を抱き上げ、目をつぶって汐の胸に耳を当てる。


 トクトク


「うん、汐の音も、良く聞こえるぞ」

 微笑む。自分がとても優しい顔をしているのが分かった。

「どうしたんですか?」

 俺達がいつも以上ににこにこ笑っているからだろう、洗い物を終えた渚が、問いかけてきた。

「ほら、ママの音も聞いてみな」

 そう言って、汐を差し出す。

「?」

 渚がハテナマークを浮かべつつ、汐を受け取る。しかし、汐が胸に耳を当てると理解したようで、優しく抱きしめた。

「よくきこえる」

 暫くそうしていると、不意に汐が言った。

「つぎ、パパのばん」
「おう。じゃ、交代だな、汐」
「え、朋也くんもですか?」
「ああ、順番だからな」
「あ、はい、分かりました。じゃあ、それが終わったら、私の番です」

 照れながら渚が言う。いつまでも初々しい奴だなぁ、と思った。
 そしてその日、俺達はそれぞれ何度も音を確認しあって一日を終えたのだった。