延長


 別に、期待していたわけじゃない。
 いまさら、期待なんてものが、持てるわけがなかった。
 俺と親父の関係は、もうずいぶんと昔に亀裂が入って、数年前に、取り返しのつかないほどになった。
 親父の目には、俺が息子として写らない。
 ただの話相手。それだけだ。
 だから、期待なんてするはずがない。してはいけないんだ。絶対に叶わない期待なんか、抱いたところで虚しくなるだけだ。
 それなのに、俺はここにいた。
 なるべく顔を合わせないように生きてきたのに、今日はこんな時間に家にいた。
 馬鹿みたいだ、と自嘲する。
 こんなことをしても、不愉快になるだけだって分かっているのに、俺は親父のいるこの時間に家にいた。
(誕生日、か)
 そう、今日は俺の誕生日だ。
 昔だったらともかく、少なくとも高校に入ってからは特に祝ってもらった記憶はない。
 それも当然だろう。俺が高校に入ってからまともに付き合った人間なんて数えるほどだし、そいつらにわざわざ誕生日を教えるなんて、祝ってくれと言っているようなものだ。もし教えたとして、春原と二人だけで誕生会なんて事態になる可能性も否定できない。それは考えただけで嫌過ぎる。
 そして、俺の誕生日を元から知っているのは親父だけだ。
 その親父とは、中学のころはただ険悪な仲だった。必要以上に干渉してくる親父に腹が立った。成長するに連れて当然のごとく来た反抗期でもあったのだろう。そして、父子家庭という環境が喧嘩が起こる可能性を助長していた。
 それでも、親父と俺は家族だったと思う。親父は俺を息子として見ていた。何かにつけて文句を言われることに腹が立っていたけど、それでもその当然のことを疑ったことなんてなかった。
 誕生日だって祝ってもらった。夢中になってたバスケットのシューズをもらったときは、素直に嬉しかった。不満は沢山あったけど、嬉しかったり楽しかったりする日だってあったんだ。
 でも、あの事件が起きてから全ては変わった。
 俺は物事に対して斜に構えるようになって、怠惰な日々を繰り返した。親父は俺のことを他人行儀に扱うようになり、俺は親父と顔を合わせないための生活サイクルを生み出したのだ。それは真面目な生徒とも噛み合わない生活で、俺は学校でも孤立していた。
 そんな生活をしばしば注意されることがあった。それでも俺は、その生活をかえることをしなかった。
 全ては親父に顔を合わせないため。今までそうやって来たのに、俺は今、敢えて居間の扉をあけた。
 そこに親父がいた。
「親父……」
「ん……やあ、朋也くんじゃないか」
 その途端、眩暈がした。
 馬鹿なことをした、と思う。初めから分かっていたことだ。この人にとって、俺は息子じゃない。会えばそれを否応無しに感じてしまって、不快なだけだと。
「どうしたんだい、珍しいね?」
 親父が嬉しそうに話しかけてくる。
「……分からないか?」
 怒りを押し殺してたずねる。せめて、尋ねておきたかった。
 俺の言葉に、親父はしばしの間考え込む。やがて、心得たというように顔を上げた。
「ああ、そういえば、今日は朋也くんの誕生日だったね。いやあ、朋也くんも立派になったねえ」
 眩暈が強くなる。不快さは、先ほどの比ではなかった。
 親父は俺の誕生日を覚えていた。だが、それは息子の誕生日ではない。何処か自分の知らないところで、勝手に育った子供の誕生日だ。
 硬く硬く、拳を握り締める。
「そうだ、何かプレゼントを用意しないとね。ええと、何が良いかな……そう、確か、前はバスケットシューズを上げたよね」

 バンッ

 限界だった。俺はこらえきれず、握り締めた拳で壁を思いきり叩いていた。
 親父は突然の音にビックリしたのか、驚いたような顔をしている。だが、俺はもうそれにかまわなかった。
 無言で、親父に背を向ける。そしてそのまま歩き出した。
 靴を履き、そのまま家を出る。外の空気に触れても、歩みを止めることはない。
 何もかもが不快だった。親父の言葉、親父の態度、親父の姿。そして何より、そんな事を知りながらも親父と顔を合わせた自分。
 心がささくれ立っている。行き場のない感情を抱えたまま俺は、いつもの場所へと向かった。




「あ、岡崎、来たのか」
「ああ」
 いつも通り散らかった春原の部屋で、いつものように脱ぎ散らかされた服やらゴミやらをどけてスペースを作る。
 腰を落ちつけたところで、春原が漫画から顔を上げて尋ねてきた。
「岡崎さ、なんか今日は不機嫌か?」
 内心ぎくりとした。まさか、春原に気づかれるほど顔に出ているとは思わなかった。
「ああ。まあこんなしけた部屋にいるからな」
「って、あんた勝手に来ておいて無茶苦茶な言いぐさですねえっ!」
「せめて一番しけてる金髪の生物さえいなければ、まだいいんだけど」
「それって僕のことですかねえ!」
「部屋自体に罪はなくても、住み着いた奴の所為でどんどんしけた部屋になっていくからな。可哀相に」
「部屋を哀れむより先にすることあると思うんですけど!」
「ん、たたき出して欲しいのか?」
「なんでだよっ!」
 そこまで言って、春原は溜め息をついた。
「ま、別にどうでも良いよ。じゃー、僕は続き読むから」
 そう言って視線を落とす。俺もその辺から漫画を引っ張り出して読み始めた。
 そしてそのまま暫くの時が流れる。
 少しだけ感傷的な気分にでもなっていたのだろう、俺はふと、春原に尋ねてみたくなった。
「なあ、春原」
「うん?」
「お前ってさ、高校に入ってから誕生日って誰かに祝ってもらったことあるか?」
 春原は、しばし考えるような仕草をしようとしたところで、考えるまでもないと気づいたようだ。
「なんにもないっす……」
「そうか」
 思えば当然だろう。こいつも俺と同じはみだし者で、祝ってくれるようなやつはいない。俺も春原の誕生日は知らない。家族は地元だ。聞くまでもなかった。
「ま、別に誕生日なんてどうでもいいけどねっ」
「お前、泣きそうだからな」
「……本当はかわいい女の子に祝って欲しいっす」
「いや、無理だろ」
「切り捨てるなよっ、励ませよっ」
「いや、それも無理」
「即答っすか……」
 春原はうなだれた。
(ま、こんなもんか)
 なんとなく、区切りのついた気分になった。誕生日なんて、もう意味がないんだと。
「でもさ」
 しかし、春原の話はまだ続くようだ。
「そういうのって、誕生日だからどうこうって訳じゃないと思うんだよね。誕生日だから特別何かしろ、って言うんじゃなくて、普段の生活が問題でさ。いい関係さえ持ってれば、なにもいわなくても自然と祝おう、って気持ちになってくれるんじゃないかな」
 その言葉は、なんとなく、胸に突き刺さった。
 普段の関係。誕生日が特別というわけじゃなくて、あくまで普段の延長線上だと。
「だから、これからかわいい女の子と仲良くなれば、きっと祝ってもらえるよ」
「そうか」
 そう結論付ける当たりは、春原らしかった。
「ところで、岡崎の誕生日はいつなの?」
「……今日だ」
「えっ、マジ?」
「ああ、おおマジ。だから有り金全部よこせ。ほら、ジャンプしてみろよ」
「かつあげかよっ!」
「ちっ、これっぽっちしかねえのか」
「財布の中身見てもいないのに、貧乏人扱いしないでくれますっ?」
「じゃ、金あんの?」
「いや、ないけど……」
 春原は、ややあきれたような仕草をする。
「それにしても、事前に言っててくれれば、何か用意するくらいしたのに」
「いや、お前と二人で誕生会なんて、寒気がするから」
「人の好意を滅茶苦茶踏みにじってますねえ!」
「だってお前、逆の立場で考えてみろよ。どうだ?」
 春原は、憮然とした顔つきで考える。が、やがて汗をたらしながらも苦笑いをした。
「なんて言うか……厳しいね」
「だろ?」
 珍しく意見が一致する。
「あー、でもまあ、せっかくだからこれ上げるよ」
 そう言って春原はごそごそと何かを探す。そして見付けた物をこちらへとよこす。受けとって確認してみると、それは音楽CDだった。
「なんだこれ?」
「多分お前も聞いたことあると思うけど、芳野祐介のCDだよ。カリスマ的人気のあった伝説のMCで、かなり売れてたんだぜ」
「ふーん。確かに、聞いたことある気がする」
「ま、ボンバヘッにはかなわないけどね」
「にしても、いいのか?」
「ああ、僕にはテープで作ったベスト版があるからね」
「そうか。まあ、それがあってもなくても返す気は全くなかったけど」
「それ、聞く意味あるんですかねえ……」
 愉快だった。
 別に誕生会なんて仰々しいものじゃなくてもよかったんだ。ただこうやって春原と馬鹿をやってるほうがあっていたし、面白かった。
 確かに、誕生日って奴は普段の延長線上にあった。
 だから、もしどうにかしたいなら、毎日少しづつどうにかしていくしかないんだ。関係の改善を望むなら、日々積み重ねようとしなければならない。今の俺に、それは出来ないけど。
 いつの日か、そんな日は来るのだろうか。俺は、関係の改善を望むのだろうか。今はまだわからない。
 だから、今はこうやって馬鹿をやる。