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・・・季節は、初夏。
長い間空を覆っていた雲は流れ去り、太陽の光は、熱くコンクリートの校舎を照らし始めてる。
窓の外は、木々がその緑を深めていた。
きっと、もうすぐ蝉たちが地面から抜け出してきて、騒がしく合唱を始めるのだろう。
ホットコーヒーも飲めなくなる。アイスコーヒーの季節になるからだ。
今はただ静かで、風に揺れる葉の音がほんの少し、ささやかに耳に届くだけだった。
・・・本当に、ただただ静かだった。

自動販売機のアイスコーヒーは、風情がないと思う。
氷はじゃりじゃり言うばかりで、ヒビの入る涼しげな音も聴こえやしない。
アイスコーヒーはガラスのコップに、大き目の氷相応しいと思った。

「ふう・・・」
日差しの熱は、放送室の中まで侵入してくる。
この調子だと、扇風機でも持ってきたほうがいいかもしれない。
ただでさえ、この部屋の機材は熱を持つ。冷房を効かせても、風なんて回りきりそうもなかった。
ピアノの前に座り、傍から窓を開けた。
夏の香りを乗せた風が、放送室の中に吹き込んでくる。
カーテンがなびき、少しレールを動く音を響かせた。
「・・・・・・・・・」
その上に置いてあった、携帯電話が青く点灯しているのに気が付く。
・・・メールの着信だ。
差出人の名前は・・・。
「・・・・・・・・・」
覚えている。
私が還ってきたのか、『彼』が還ってきたのか。
まだそれはわからないけど。
・・・予感がした。
往く宛ての無い約束だと思っていた。
けれど、それは果たされるものなんだ、と。
いつか、それを約束した人の名前。
好きだといった、人の名前。
・・・恋をしていた、人の名前。
今なら、届く気がする。
電話を、掛けよう。
きっと、繋がる。
・・・・・・・・・。
ドアの向こうから、チープな電子音のメロディーが聞こえる。









   僕と彼女、私と彼










放送室、と書かれたプレート。
何故ここに来てしまったのかはわからない。
でも、待ってるから。『彼女』は、きっと待ってるから。
(いこう)
ドアノブを掴んだ瞬間、ズボンのポケットに入れていた携帯電話が鳴り響いた。
ドアノブから手を放して、ポケットから携帯を取り出した。
発信者の名前は・・・。
・・・・・・・・・。
『彼女』だった。
「・・・はい」
片手に携帯電話を持ちながらそう答え、再びドアノブに手を掛け、重く、冷たい扉を開けた。

扉を開けると、夏みかんの香りがする涼しい風が凪がれた。
そして、『彼女』が、いた。
電子ピアノの前に腰を落ち着けて、携帯電話を耳に当てている『彼女』が。
黄色いリボンと手入れの行き届いた黒髪が風になびいて、とても綺麗だった。
ここに来るのを知っていたのかのように携帯電話を耳から放して、『彼女』は、静かにこちらを振り向いた。



「おかえり
 おそかったな」



切なそうに微笑んで、『彼女』が言った。

夏服のせいか、妙に幼くみえた。
いや、違う。『彼女』は、誰よりも『女の子』だから。

あのときのような『彼女』の弱々しい姿を見て、いてもたってもいられず、抱きしめていた。
「理樹・・・君・・・?」
『彼女』は驚いていただろう。



「ただいま
 おそくなってゴメン」


「・・・うん」



肩に雫が落ちた。
悲しみの涙か、それとも喜びの涙かはわからないけど、『彼女』は泣いていた。
前にも、あった。
でもそのときとは少し違う気がする。

正直、「おかえり」の意味も、「前にも」、「あのとき」、「そのとき」なんてあったのかも、わからない。
けど在ったんだ。在ったはずなんだ。どこかの世界で。
思い出せない自分が、悔しかった。
思い出せない自分が、悲しかった。
約束を、したんだ。残念ながら内容までは覚えてない。
でも、それまでに、その内容といままでのことを思い出したい。いや、思い出さなきゃいけないんだ。

『彼女』、来ヶ谷唯湖という、ひとりの女の子のことを。














         
そうして、また。    

「僕の」
     小さな恋が始まっていく。
「私の」        














* * *






秋の日。
夕日色に染まる光景の中、『彼』を待つ。
・・・約束だった。
誰もいない、放課後の教室で。
私は、こう告げる。

「・・・好きなんだ」

「えっ・・・それって」

「うん・・・」
「恋してる、って方の、好きなんだ」





* * *





『恋してる、って方の、好きなんだ』
夕日に照らされながら、『彼女』は顔を赤らめながら、言った。

一瞬、意味が分らなかった。
頭の中で整理してみる。
えっと・・・恋してる、って方の・・・って恋!?
これって、告白・・・ってこと・・・?
やっとこの状況に理解できた。
自分の顔が赤くなっていくのがわかる。

でも待って!僕は思い出せてないんだ!あの世界のことも、約束も・・・。

急に、、視界が狭く、ぼやけてきた。
こんな、ときに・・・。

「理樹君?」

まだ、すべて治ったはわけではない。
もう少し、だけ・・・待って・・・。
それでも体は言う事を聞いてくれない。
どんどん体が傾いていく。
意識が薄くなっていく。

「理樹君!」

傾いていくのが止まった。『彼女』が支えてくれたからだ。

「・・・寝てて良いよ。私は、ずっと待ってるから・・・」

その言葉に、ふと安心してしまって、僕は、眠りについた・・・。




















気付けば、不思議な空間にいた。
ここは、どこ・・・?。
僕は夢を見ないはずだ・・・。
なのにどうして・・・。

不意に、あの『世界』が広がった。
僕が探してた、『世界』だ。




















〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
















・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・

――(あれ・・・)
ふと、耳にピアノのが。
音楽室は北校舎のほうだし、ここまで音は届かないはずだ。
「・・・・・・?」
ちょっと立ち止まって、その音を辿ってみることにした。
(・・・・・・・・・)
・・・ああ、放送のスピーカーからだ。
気にも留めなかったけど、お昼の放送で掛かっているのかもしれない。
・・・ていうか、そんなものがやってるとしたら、今初めて聞いたような気もした。



――「ああ、キミは死なないよ。心配は要らな」
――今になって気付く。
  この言葉は、現実の僕に向けた言葉だったのだろう。
  『彼女』は知ってたんだ。現実世界のことも、この世界のことも。



――「まあ、音でも聞いてみるか?」
電源を入れると、その前に腰を落ち着ける。
そして、静かに音を奏で始めた。
「・・・・・・・・・」
思わず聞き惚れてしまう。
聞きながら、どこかで聴いたことがあるような、初めて聴くような奇妙な感覚を覚えた。



――「思うんだけどさ」
「来ヶ谷さん、地でそのまま放送やったほうが面白いんじゃないかな?」
「面白い?」
「うん、普通のラジオみたいに軽いトークとかも混ぜてさ」
「・・・まあ、確かにそのほうが聴く人間は増えるかもしれない」
「だがこれは、ある種聴かせるための放送ではないのだよ」



――「おそらくは、俺たちだけで動くより来ヶ谷に話して協力してもらったほうが話が早いだろ」
「というか、そうするべきだ。理樹はただ巻き込まれているだけのようだからな」
「うーん」
「いや、来ヶ谷さんには言わないでおこう」
「なんでだよ、わけわかんねぇよ」
「そうだそうだ、わけがわからんぞ」
みんなが呆れたようにため息を吐く。
「話せば来ヶ谷ならすぐ解決してくれそうだぞ?」
「・・・でもさ、今回のって向こうにしてみたら、バスターズに来ヶ谷さんが入ってるのが問題なんじゃないの?」
「だとしたら・・・来ヶ谷さん、そのことを気にして居辛らくなっちゃうかもしれないじゃないか」
「あの女がそんなタマか?」
「うん、でもさ、そういう余計な気を遣わせたくないんだ」
「僕は今のバスターズがすごく気に入ってるんだ。出来れば、ずっとこのままがいい」
「・・・いまさら、来ヶ谷さんだけそんな風になって欲しくないよ」



――「前にも言ったが、私にとってはこんな晴れたいい日に、コンクリートの箱の中で数式を解き続けるほうが余程犯罪的なのだよ」
「私はそれを無駄と呼ぶ」
「・・・同じ無駄なら自己の意思を貫き通すほうが余程健全だ」
言い終えると、少し考えるような表情。
「やはり欠陥品だな、私の頭は」
・・・薄く笑う。



――「俺はあの女が怒りを露にしている姿も、辛そうにしている姿も見たことがない」
「前のクラスの一年間、傍から見ていても嫌がらせを受けているとわかる状況が幾度か有ったが、あの女は不適な笑みを浮かべるばかりだった」
「・・・大抵はその直後、反撃を与えていたようだがな」
「そんなことないでしょ・・・ただ回りに見せないようにしてただけじゃないの?」
「かもしれないな」
こんなことに何も感情を覚えないって、そんなの本当に何も感じない人間みたいじゃないか。



―「つまらんなぁ、少年よ」
「いや元々僕はつまらない人間だってば」
「違うな、ツッコミが非常に弱い」
「慌てふためく理樹君を見るのが、最近のおねーさんの至上の楽しみだったというのに」
「いや・・・そんなの至上の楽しみにしないでよ」
「何か隠してるんじゃないだろうな?」
「いや、昨日も言ったでしょ」
「・・・私の洞察力が理樹君に対し、何か違和感を訴えているのだよ」
鋭い上にしつこいよ、この人・・・。
下手に取繕うと、すぐにバレそうだ・・・。
「何もないってば。来ヶ谷さんが気にしすぎなだけだよ」
「ふむ、そうか」
あっさり引き下がる。
「周りのバカどもと棗兄もか」
「さぁ、僕は知らないけど」
「では気のせいということにしておくか」
「私の勘があまりはずれることはないのだがな」
・・・まだ油断はできないらしい



――「いいよ、やってみなよ放送。そしたら私たちだってあんたらのつるんでる連中全員潰してやる」
「みんなで楽しくやってるんだよねぇ?そんなの壊す方法いくらでもあるんだよ」
・・・なんてことを思いつくんだ、こいつは。
自分と思考があまりに違いすぎる。
「・・・それで脅しているつもりか?」
「だからさーそっちがいくら私たちに反撃しようが、関係ないわけ」
「・・・・・・・・・」
「私の思い通りにならない限りこれは続く」
「わかったらもうやめてください高宮さんって言ってみろよっ!!」
「・・・・・・・・・」
「はっ?きこえねー」
「・・・すぞ」
「えっ?」
「殺すぞ」
瞬間。
どがっしゃああああああああああああああああっっ!!
轟音が響いた。
来ヶ谷さんが。
ドアを蹴り。
そのドアは。
・・・廊下の壁に直撃し、真っ二つに割れていた。
「・・・今のを貴様らの顔面にくれてやろうか」
「二度と鏡を見れない顔になるだろうな」
・・・怒っていた。
来ヶ谷さんが、怒っていた。
高宮は口をぱくぱくさせて何かを唸っていた。
そこに来ヶ谷さんがゆらりと、歩み寄っていく。
「今はなんだか、殺人者になってもかまわない気分だ」
「・・・蹴りをくれて内臓をずたずたにして、口から二リットルほど血でも吹き出させてやろうか」
・・・いつもは冗談で言うような台詞が、今は傍から聞いているこっちまで背筋が凍りつくような言葉に聞こえた。
「ひ、ひ・・・」
「貴様らから謝罪の弁を聞こうとは思わん」
「これに恐怖を覚えたなら・・・」
「・・・二度と私に関わるな、このクズがあああああああああああっ!!」
一喝。
・・・クズが二人。逃げるようにして教室を出て行った。



――「すまなかったな、私の問題にキミを巻き込んでしまって」
「だが、なぜ私に相談しなかったんだ」
「初めから私に言えばすぐ解決しただろうに」
「あ・・・うん」
「そうだね」
「結局、なんか僕ひとりで抱えて、あがいてただけだった」
「でもさ・・・」
「来ヶ谷さんが変に気を遣ってさ」
「・・・バスターズに顔を出さなくなったりとかしたら、怖いじゃない」
「それも要らない心配だったみたいだけど」
自分で言ってて気付く。
「ああ、なんだ、やっぱりあがいてただけだった・・・
僕の言葉を聞くと、来ヶ谷さんはなんだか、優しい笑みを浮かべた。
「ああ・・・そうか」
「ふむ、私もなんだかんだで感情を持っているのかもしれないな」
「・・・さっき、思いっきり怒ってたじゃないか」
「それって感情でしょ」
「ああ、あまりにもふざけたことを抜かしたからな、クズが」
「私は気に入っているんだ、今の『リトルバスターズ』という集団に属しているということがな」
「その私の安らぎの空間を侵すなど、何人たりとも許すことは出来ない」
そこで気付いたように口を止める。
「そうか、怒るんだな私も・・・」
・・・思い出したくないぐらい激しい怒り方だったけど。



――僕の手を引く来ヶ谷さんを見て。
こう思う。
・・・『この人は、僕にはない強さを持っている』。
それを、僕はカッコイイと思ってしまった。



――「ごめん、ここホントは男子寮って事はないよね?」
「間違いなく女子寮だ」
「なんか僕の部屋とほとんど変わらない気がするんだけどさ」
「それはそうだろう。家具の配置などほとんどいじり様もないし、それに私はあまり飾り気などない人間だからな」
「ふうん・・・」
でも、なんか、匂いが来ヶ谷さんだ。
真人と一緒の汗臭い僕たちの部屋と比べたら、ほのかにさわやかというか。
「それで、もうだいじょうぶなのか?」
「あ、うん。それはもう平気」
・・・頭痛はまだ治りきってはいないけど、これはもうすぐ消えるはずだ。
「さて・・・」
「またしても密室に二人っきりなわけだが」
「いやまあ・・・そうだね・・・」
またこの人は・・・。
「・・・・・・・・・」
「ん?」
やばい、なんか妙に来ヶ谷さんを意識してるっ!!



――そして始まったのは、大富豪。
「よっしゃ、3枚ッ」
「出せねぇよ、パスッ」
「パス」
「・・・・・・・・・」
「理樹の番だぜ」
「・・・うん」
・・・なんか、今日起こったことが、もやがかったみたいになっていた。
なんというか、ホントのことだったような、夢でも見ていたような・・・。
「おい、てめぇだって」
・・・来ヶ谷さん、カッコよかったよな・・・。
「こいつ・・・どうしたっていうんだ」
「ふーん、心ここにあらずって感じだな」
「えっ!?」
「ああっ、ぼ、僕か・・・」
カードを出す。
「おい、オレが3枚出しだって」
「え、そ、そっか」
「おまえは・・・ときめきを感じている・・・!」
「マジかよ、来ヶ谷の部屋に行ってあいつに惚れちまったか?」
「え、えええっ!?」
「ち、ちがうよっ!!そんなんじゃないよっ!!」
「ただ、来ヶ谷さんはカッコいいなって・・・」
「はぁ?」
「・・・理樹」
「え?」
「来ヶ谷のこと、好きなのか?」
「だ、だから・・・」
「隠したって、顔に出まくってるぜ」
「僕は来ヶ谷さんのことしか考えてませんってな」



――隣をみると、恭介も何事か考えているようだった。
・・・なんだろう。少し、悩んでいるようにも見えた



――「・・・なんなんだ、さっきから見てればキミたちは」
呼び出しから開口一番そう言われる。
「えっ・・・見てたの?」
どきっとする。
「うむ、恭介氏が吹き飛ぶ辺りからだが」
・・・目的はバレてなさそうだ。
「まぁ、どうせ良からぬことでも企画していたのだろう」
「女の子に声を掛けるなら、なぜ私を誘わない」
「いや・・・来ヶ谷さんが誘っちゃまずいでしょ・・・」
「では、誘われるほうか」
「え、うん、まあ」
「あ、あのさ・・・」
言おうとするが、言葉が出てこなくなってしまった。
ダメだ、顔が見れない・・・。
「ん?」
・・・ことさらに顔を覗き込まれる。
「だ、だから、えーと・・・来ヶ谷さん、お茶とか好きかなって」
「ん、お茶の誘いか」
「え?あ、うん」
「はっはっは、中々気の利いたことをするな理樹君」
「日頃お茶をご馳走になっている礼なら、いつでも受け付けているぞ」
「ああ・・・まあ、そのつもりなんだけど」
「うむ、おねーさんに対する感謝の気持ちを示すのは非常によろしいことだ」
「あっ、っていっても僕そんなお金持ってないから・・・」
「心配するな。私としてもそれほど高いお茶を奢らせるつもりはない」
「早速今日、というのは急ぎすぎかな」
「あ、僕は別にいいけど・・・」
「日曜は少し用事があるからな・・・どうするか」
「ふむ。まあ、月曜の放課後にでも行くことにするか」
「校内でアフタヌーン・ティーとしゃれ込もう」
「あ、うん、わかった」
「楽しみにしているぞ」



――「こういう状況で、いわるゆる一般的な年頃の女子というのは、どういうことを思うんだろうか」
「え?」
「いや、なんとなくそういうことを考えてみただけだ」
言いながらも、砂糖もミルクも入れないコーヒーを口に運ぶ。
「前から思ってたんだけどさ」
「別にさ、来ヶ谷さんが変とかじゃないと思うよ」
「ほう?」
「だって、どんな人だって考えてることとか、感じることは少しずつ違うものでしょ」
「誰かひとりが特別なんて事はないと思う」
「それを言ったら、誰だって特別ってことになるしさ」
「なるほど・・・」
「理樹君、中々面白いことを言うな」
「それとも私の思考が何かおかしいのか」
「・・・雨のせいかな」
来ヶ谷さんはホットコーヒーをソーサーに戻すと、窓の外に目をやった。
「複雑だな・・・止んでほしいとは思うし、止まないほうがいい気がする」
「・・・もうちょっとなら止まないでほしいかな、僕は」
「ん」
・・・なんだか、そういう風にして窓の外を眺める来ヶ谷さんが、妙に可愛いから。
(ああ、やばい・・・)
これってホントに来ヶ谷さんのことが好きになったってことだよなぁ・・・。



――「わけがわからん」
「少年は楽しいのか?」
「え?」
「曰く、欠陥だらけの頭の持ち主」
「曰く、ロボットみたいな女」
「曰く、何をされても平気な人」
「・・・楽しいのか?そんな人間の隣で濡れネズミになっていて」
「うん、楽しい」
「はぁ」
・・・思いっきり怪訝な顔をされる。
「それに、僕はそんな風に思わないけどな」
「来ヶ谷さんはロボットでもないし、何をされても平気じゃないって僕は知ってる」
「平気じゃないから、あの時本気で怒こったんでしょ」
「それってすごく人間らしいことじゃないかな」
「・・・さっぱり解らん」
「なるほど。人間らしく、か・・・できるのかな、私に」
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんは呟きながら、足元の水溜りを蹴った。
・・・僕のほうがわからないことだらけだ、来ヶ谷さんのこと。



――「よし、これをキミに捧ぐ」
・・・リンゴに『鬱』という字が刻み込まれていた。
「いや、ムチャクチャすごいとは思うけど、病人に捧げる字じゃないよね・・・」
「ふむ、そうか」
「まあ、せっかくだからもうちょっと凝った切り方をするとしよう」
来ヶ谷さんは次々とリンゴをウサギの形に変えていく。
「定番だがな」
「見ろ、この三つを並べるとうっすらと『鬱』の字が見て取れるようになっている」
いやなウサギ3匹だった。



「・・・キミは、だいじょうぶだからな」



――「今度は何だ、少年」
「また何か面白いことでもやるならありがたいんだが」
「いや、多分そんな期待されるようなことじゃないと思うけどね」
懐からプレゼントの箱を取り出した。
「あのさ、これ」
「なんだ、誰かに贈り物か?」
「つまり私に恋のキューピッド役を買って出ろと」
「うむ、なかなかいい人選だ。バッチリドッキリラブラブカップルを誕生させてやろう」
・・・見事に外れた発想の飛躍をされる。
ひょっとして、来ヶ谷さんこういう事に関しては結構鈍いんじゃ・・・。
「いや、これ来ヶ谷さんに」
「ほう・・・私に、とな」
「日頃の礼か?別に気にすることでもないんだがな」
「あー、うん・・・」
絶対気付いてない感じだ。
結構どころか、むちゃくちゃ鈍いのかもしれない・・・。



――「ようやく来たな、少年」
・・・姿は見えないが、声がした。
「いやまあ、隠れないでさ・・・」
「しかも二回目だし」
・・・前驚かせたリベンジでもしろ、ってことだろうか。
今度は負けたくないなぁ
ずっと来ヶ谷さんにはやられてばっかだし、くだらない事でも見返すことが出来たら、ちょっと自信になる気がする。
というか、何度も何度も同じようにやられてたら、さすがに自信なくしそうだ。
さて・・・。
(前と同じ、か)
だとしたら、また後ろから驚かされるんだろう。
(いや、待てよ・・・)
(あの時は後ろを向かなかったら前にいたはず)
僕はその場に立ち止まる。
(あれ、でも今向いてる方が前なのか?)
(後ろを向いたときの前は後ろだし、前を向いたときの後ろは前で・・・)
(後ろか前からなんて、その時々で全然変わるじゃないか)
とりあえず、今を基準に考えよう。
いや、来ヶ谷さんの言葉を思い出すんだ・・・。
『前向きに生きろ』。
今向いてる前が前だというなら、このままでいいはず。
「む・・・正解だ」
正面の木の陰から来ヶ谷さんが顔を出した。
「いやまあ、さすがに同じネタは二度通じないよ」
「ほう。私の示唆も無駄ではなかったということか」
「うむ、少し感心した」
なんか、ようやくひとつ来ヶ谷さんに勝った気がする。
ちょっと自信ついたかも。



――「・・・理樹君はいい友達を持ったな」
「こんな最高に馬鹿な真似ができる人間は、そうはいない」
「・・・うん」
「僕もそう思うよ」
「キミのおかげだな」
「え?」
「キミと馬鹿連中のおかげで、ようやく形ばかりの『楽』に気付くことが出来たと思う」
「それは誰かと分かち合うものなのだな」
「・・・自分ひとりでは自分すら見えない」



――「私はただの動いてしゃべるもの、だ」
「・・・・・・・・・」
そんな存在だったら、僕が好きになるわけないじゃないか・・・。



――・・・と、耳に入る、かすかなピアノの音。
「・・・・・・・・・」
耳を澄ませてみる。
スピーカーから、耳に覚えがある曲が聞こえてきた。
それは本当に小さな音だ。
・・・小さな音で、来ヶ谷さんのピアノの旋律が流れている。
「・・・・・・・・・」
『そっか、放送室か』
僕は足をそっちに向ける。



――放送室の前に立つ。
「・・・・・・・・・」
・・・前向きになろうとは思うけど、やっぱり緊張するものは緊張するし、不安は払い切れない。
・・・大体、告白前から絶対に成功するって思えるほど、僕は自分に自信があるわけじゃない。
むしろなんか、最近自分の情けない部分ばっかり見えてる気がするんだよなぁ・・・。
でもまあ、ここまで来たら覚悟を決めて玉砕するしかない。
(・・・・・・・・・)
なんとなく、来ヶ谷さんと杉並さんのやり取りを思い出した。
あのときに来ヶ谷さんの言葉って、杉並さんは僕のことが好きだって言ってたんじゃないだろうか。
(・・・いや)
そんなこと考えたってしょうがないな・・・。
人の心が見えない以上、そんな風に思えるのはよっぽどいい男か、そうでなければよっぽどの馬鹿だと思う。
・・・結局は、伝えないと前には進まない。
聞かないと気持ちなんてわからない。
「うん」
頷くと、放送室のドアに手を掛けた。
ピアノの演奏はもう終わっていたようだ。
・・・放送室の中から物音は聞こえない。
「・・・来ヶ谷さん?」
声を掛けてみる』
「ん」
声がする。
僕は中に入り、ドアを閉めた。
「なんだ少年、こんなところまでどうした」
「いや・・・ピアノの音が聞こえたからさ」
「ここに来ヶ谷さんいるんだって思って」
「ふむ」
「そうか、うっかりしていた。この間からライン繋いだままだったな」
「でも、そのおかげで来ヶ谷さんがここにいるってわかったよ」
「ん?私を探していたのか?」
「うん」
「言いたいことがあったからさ・・・」
・・・動悸の開隔が加速していくのがわかった。
「あ、あのさっ」
なんか、声まで上ずってしまっている。
「ん?」
「あの・・・」
「僕さ・・・」
「・・・おかしな少年だな。言いたいことがあるならはっきり言えばいい」
「二十四時間いつでもなんでも聞いてやるぞ」
簡単にはっきり言えたら誰も苦労しないって・・・。
「まあ、とりあえず落ち着いたらどうだ」
それも無理だ・・・。
「好きなんだ・・・」
「うん?」
「だ、だからさ・・・」
「僕、来ヶ谷さんが好きなんだ」
・・・言えた。
「ああ、私も理樹君は好きだよ」
「しかしそんなこと、改まって言うことか?」
「・・・・・・・・・」
見事に勘違いされてる・・・。
「いや、だからそういうんじゃなくて・・・」
「僕が言ってるのはさ・・・」
「え、えーと・・・」
・・・めちゃくちゃ恥ずかしい。
・・・ていうか何でこんなこと説明しなきゃいけないんだっ。
「その、多分恋してるって方の『好き』」
「・・・・・・・・・」
「・・・理樹君が、私にか?」
「う、うん」
・・・ようやくわかってくれたみたいだ。
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんは目を閉じ、じっと何かを考える。
答えを待つその時間が、僕には永遠と思えるほどの長さだった。
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
・・・。
・・・動かない。
時間が止まってしまったんじゃないか、と思う。
・・・やがて来ヶ谷さんが目を開け、口を開いた。
「・・・花を摘んだことがあるんだ」
「道端の小さな、綺麗な花だ」
「私はそれを持ち帰った」
「・・・けれど、それはすぐに枯れて」
「ボロボロになってしまって・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・たまらなく、後悔する」
来ヶ谷さんはこちらをみることなく、呟くように言葉を綴る。
・・・何のことだか、僕にはわからない。
「・・・聞かなかったことには出来ないかな」
「多分、私には」
「・・・誰の気持ちにも答える事が出来ないんだよ」
・・・去り際、僕の肩にぽんと手を乗せる。
「降り始めたな。理樹君も早く戻ったほうがいい」
そう言い残して、来ヶ谷さんは放送室を出て行った。
「・・・・・・・・・」
(振られたのか・・・)
僕ひとりになった放送室に、雨音が聞こえ始めてくる。
違う。雨はもっと前から降り始めていた。
・・・それは、気にしなければ聞こえない、ほんの小さな音のはずなのに。
僕にはやたら耳障りなほど、大きい音に思えた。



――「・・・なあ、理樹」
「おまえがやる気になってるところに水をさすようであれなんだがな」
「え?」
「・・・もう、いいんじゃないか?」
「これ以上やっても、おまえが心に傷を負うだけの結果になるかもしれない」
「そりゃ、好きなんだの色恋沙汰に、そういう結果はどうやってもついて回るだろうが・・・」
「だが、おまえが傷つく・・・そんな可能性がこれ以上高くなるなら、俺にはそれを手伝うことは出来ないよ」

―恭介は気付いてたんだと思う。
この先が、どうなるのか。
でも、だからって後には引き下がれないよ。
今の僕でもこの選択は変えないだろう。
好きなんだから・・・。

――「・・・それでもさ」
「どんだけリスクがあってもさ」
「好きなんだから、しょうがないんじゃないかな・・・」
「・・・・・・・・・」
「恭介の言ってることって、こんだけ頑張って失敗したら、ってことでしょ」
「まあ、そうとも言えるが」
「前向きになれってさ、そう教えてくれたのも来ヶ谷さんなんだ」
「だから、もうちょっと頑張ってみる」



――昼休み、放送室。
「・・・また来たのか、理樹君」
「うん」
僕は昼食の入ったビニール袋を机の上に載せると、来ヶ谷さんの座る席の対面に腰を落ち着けた。
「ふむ」
「せっかくだからまた曲紹介でもやっていくか、少年」
「いや、遠慮しておく」
「そうか、残念だ」
「・・・そんな事しに来たわけじゃないからさ」
「なんだ、また」
「ちゃんと返事を聞きたいんだ」
「それまで多分、諦めきれない」
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんはそのまま黙ってしまう。
また、長い間。
・・・でも、不思議と前ほどには緊張していない。
結構人間って、簡単に『慣れる』ものなんだと思う。
僕が今、変に覚悟を決めてしまってる、っていうのもあるかもしれない。
とりあえず、それが僕の決めた『前向き』ってことだ。
やがて、来ヶ谷さんが口を開いた。
「返事はしたつもりだったが」
「・・・理由を聞かせて欲しいんだ」
「言ったとおりだ。私は誰の気持ちにも答えることは出来ない」
「僕が聞きたいのはそういうことじゃなくてさ」
「もっと単純なことなんだ」
「なんだ」
「僕のことが好きか、嫌いか」
「・・・そんな二元論しかないのか、理樹君の質問は」
「うん」
『そのふたつ、どっちかの答えが聞きたいんだ・・・」
「・・・・・・・・・」
「あんまり、私を困らせないでくれ・・・」
「ごめん、わかってるんだけどさ」
もう一度、ため息。
「キミほど私の調子を狂わせた人間はいない」
「大体、私だぞ」
「何で私なんだ」
「何でとかじゃないと思うんだ」
「もう一回言うよ」
「僕は、来ヶ谷さんが好きなんだ」
「・・・・・・・・・!!」
・・・え。
「・・・・・・・・・」
顔を伏せたまま、来ヶ谷さんは早足で放送室を出て行ってしまった。
「・・・・・・・・・」
な、なんだったんだろう・・・。
と、機材の電源が入りっ放しだということに気付く。
(うわ、マイク入りっぱなしじゃん・・・)
でも、どうせ誰も聞いてないんだろうな。
いっそこれの向かって、全力で叫んでみたらスッキリするかもしれない。
(やっぱ振られるのかなぁ・・・)
恭介の言葉を思い出す。
せめて返事がもらえればなぁ。
(・・・僕には難しい、か)
実際、来ヶ谷さんのこと、わからないことだらけだし。
・・・そもそも、恋愛沙汰なんて初めてな僕が、『上手く』やれるはずもない。
でも。
(・・・さっきの来ヶ谷さん)
あんな顔を見たのは初めてだ。
・・・でも、あんなふうにする来ヶ谷さんは。
(・・・可愛かった、よなぁ・・・)
なんだか、そういう知らない来ヶ谷さんをみるたびに、どんどんそう思うようになってしまっていた。
最初はただの憧れだったのかもしれない。
・・・カッコいいなって。
今は、知るたびに可愛いって気持ちが強くなってくる。
(・・・やっぱりなぁ)
そう思っちゃうと、後になんて引けないよなぁ・・・。
簡単に諦められるようだったら、きっと好きになんてならないと思う。
とにかく、うやむやにしちゃうのだけは絶対に嫌だ。
椅子の背もたれに体を預けて、窓の外を見た。
・・・曇り空だ。
まあ、まぶしすぎる太陽に文句を言わなくてすむだけ、ましな天候なのかもしれない。
(ああもう、何バカなことばっかり考えてるんだろ・・・)
僕ははあと息を吐いて、機材の電源を切り、放送室を後にした。



――中庭の片隅、ガラクタのテーブルと椅子に腰掛ける。
「・・・苦いなぁ」
コーヒーが苦く感じるってのは、まだまだ自分が子供だってことだ。
・・・ことさら、苦く感じた。
「理樹君」
「え」
声に振り向く。
「・・・やあ」
「来ヶ谷さん・・・あ、あちちっ」
・・・コーヒーをこぼして、手に掛けてしまう。
「そんなに驚くことはないだろう」
「だって、何でここに・・・」
「さあ、何でだろうな・・・」
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんは静かに席に着く。
「だいたい、話すこともないのに、なぜ私はキミに声を掛けていたんだ」
「もう、さっぱりわからん」
「いや、僕に聞かれてもさ・・・」
「原因は間違いなくキミだぞ」
「・・・キミが私の調子を狂わせるんだ・・・」
はあ、とひとつため息を吐く。
「・・・昨日もよく眠れなかった」
「変に浮かれて、キミの言葉ばかりが頭に響く」
「ああ・・・」
「くそっ、何なんだキミはっ」
「い、いや・・・怒らないでよ・・・」
・・・そんなに気にしててくれたのか。
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんはふう、と息をひとつ吐く。
「・・・キミは」
「え?」
「私なんかの、どこがいいんだ・・・」
「う、うーん・・・どこだろう・・・?」
「理由も無しに人を好きになるのか?」
「さ、さぁ・・・もしかしたら僕がおかしいだけかもしれないけどさ」
「そんなもんなんじゃないかって思う」
「でも、きっかけはあったかも・・・」
・・・最初は、カッコいいって思ったから。
それから、だんだんとそれが『好き』ってことなんだと、そう思うようになった。
「キミの気持ちは・・・さっぱり解らん・・・」
「そ、そう・・・」
「きっと、私の不幸はそういう感情に触れることなく過ごしてきたことなのだと思う」
「キミたちと会うまで、自分が不幸であることすら気付けなかったんだ」
「なにが楽しいことで、なにがつまらないことなのか」
「私はなんにも知らなかった」
「・・・恋してるだとか、好きだとか、もな」
「だが・・・」
「今は・・・少し」
―それは本当に小さな願いで
「ほんの少しだけ、かもしれないが」
―それは少しずつ、紐解かれていくことで
「今は、解る気がする」
―それを、もっと、もっと知りたくて
「キミの言葉が・・・嬉しかったんだ」
―恋してるだとか、好きだとか、知りたくて
「それは、きっと」
―だから、その先を願ってしまったのでした
「・・・キミが思ってることと、同じなんだって、ことだと思う」
―それがどんなことかも知らず、願ってしまったのでした
「・・・・・・・・・」
お互い、黙ってしまう。
・・・と、鼻先にひとつ雫が。
雨が降り始めていた。
「以上、私の偽らざる気持ちだ」
いつもの口調だけど。
「・・・来ヶ谷さん、顔真っ赤」
「なっ・・・」
「・・・・・・・・・」
もちろんその返事をもらえたことが嬉しいんだけど、それ以上にこんな来ヶ谷さんを見ていることが、おかしかった。
「あ、あははっ」
「・・・なんなんだ、キミは」
「・・・嬉しくてさ」
「うん・・・すっごい嬉しいんだ」
「・・・嬉しい、か」
「雨、降ってきたな」
「あ、うん・・・」
「まあ、恋人の見舞いに行くというのもまた面白いものではあるが」
「こ、恋人かぁ・・・」
なんか、未知の響きだ・・・。
「・・・違うのか?私はそうだと思ったんだが」
「いや、うん、来ヶ谷さんがいいって言ってくれるなら」
「言わないとわからないのか、キミは」
「キミと私は恋人同士。それでいいか」
「うん・・・よろしく」
「うむ」
「・・・・・・・・・」
・・・来ヶ谷さんも慣れない響きのようだった。
「どうしたらいいんだ、こういうときは」
「別に・・・普通でいいと思うけど」
「それもそうか・・・」
「まあ・・・そういうわけだな」
「・・・戻る?」
「そうだな」
「・・・一つ、約束事をしようか」
「雨の日は、外に遊びに行くのはやめよう」
「え?」
・・・まあ、それは普通のことだと思うけど。
来ヶ谷さんは意外と心配性なのかもしれない。
「うん、わかった」
そう答える。
「じゃあ、今度晴れた日に、喫茶店に行こう」
「喫茶店?」
「こないだ行ったとこがいいな」
「・・・そうだな」
「晴れた日に、な」
ふたつの約束を取り付け、僕らはそれぞれの部屋に戻ることにした。



――その日も、雨。
カーテンの隙間から少し窓を開け、外を見る。
「・・・止まないなぁ」
あれからずっと空は変わらない。
「梅雨だからな。長雨になるかもしれない」
「週末には止むといいけどね」
・・・窓を閉めて、離れた。
「・・・そうだな」
昼休み、放送室。
僕らはふたりで、窓の外の降り続ける雨を見ていた。
景色は白みがかって、遠くは   気に見える。
(・・・雨って白いのかな)
薄っすらと雨の色がかかる木々を見ながら、そんなことを考えた。
「理樹君はいつもパンなのか、昼は」
「え、うん」
「ふむ・・・」
そういう来ヶ谷さんはアルマイトのドカ弁だった。
なんというか、質実剛健な来ヶ谷さんらしい。
「ん、なんだ」
「え?」
「いや、別に・・・」
「ふむ」
・・・僕ら、付き合ってるんだよなぁ。
何となく、そんなことを改めて思った。
「・・・ごちそうさま」
「うむ」
・・・食べるのも来ヶ谷さんのほうが早かった。
「ああ、そうだ」
来ヶ谷さんが鞄から可愛らしい包みを取り出した。
「これは小毬君に教えてもらったんだがな」
「クッキーを焼いてきたんだ」
黄色のリボンを解きながら言う。
「え・・・わざわざ焼いてきてくれたの?」
「理樹君は、クッキーは好きか・・・?」
「え、う、うん・・・」
「そうか。それならよかった」
・・・嬉しい。
開いた包みからは、手焼きのクッキー独特の甘い香りがする。
・・・そんな香りが残ってるってことは、朝に焼いてきたんだろうか。
「これ、大変だったんじゃない?」
「なに、別段たいした手間でもないさ。オーブントースターがあれば結構簡単に作れるな」
「へぇ・・・じゃ、ひとつもらうよ」
包みからひとつつまみ、口に放りこんだ。
・・・咀嚼してる間、じっと僕の顔を見られる。
「え・・・な、なに?」
「いや・・・別になんでもないが」
目を逸らす。
・・・反応が気になるんだろうか。
「うん、美味しいよ」
小毬さん直伝のせいか、とても甘い。
「そうか」
来ヶ谷さんもひとつ、口に運ぶ。
「・・・うん」
確認するように頷いた。
「・・・別に味見もしてなかったわけじゃないからな」
「いや、別にそんなこと思ってないけど」
「まあ、我ながらよく出来たみたいだ」
「いっぱいあるから、たくさん食べてくれ」
「あ、うん・・・」
・・・こういう可愛い来ヶ谷さんのことは、多分僕しか知らない。
「そうだ、理樹君」
「ん、なに?」
「耳掃除をしてやろうか」
「・・・え?」
「うむ、今のを聞き取れないようでは、掃除して然るべきだな」
「耳掻きも用意してある」
・・・いや、ていうかよく理解できなかっただけなんですけど・・・。
来ヶ谷さんは奥の椅子も引っ張り出してきて、自分の座っている隣に並べる。
「ほら」
ぽんぽん、と自分のひざを叩く。
いや、いきなりそういうことされても・・・。
「やっぱりたまってるじゃないか」
「いたたた・・・」
当然のように逆らえず、膝枕で耳掃除をされることに。
「気持ちいいか?」
「う、うん・・・」
・・・この体勢はかなり恥ずかしいけど。
「そうかそうか。穴をほじられるの気持ちいいか」
「だ、だからそういう言い方止めようって・・・」
そこは恋人同士になっても全然変わらないらしい・・・。
「・・・・・・・・・」
ていうか、太ももが気持ちいい。
「理樹君、あんまり動くんじゃない」
「あ、ごめん、あんまり動いてるつもりないんだけど・・・」
・・・動かないように気をつける。
「・・・フフフ」
「ん、なに?」
「理樹君は可愛いなあ」
「あ、あんまりうれしくない・・・」
いや、でも耳の近くでしゃべられるのは、なんか気持ちいいかもしれない。
耳掃除、やばいな・・・。
「ほら、反対側」
耳の外周をくるくると掃除される。
「・・・・・・・・・」
「ん」
「・・・もう一回お願いします」
「気に入ったか?」
「・・・うん」
とても幸せだった。
そうこうしているうちに、昼休み終了の5分前になった。
「あれ、そういえばアナウンスとかしてないけど」
「ああ・・・」
「気にするな、どうせただの趣味だ」
「いやまあ・・・」
その通りと言えばそのとおりなんだけど。
(・・・・・・・・・)
そういえば、どうして誰も聞いてないんだろう?。

教室に戻ってから、スピーカーのスイッチを調べてみた。
「・・・うーん」
別に、変なところもない。
大体壊れてたら、連絡放送とかも入らないはずだしなぁ。
「なんだ、なにをやってるんだ」
「いや、別に・・・」
「謙吾、お昼の放送って聞いたことある?」
「たまに入る連絡のあれか?」
「いや、違うけど・・・」
・・・この反応だけで、聞いたことないってのはわかった。
そうだ、来ヶ谷さんと仲のいい、葉留佳さんなら知ってるかもしれない。
「なになに?なんの話?」
「あ、葉留佳さん」
丁度よく、葉留佳さんが話の輪に入ってきた。
「葉留佳さん、お昼の放送って・・・」
「あーよく私呼びだされてますネ」
「いやいやお恥ずかしいことです」
「いや、そうじゃなくて・・・」
「来ヶ谷さんのさ」
「はい?唯ねえ?」
・・・やっぱり知らないらしい。
「唯ねえがお昼のDJでもやってるんスかね」
「あはははじゃあアシスタントとかに立候補したいナァ」
「ごめん、ありがと」
・・・放送室からのラインが壊れてるとか、そんなんかなぁ・・・。
(でも、僕は実際に放送を聞いたわけだし・・・)
よくわからなかった。



――今日も来ヶ谷さんはクッキーを用意してきていた。
それを食べながら、ふたりで話しを続ける。
「そういえばさ」
「なんだ」
「来ヶ谷さんって、何でバスターズに入ろうと思ったの?」
「・・・・・・・・・」
ちょっと考える。
「楽しそうだからだが?」
・・・まあ、そんなものなんだろうけど。
「・・・私はな」
すこし、来ヶ谷さんの声のトーンが変わった。
「笑い方を知らなかったんだ」
ひとつ息を吐き、続ける。
「・・・昔から、私は何でも出来た」
「けれど・・・」
「感情の動きというものが、私には何故か無かった」
「本当に、笑わない子供だったんだ」
「皆ができないようなことができても、皆が当たり前にできることが、私には出来なかった」
「・・・母は一度だけ言っていたよ。私がどれだけ誇らしいことをしても、私が笑ってくれたほうが嬉しい、と」
「だから・・・私は笑う努力をした」
「だが、それは仮面だ」
「いつまでもそれをつけていることが、次第に窮屈になってきた」
「私は・・・そこから逃げるように、全寮制のここに進学することにした」
「・・・・・・・・・」
教室でつまらなそうに本を読んでいる来ヶ谷さんを思い出す。
きっと、あれが本来の来ヶ谷さんなんだろう。
「そこで、キミ達に出会った」
「キミ達は、本当に楽しそうで・・・」
「私にはそれがうらやましかったんだ」
「理解したかった」
「ここでようやく、私は『人間らしく』なれた気がする」
「・・・何もかも初めてのことだ」
「キミと一緒にいると、そんなことにいっぱい出会える気がする」
「だから、もっと一緒にいたいと思ったんだ」
「・・・そんな大げさなもんじゃないよ、僕は」
「ふむ、そうかな」
「・・・好きってことなんて、そんな大げさなもんじゃないんだな」
「ああ・・・長くなってしまったな、すまない」
「こんなことを語るのは初めてだから、簡潔にまとめる事ができなかった」
「来ヶ谷さん、また『初めて』だね」
「む」
「僕はバスターズに入ってからの来ヶ谷さんしか知らないけどさ」
「来ヶ谷さん、多分もうそんなことで悩まなくてもいいんじゃないかな」
「・・・あとは、いっぱい『初めて』をみつけていければいいと思うよ」
「ああ、そうだな・・・」
なんだか、来ヶ谷さんが本当に何も知らない子供のように思えてきた。
・・・知らないことなんていっぱいあるんだろうけど。
一個ずつ、知っていけばいい。そう思う。



――「まあ、そういう個人的な関係も大事だからな」
「そうやって友情を深めるのもいいんじゃないか」
「え、いや、友情って言うか・・・」



――昼休み。
「・・・はぁ」
来ヶ谷さんは机に肘をついて窓の外を見ていた。
「止みそうにないな」
「うん・・・そうだね」
来ヶ谷さんの持ってきたコーヒーを紙コップで飲む。
・・・苦いけど、いい香りがする。
「・・・つまらんなぁ」
「まあ、天気ばっかりはしょうがないよ」
「まあ、そうなんだが」
来ヶ谷さんはクッキーをひとつ摘む。
・・・別に、こんな時間が続くのも悪くない、と思う。
そんなことを考えていると。
「うわっ・・・」
・・・後ろから来ヶ谷さんが僕の肩に両腕を回してくる。
「ちょ、来ヶ谷さん・・・」
「ん」
「あ、あの・・・恥ずかしいんだけど・・・」
「いいじゃないか、別に」
「恋人同士ならこれくらいするんじゃないか?」
「いや、それはそうかもしれないけど・・・」
「だったら問題ない」
・・・さらに密着して来た。
僕の頭に胸を載せるような形になる。
「・・・・・・・・・」
いや・・・。
おっきいなぁ。
(何をしみじみと思ってるんだ・・・)
「いや、あの・・・重いからさ」
「なに・・・重いか」
「それはダイエットでもしたほうがいいということか?」
「違うよっ、全然そんな必要ないからっ」
「む」
「来ヶ谷さんはそのままのほうがいいよ」
「・・・ふむ」
「じゃあこの体重より増えたら始める事にしようか」
「あー、うん・・・」
「残念ながら胸の重さはもうどうしようもないな」
・・・わかってるんじゃん・・・。
「・・・それもそのままのほうがいいと思う」
「了解した」
なんかもう、どんどんドツボにはまっているような感が・・・。
結局そのままの体勢でいることに。
「理樹君は可愛いなぁ」
男としてはいわれてもあんまり嬉しくない言葉だった。
「いや、来ヶ谷さんのほうが可愛いよ」
「むっ」
「・・・・・・・・・」
「うわっ・・・て、照れるじゃないか・・・」
「くそう、理樹君に手玉に取られる日が来るとは思いもしなかった・・・」
「いや別に手玉に取ってるつもりもないけどね」
「・・・思ったこと言っただけだし」
「・・・・・・・・・」
「来ヶ谷さんって、なんか・・・」
「な、なんだ」
「実は恥ずかしがり屋?」
「う、うるさいぞ」
「・・・慣れてないんだ」
自分でやるのはいいけど、やられるのは恥ずかしい、って感じなんだろうなぁ。
・・・こういう来ヶ谷さんも、知ってるのは僕だけだろう。

「・・・はぁ」
・・・来ヶ谷さんはこの体勢がなんか落ち着くらしい。
「・・・・・・・・・」
やっぱり、こういう時間が続くのも悪くないと思った。
・・・なんか恋人同士っぽいじゃない、こういうの。
「理樹君は今日もパンだったな、そういえば」
「え、うん」
「・・・ふむ」
「今度お弁当を作ってくるから、ふたりで食べよう」
「え・・・」
「何だ、不満か?」
「い、いや・・・その・・・」
ものすごく嬉しいです。
「来ヶ谷さんって料理もできるんだね」
「いやさっぱりだ」
「え、そうなの?」
「・・・というかやったことがない」
「クッキーが好評だったし、やればできるみたいなんだがな」
「ふうん・・・」
というか、来ヶ谷さんに出来ないことなんて、この世に存在するんだろうか・・・。
「嬉しいか?」
「うん」
「理樹君は素直だなぁ」
・・・ほっぺたを指でぐりぐりされる。
「あ、玉子焼きは甘いのがいいな」
「なに?甘い玉子焼きなんてあるのか?」
「いやまあ・・・」
・・・なんか、来ヶ谷さん変なところで物を知らない気がする・・・。
「よくお弁当とかだと甘いのが入ってるんだけど」
「そうなのか」
「来ヶ谷さんちじゃそういうのってないんだ」
「うちは特殊だからな」
「へえ?」
「両親の海外生活が長かったんだ。あんまり日本のライフスタイルというものには馴染みがない」
「と言っても、両親ともに純然たる日本人なんだが」
「・・・え?」
「うむ、そういうわけだ」
いや、初耳なんですけど。
「まあ俗にいうところの欧米かぶれというやつなのだろう」
「うちでは日本名で呼ばれることもないしな」
「なんか、どんどん衝撃の事実が明らかになってきてる気がするんだけど」
「え、日本名ってなに?」
「私は向こう生まれだからな」
「その頃に付けられた愛称があるんだ」
「ああ・・・」
だから名前で呼ばれ慣れてないのか。
「小毬君が初めてだよ。あれだけ強硬に名前で呼ぼうとしてくるのは」
「ふうん・・・」
「じゃあ、なんて呼ばれてるの?」
「リズベス」
「・・・・・・・・・」
愛称ってことは、本名はエリザベス。
思わず吹き出してしまった。
「・・・なにがおかしい」
「いや・・・」
「すっごい可愛いね」
「馬鹿にされている気しかしないんだが・・・」
「そんなことないよ」
「じゃあ僕もリズって呼ぼうかな」
「止めてくれ・・・」
「じゃあ、ゆいこさん」
「もっとダメだっ」
ヘッドロック気味に首をしめられる。
「ちょ、ギブギブ・・・」
「・・・ふん」
開放された。
「大体な」
「私を名前で呼んでいいのは、未来の旦那さまだけなんだ」
「・・・・・・・・・」
「理樹君はまだちょっと早い」
「・・・・・・・・・」
「さっきからなにをニヤニヤしているんだ」
「ほんと可愛いよね、来ヶ谷さん」
「なっ・・・」
「・・・まあ、しばらくは来ヶ谷さん、かな」
「・・・・・・・・・」
「もう、勝手になんとでも呼べばいい」
ぷい、と横を向く。
「あ、いや・・・そんな怒んないでよ」
「怒ってなんかない」
「じゃあ勝手に呼ぶ」
「ゆいこさん」
「・・・・・・・・・」
「スマン私が悪かった・・・」
「まあ、ちょっとずつでも呼ばれなれないとね」
「プロポーズかそれは」
「・・・あ、いや」
・・・反撃された。



――「あれ・・・」
・・・今日、何日だっけ。
まあ、どうでもいいか・・・。



――「何でこうも雨ばっかりなんだろうなぁ・・・」
「ん」
放送室でのお茶会。
・・・もう一度、窓の外に目をやる。
いくら梅雨だからって、こんなに降り続けるなんて・・・。
「・・・・・・・・・」
何かがおかしいような気がする。
「うわっ」
後ろから首にうでを回された。
「な、なに?」
「別になんでもない」
「・・・うん」
どうも来ヶ谷さんはこうするのが好きみたいだった。
「・・・・・・・・・」
僕も嫌いじゃない。
そのまま、ふたりで窓の外を眺めていた。
「・・・フフフ」
「え、なに」
「なんでもない」
なんか、照れくさかった。
「止まないなぁ」
ごまかすように呟いた。
「そうだな」
「いつになったら行けるんだろう」
「ん、なんだ」
「前に約束したよね」
「晴れたら喫茶店にデートに行こうって」
「ああ、そうだったな」
「駅前にちょっと高いが美味しい店があるんだ」
「おかわりがきけば最高なんだがな」
「え・・・」
「こないだ行ったところに行こうって話しじゃ」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・そうだったか」
「うん、商店街沿いのおかわりし放題で・・・」
「ていうか、僕らの初デートの場所じゃん・・・」
「・・・そうか」
「うん、そうだったな」
・・・来ヶ谷さん、忘れてる・・・?
(そんなわけないよなぁ・・・)
いや。
ふと思い出した。

『しかし、こんな時期に風邪とは、余程無茶なことをしたのだろう』
『いや、来ヶ谷さんも同じことしてるからさ・・・』
『・・・・・・・・・』
『・・・そうだったな』

「・・・・・・・・・」
思い返してみると・・・。
(なんか、変だぞ・・・)
大体、来ヶ谷さんがそんなこと忘れたりするわけないんじゃ。
「来ヶ谷さん」
「ん?」
「最初に数学教えてもらったとこの問題ってなんだったっけ」
「ああ・・・テキスト32ページの例題10だったな」
「2点O、(0,0)、A(3,0)からの距離の比が2:1である点Pの軌跡を求めよ」
・・・こんな人が、そんな大切なこと忘れるわけがないんだ。
「なんだ、なにを言いたい」
「・・・また何か私を試しているか?」
ヘッドロックされる。
「い、いやなんでもないってっ」
「・・・ならいいが」
(・・・・・・・・・)
いや、考えすぎか・・・。
来ヶ谷さんだって全部完璧ってわけじゃないんだろう。
おかしいのは・・・。
「止まないなぁ、本当に・・・」
この雨だ。
「本当にため息ばかりだな」
「え、そうかな」
「うむ、きっと早送り再生するとハァハァ息を荒くしているように聞こえることだろう」
「・・・いやまあ」
はぁ、と息を吐く。
・・・なるほど、確かにこればっかりだ。
「理樹君」
「ん」
「ほら、あーん」
・・・クッキーを鼻先に突きつけられる。
「い、いや・・・なんかめっちゃ恥ずかしいんだけど」
「これくらいさせてくれ」
「え?いやだってば・・・」
体を倒して圧し掛かっている来ヶ谷さんを退かそうとする。
「・・・・・・・・・」
ぽよん。
後頭部に、ちょうど胸の感触。
「・・・・・・・・・」
ぽよぽよん。
「・・・そんなにおっぱいが好きか?」
「あ、い、いや・・・」
「・・・ごめんなさい」
「まあ、別にかまわんのだがな」
「うう・・・」
・・・やっぱりこの関係は動かないのか・・・。
「まあ、罰として」
「ほら、あーん」
「うう・・・」
・・・ずるいと思う。



――「6月20日、午後6時30分現在の気象情報をお伝えします」
・・・・・・・・・。
(・・・降水確率90%かぁ)
この調子じゃ休みの日まで雨なんじゃ・・・。
(・・・・・・・・・)
休みの日?
「え?」
カレンダーをみる。
6月20日。
・・・水曜日。
「・・・・・・・・・」
まて・・・。
前の日曜日・・・。
17日は、何日前だ?
よく覚えていない。
覚えていないけど・・・。
もう、ここ3日くらいは、昼休みに来ヶ谷さんと一緒にいた気がする。
「・・・・・・・・・」
おかしい。
(落ち着いて考えよう・・・)
クッキーを貰ったのが最初で・・・。
次、来ヶ谷さんが名前で呼ばれるのを嫌がる理由を聞いて・・・。
「・・・・・・・・・」
その前の日曜日は、いつだ。
告白した日が日曜日じゃないとおかしい。
けど、その日僕は・・・普通に学校に行っていたはずだ。
いや・・・今、あれから何日過ぎてたっけ?
「あれ・・・?」
なんか、おかしい・・・。
「勘違いかな・・・?」
そんなこと、あるわけがないし・・・。



――(昨日・・・)
(昨日の授業って、どんなんだっけ・・・)
なぜか、思い出せない。
・・・なんなんだろう。
この、違和感ばかりの時間は。

昼休み。
来ヶ谷さんはもう、教室にいない。
・・・放送室に行こう。

廊下で真人とすれ違った。
「よう、どこ行くんだ」
「・・・来ヶ谷さんに会いに、ちょっと・・・」
「はぁ、なんかおまえら最近仲いいな」
「ちょっと、ボケるのもいい加減にしてよ・・・」
「僕ら付き合ってるんだから、当たり前でしょ」
「は・・・?」
「は・・・じゃなくて・・・」
と、僕の口が止まった。
・・・真人は。
ボケてるわけでも、なんでもなくて・・・。
「本当に知らないの・・・?」
「え?あ、ああ」
「みんなで色々やったじゃない・・・」
「僕が来ヶ谷さんにアタックするために、とかさっ」
「・・・・・・・・・」
真人は困惑の表情を浮かべたまま、僕を見ていた。
「・・・どうなってるんだよ・・・」
「なんかみんな、おかしいよっ!!」
「・・・わかんねえけどよ・・・」
「みんなって誰だよ?」
「え・・・?」
なんで、そんな当たり前の事を聞くんだ・・・?
「恭介と、謙吾と・・・鈴も、4人でさ・・・」
「知らねえと思うぞ、多分」
「・・・・・・・・・」
「わりいが・・・オレが知らねえってこたぁ、全員知らねえはずだぜ・・・」
「おまえさ・・・」
・・・真人の言葉を聞きながら、思い出す。
恭介もだ・・・。
・・・気付いていなかった。
異変だらけだったんだ。
「おい・・・」
困惑したままの真人をその場に残して、僕は放送室に駆け出した。
頭の中には、真人の最後の言葉が、ぐるぐると繰り返されていた。
「おまえさ・・・」
「夢でも見てたんじゃねえか」
夢は見ない。
・・・夢は見ないはずなんだ。
全部、本当にあったことのはずなんだ。
「・・・・・・・・・」
わけがわからない・・・。
なんか、みんなまるで・・・。
(来ヶ谷さんとのことだけ、なかった事になってるみたいじゃないか・・・!!)

放送室のドアを開ける。
・・と。
なにか・・・。
なにか、嫌なものが頭を過ぎった。
・・・それは、不安だ。
(もしかして・・・)
本当に、全部無かった事になっているんじゃないだろうか。

「・・・理樹君?」
僕に気付いた来ヶ谷さんが、声を掛けてくる。
「来ヶ谷さん・・・」
「何だ、どうした」
「恋愛相談にでも来たのか?」
・・・・・・・・・。
・・・息が詰まった。
「そんな・・・」
「だって、僕ら・・・」
僕ら、付き合ってるのに・・・恋愛相談って・・・?
「ん」
「・・・冗談のつもりだったが、少しタチが悪過ぎたか?」
「え・・・」
「いや、そんな反応するとは思わなくてな。すまなかった」
「・・・ほら、席に着け。クッキーでも一緒に食べよう」
「・・・・・・・・・」
冗談。
・・・そうなのか。
「そ、そうだよね・・・」
「・・・何か様子がおかしいぞ、理樹君」
「いや、うん・・・なんでもないよ」
「うん・・・でも、ちょっと、そういう冗談は・・・」
「ん、気に障ったか」
「なら、今度からはしないことにしよう」
・・・大丈夫だ。
ちょっとおかしなことがあって、たまたまそれが来ヶ谷さんの冗談と重なっただけで・・・』
きっと、そうなんだ。

・・・そう思おうとしても、今の僕には割り切ることは出来なかった。

来ヶ谷さんと向かい合わせのお昼。
胸のもやもやを押し込めながら、サンドイッチを口に運んでいた。
来ヶ谷さんはいつも通りで・・・。
それがさらにわけわからなくて・・・。
もやもやが不安へと、加速度的に変わってきていた。
「理樹君?」
「え・・・」
「どうしたんだ?」
「・・・どうした、って・・・」
「何か思い悩んでいる顔に見えるぞ」
「いや、別にそんなことはないけど・・・」
「多分、雨ばっかりだから」
「ふむ・・・?」
「まあ、いい。待ってろ、冷たいものでも買ってこよう」
「あ、いや・・・」
「なに、遠慮はいらんよ」
そう言うと、来ヶ谷さんは席を立ち、放送室を出て行った。
「・・・・・・・・・」
・・・本当に、いつも通りだ。
(なんなんだろう・・・?)
机に突っ伏した。
「・・・・・・・・・」
指先に開いたままの手帳が当たった。
「ああ、来ヶ谷さんのか・・・」
・・・勝手に見ちゃまずいだろうな。
閉じておこう。
(・・・・・・・・・)
ふと、内容が目に入った。
それは無地のページに、覚書のように書かれたものだった。
・・・上から。
『理樹君と付き合ってる』
『毎朝クッキーを焼いていく』
『最初のデートは喫茶店』
「な・・・」
「なに、これ・・・」
なんでもないメモ書きに見える。
・・・けど、その内容は・・・。
「なんで、付き合ってるなんて当たり前の事を、メモ書きにする必要があるんだ・・・!?」
手帳のメモって言うのは、それはつまり『覚えておくためのもの』であるわけで・・・。
『忘れないようにする』ための・・・。
・・・それに。
最初のデートが喫茶店って・・・。
それが、どうして『クッキーを焼いてくる』ことの後に書いてあるんだ。

『ん、なんだ』
『前に約束したよね』
『晴れたら喫茶店にデートに行こうって』
『ああ、そうだったな』
『駅前にちょっと高いが美味しい店があるんだ』
『おかわりがきけば最高なんだがな』
『え・・・』
『こないだ行ったところに行こうって話じゃ』
『・・・・・・・・・』
『・・・・・・そうだったか』
『うん、商店街沿いのおかわりし放題で・・・』
『ていうか、僕らの初デートの場所じゃん・・・』

「あの時だ・・・」
それはつまり・・・。
僕以外のみんな、来ヶ谷さんまで・・・。
(忘れていってる・・・)
そんな、バカなことがあるか・・・。
僕と来ヶ谷さんのことだけ、くり抜いたみたいに・・・。
(なんでこんなことになってるんだ・・・)
・・・呆然としていた。
こんなこと、あるはずがない。
起るはずがないんだ。
「ほら、買ってきたぞ」
「・・・・・・・・・」
「・・・本当にどうかしたのか?」
こと、と音を立てて、来ヶ谷さんが僕の前に紙のコップを置いた。
「来ヶ谷さん・・・」
「ん?」
「忘れたりしてないよね・・・」
「僕と来ヶ谷さんが付き合ってること、忘れたりしてないよね・・・?」
「・・・わけがわからんぞ、理樹君』
「うん・・・」
「僕だってわけがわからない」
「・・・キミは空の星が落ちてくることを心配したりするのか?」
「・・・・・・・・・」
「心配しなくていいさ。あるはずのないことを思い悩んで、どうなることもない」
「そう、だよね・・・」
「ないよね、そんなこと・・・」
「当たり前だろう?」
「・・・そんな心配、しなくてもいい」
そう言って、来ヶ谷さんは薄く笑った。
・・・でも。
この世界は、どこか変なんだ。



――また、朝がくる。

「・・・・・・・・・」
雪だ。
雪が降っている。
「・・・・・・・・・」
手のひらにそれをとる。
それはすぐに体温で溶けた。
「こんな、バカなこと・・・」
気温はちょっと肌寒い程度で、6月のそれのはず。
・・・雪はみぞれ交じりで降っている。
降ってくる間に溶け始めているのだろう。
けど・・・。
真上を見上げれば、それは確かに雪だった。

「ったく・・・雨ばっか続いたと思ったら今度は雪かよ」
「おかしいよ・・・」
「ん?なんがだ?」
「降るわけないじゃないか」
「六月で、この気温だよ!?」
「こんなことあるはずがないんだっ!!」
「おいおい、なにムキになってんだよ・・・」
「どうしたんだ」
「だって、おかしいでしよ・・・」
「雪が六月に降るはずがないんだ・・・」
「なにをそんなに真剣になってるか知らんがな・・・」
「別に、こんなこともあるんだろう」
「だよなぁ」
「・・・・・・・・・」
教室の周りをみる。
誰も、この雪を異常だと話している人はいない。
それどころか・・・話題にも上がっていないようだった。
(おかしいのか・・・?)
(これは全部勘違いで・・・)
(変に気にしすぎてる、僕が・・・)
・・・そう、考え出してしまった。
いや、違う。
おかしいのは、きっと・・・。
「僕以外の全部だ・・・」
「は?」
「何だ、一体」
ふたりとも、何の疑問も抱いていない。
・・・どうなってるんだ・・・。

授業を受けながら、考える。
・・・ごく普通の授業。
昨日は・・・確か、なんの違和感もなく受けていたはず。
だったら、おとといは?
その前は?
「・・・・・・・・・」
覚えていなかった。
(空の星が落ちてくるなんてこと、普通はあるはずがない・・・)
(けど・・・)
・・・今の状況が、普通か?
明らかに僕は、何か異質などこかに迷い込んできてしまっていた。
僕がおかしいんだろう、きっと。
みんなはこの『異質などこか』の住人で・・・。
今起きていることは、今僕がいる『どこか』では当たり前のことで・・・。
僕ひとりだけ、ここが『異質』だと感じているだけで・・・。

「真人・・・」
「あん?」
「昨日って何日だった?」
「・・・また変なこと聞くな、おまえ」
「今日が20日なんだからよ・・・」
「昨日は19日だぜ」
「・・・うん、そうだよね」

もう、認めよう。
今僕がいるここは、異常なんだ。
・・・確かめてみなきゃいけない。
今日が20日のわけがないなら、どこでそれが   れてしまったのかを。
だって・・・。
本当に来ヶ谷さんまで、全部忘れてしまったら・・・。
(そんなの・・・)
僕だけが、取り残されるみたいじゃないか・・・!!

――仮に、だ。
20日がずっと続いているのだとしたら。
この時計のカレンダーは、21日を表示することは永遠にないはずだ。
・・・そんな、簡単なことでいい。
それだけで、僕は確かめることが出来る。

・・・。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。

ようやく、日が暮れた。
(長い・・・)
・・・一日が長い。
(来ヶ谷さんは、今日はどうしてただろう・・・)
放送室で、僕のことを待っていただろうか。
「ああ・・・」
何で僕は、来ヶ谷さんに一言断っておかなかったんだ・・・。
携帯で謝っておくかな・・・。
・・・繋がらない。
「・・・・・・・・・」
メールを送ってみる。
転送先が不明で、帰って来た。
「・・・・・・・・・」
前にもこんなことがあった。
いや。
でも、その後に、来ヶ谷さんから電話がかかってきたこともあったし・・・。
僕と来ヶ谷さんのことだけじゃない。
山ほど、おかしなことはある。
「・・・・・・・・・」
考えてみるけど、『おかしい』という事実がわかっただけで。
一体何がどうなってるかもさっぱりわからない。
・・・考えに詰まったとき、自分が空腹であることを思い出した。
(なんか食べるか・・・)
確か、買い置きのカップラーメンがあったはず・・・。
カセットコンロにヤカンをセットしてから、カップラーメンを探すことにした。

・・・買い置きは、二個。
僕と真人の分がひとつずつだ。
・・・それをすすりながら、じっとデジタル時計の点滅を眺めていた。

・・・・・・・・・。

0時が迫ってくる。
ことさら、一番右の表示がひとつずつ変わっていく間隔が、長く感じる。
まどろっこしい。
・・・・・・・・・。
・・・・・・。

「あ・・・」
・・・今、うっすら寝てしまっていた。
ここで寝たら、確かめることも出来なくなる・・・。
ひとまず、顔を洗いに行くことにする。
「う・・・」
・・・こんなときに。
意識は、闇に沈んでいく。
夜に発作が起こることなんてなかったのに・・・。
・・・抵抗する。
おぼろげになっていく視界の中。
・・・確かに、見た。

0:00、6/21。

(ああ・・・)
もしかしたら、『ヘン』な世界は今、終わったのかもしれない。
目が覚めたら・・・。
いつもどおりで・・・。
こんな思い、
しなくていいと、
いいな・・・。

「・・・・・・・・・」
・・・目が覚めた。
時刻は・・・。
デジタル時計の表示を見る。

・・・7:32。
日付は・・・。
6/20。

「―――ッ」
・・・心臓の鼓動が、一瞬どこまでも膨張したようになった。
息が止まる。
なんだよそれ。
どうなってるんだ、これは。
昨日は変わってただろ、21日に。
やっぱり、絶対におかしい。
みんな、なんで気付かないんだ。
・・・混濁する。
思考は、どこまでも混濁する。
(どうしたら、いいんだ・・・)
僕は・・・。
ただ、普通に・・・。
すごく、当たり前の生活をして・・・。
大好きな、来ヶ谷さんと一緒に・・・。
来ヶ谷さんと、すごく当たり前の日々を、一緒に過ごしていきたいだけなんだ・・・。
何で、こんなことになってるんだよ・・・。

・・・窓の外に目をやった。
相も変わらず、雪が降っている。
「・・・・・・・・・」
今日は6月20日。
初夏。
普通だったら、雪が降っているのに、おかしいとは思わないわけがないじゃないか。
降るはずがない。
・・・けれど。
今僕の鼻に落ちてきた白い雪は、確かに冷たかった。
・・・どうしたら、いいんだ・・・。

「・・・・・・・・・」
戸棚を見る。
昨日食べたカップラーメンは一個。
戸棚に残っているカップラーメンは、ひとつ。
「・・・不完全だ」
今日の20日は、昨日と同じ20日じゃない。
進んでいる。
・・・繰り返しているのに、どこかへ向かっている。
歪な世界が、違和感だらけのまま、どこかへ進んでいる。
それがどこまで行くのかはわからない。
「・・・・・・・・・」
本当に・・・。
(どこに行くんだ、ここは・・・)

いつもの教室。
いつもの光景。
外には、ゆき。
積もらないゆき。
来ヶ谷さんはいつもみたいに退屈そうに、その光景を眺めていた。
普段は、なんだか照れくさいから、教室では来ヶ谷さんとふたりでは話をしない。
でも、今は・・・。
「・・・・・・・・・」
怖かった。
・・・なくしてしまうのをしるのが、こわかった。

昼休みになる。
・・・来ヶ谷さんはいつものように、いつの間にかいない。
全部当たり前だ。

廊下に出る。
「よう、どこに行くんだ」
真人に声を掛けられる。
前にも、同じタイミングで話しかけられたはずだ。
少しだけ、わかった気がする。
不完全なんだ。
・・・あくまで、ここは『同じ日』なんだろう。
『あった事』はどこかに保存されているのか、みんなはその通りに動いている。
『なかった事』には興味を示さない。当たり前として受け止められる。それがこの世界のメカニズムだ。
進んでいるのに、動かない。そんな不完全なんだ。
「・・・放送室に」
僕はそう答える。
「放送室?」
「来ヶ谷さんが、いるから・・・」
『あった事』が再現されるなら、真人の次の言葉も、僕にはわかる。
「はぁ、なんかおまえら最近中いいな」
・・・・・・・・・。
「なんだおまえ、来ヶ谷に気があったりすんのか?」
「・・・・・・・・・」
「まー、頼りねえおまえとあいつじゃ、結構上手くいくかもしんねえな。ははっ」
・・・・・・・・・。
「・・・うん・・・」
「すごく・・・上手くいってたんだ・・・」
「本当に・・・すごく、上手く・・・」
「・・・・・・・・・」
不思議そうな顔をする真人をその場に残して、僕は放送室に向かった。

窓の外。
・・・降り続いていた。

ドアの前に立つ。
・・・何度目だろう。
このドアの前で戸惑うのは・・・。
ここで来ヶ谷さんと過ごしたこと、僕はちゃんと覚えている。
それがずっと続くんだって思ってた。
・・・なのに、何で・・・。
こんな、意味のわからない事態になってて・・・。
なくしてしまうかもしれない、なんて不安にならなければならないんだ。

「来ヶ谷さん・・・」
中に向かって声を掛ける。
「ん・・・理樹君か」
返事が返ってきた。
・・・僕は、何も言えない。
言葉が見付からない。
「何だ、どうした」

「恋愛相談にでも来たのか?」

・・・ああ。
これは、冗談ですか。
それとも・・・。

「・・・うん」
「実はさ・・・」

やっぱりもう、なくしてしまうんですか。

「大好きな女の子がいてさ・・・」
「普段は、すごく飄々としてて、つかみ所がなくてさ・・・」
「いたずら好きで、周りを振り回してばっかりで・・・」
「でも、本当はすごく可愛くて・・・」
「僕は・・・」
「そんなところが、大好きで・・・」
「僕らは、付き合ってたんだ・・・」
「・・・・・・・・・」
「でも・・・」
「その女の子、さ・・・」
「忘れっぽいのかもしれなくて・・・」
「僕と付き合ってたこと、メモ帳に書いてたり・・・」
「デートの約束も忘れちゃってたり・・・」
「・・・みんな、それを忘れてたり・・・」
「どうしたら、いいのかな・・・」

「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんは、窓の外を見ていた。
ただ、じっと、僕のほうをみることなく、外を見ていた。
「忘れてしまうといい」
「・・・そんな女のことなんかな」
「忘れてしまうがいい」
「・・・どうなるかもわからず、キミの心を踏みにじるような、最低の女だ」
「・・・人の気持ちなんか、これっぽっちもわかっていない、最低の女だ」
「だから・・・」
「私のことなんか、忘れてしまえばいい」
「忘れられるわけないだろっ!!」
「ねえっ!!一体どうなってるのさっ!!」
「僕には全然わからない!!」
「なんで、僕らが付き合ってることがなくなるのさっ!!」
「なんで、20日から先が進まないのさっ!!」
「何で・・・」
何で・・・。
来ヶ谷さんは、忘れてしまうんだ・・・。
「私のせいなんだ」
「私が、そんな風に願ってしまったから」
・・・・・・・・・。
「ねがい・・・?」
「理樹君・・・」
「私は、本当に空っぽだったんだよ」
「泣いたり、笑ったり、喜んだり、怒ったり・・・」
「そんな、みんなが当たり前に持つ気持ちが、よくわからなかった」
「・・・・・・・・・」
「なあ、理樹君」
「・・・私がリトルバスターズに入ってから」
「本当に、楽しかったな」
「・・・うん」
「だから・・・」
「今ならわかると思ったんだ」
「知りたい、と思ったんだ」
「キミと恋をして」
「もっといっぱい、知ることが出来た」
「願いはどんどん叶えられていったんだ」
「・・・知らなかった恋を、もっと知りたかったんだ」
「わかんないよ・・・」
「僕には、なにひとつとしてわからないよ・・・」
・・・来ヶ谷さんが、振り返る。

「理樹君」
「・・・ここはな、そういう場所なんだ」
「願いを叶えられる場所なんだ」
「・・・・・・・・・」
「そんな、夢の場所なんだよ」
「夢って・・・」
「そんな、バカな・・・」
信じたくない。
信じたくないけど・・・。
この異常な事態は、確かに・・・。
・・・僕は夢を見ているのか?
「・・・うん」
「キミは、私の夢の中の住人なんだ」
「・・・・・・・・・」
「ここは私の見ている、願いの叶う夢なんだよ」
「じゃあ、僕も、みんなも・・・」
・・・これが全部夢だって言うのか・・・?
「な、何で・・・」
「何で、そんなことに・・・」
「・・・私の知っている事実はそれだけだ」
「嘘だ・・・」
「嘘だろ、そんなの・・・」
「・・・・・・・・・」
「あるはずないだろ、そんなの・・・」
「うん・・・ありえない」
「ありえない事実だが、確かにここにある」
「・・・けれど」
「ありえない事実だから、成り立たない」
「世界が回る歯車なんて、ほんの少しがずれただけで・・・」
「正常に動かなくなってしまうんだ」
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんの言葉は、習いたての英語の構文のようだった。
一つ一つ、頭の中で辞書を引き、わかるように直していく。
・・・つまり。
歯車がずれた瞬間は。
僕と来ヶ谷さんが恋をした瞬間で。
僕と来ヶ谷さんの二人だけが、イレギュラーだってことだ。
「・・・どうして私がこんな夢を見始めたのかは、わからない」
「けど・・・」
「夢は、覚めたら無くなるんだ」
「キミと恋したことも」
「キミが私に抱いてる感情も」
「・・・全部」

―夢は、覚めれば・・・
―・・・静かに、忘れてしまうんだよ。

「・・・・・・・・・」
「・・・忘れたくはない」
「私だって抗ったんだ」
「忘れまいとした」
「でも、ダメだった・・・」
「それに・・・」
「多分、もうすぐこの夢は終わるんだ」
「それはつまり、すべて無かったことになるということだろう」
「今ここにいる夢で起きてきたこと、すべてが」
「・・・ずっと、出来ればずっと・・・」
「ずっと、こうしていたかったけど、な」
「まだ、思い出せるよ」
「・・・キミと付き合っていたこと」
「けど・・・」
「どんどん、それが朧気になっていって・・・」
「もう、ほとんど・・・」
「何を話していたかも、何を一緒に食べていたかも思い出せない」
「私が全部忘れてしまったら」
「それは『覚める』ということで」
「・・・きっと、この6月20日は終わるんだろう」
「・・・この歯車の狂った夢が終わるんだろう」
「・・・そんな」
「いやだよ・・・」
「僕は確かにここにいて、来ヶ谷さんのことが好きで・・・」
「そんなのが、全部なくなるなんて・・・」
「嫌だよ、そんなの・・・」
「・・・うん」
「いっそ・・・」
「気付かないまま、終わってしまえばよかったのにな」
「来ヶ谷さん・・・?」
「知らなかったんだ・・・」
「悲しいってことが、辛いってことなんて・・・」
「こんなにも胸が苦しくなるなんて・・・」
「私は全然、知らなかったんだ・・・」
「恋をするってことは・・・」
「誰かを好きになるっていうことで・・・」
「その大好きな人と、別れるってことは・・・」
「こんなにも悲しくなるってことだったんだ・・・」
「・・・・・・・・・」

―・・・知らなければよかった
―こんな感情、知らなければよかったんだ。

「どうにか・・・ならないの?」
「わからない・・・」
「私が知っているのは、これが全てだ」
もう一度、来ヶ谷さんの言葉を思い出す。
一つ一つ、思い出しては、それを考えてみる。
来ヶ谷さんは、明確に言った。
『終わり』と『別れ』。
どうして終わり、どうして別れるのか。
夢って、一体どういうことなのか。
・・・原因も対策も、何ひとつわからない。
パズルのピースは、あまりにも足りなかった。
「・・・探すよ」
「絶対、何かあるはずなんだ」
「・・・きっと、何か・・・」
「・・・・・・・・・」
多分、きっと、何か。
・・・前向きに、って。
教えてくれたの、来ヶ谷さんじゃないか。
でも・・・。
どうしたらいい、と考えても・・・。
「・・・どうしようも、ないんだよ」

・・・それでも、なお。
僕は僕の責任で、抗い続ける。
・・・こんなふざけた終わり方、在ってたまるかっ!!

「・・・さて」
「まだ、届くかな」

僕は教室にいた。
自分の席に座っていた。
僕がこうしているのは、   だろうか。

・・・みんなは『いつもどおり』だった。
僕にはみんな、思考を止めてしまった人形のように見えた。
だってそうだろう。
・・・こんな異常な世界で、ただ『いつもどおり』を疑いもせずに、演じているだけなんだから。
そんな人形劇を、僕だけがひとり、浮いたところでただ眺めているようだった。
「・・・・・・・・・」
・・・考えては、みたんだ。
いつからで、どこで、なにが原因で。
けど、どうしようもないじゃないか。
誰ひとりとして気付いていないんだから。
僕だけしかいない場所で、何も知らない場所で・・・。
・・・なにもわからないんじゃあ・・・。
「どうしようも、ないじゃないか・・・!!」
・・・僕の呟きすら、誰も聞いていない。
ただ、『いつもどおり』の喧騒に包まれているだけだった。

・・・空っぽな気持ちだった。
頭の中がプラスティックの容器にでもなったみたいに、何もなかった。

・・・ふいに。
(・・・・・・・・・)
ピアノだ。
(放送・・・?)
・・・耳を傾ける。
声が、聞こえてきた。

『・・・くん』
『理樹君』
『・・・まだ、伝えてないことが一つあったんだ』
『私は、照れ屋で意地っ張りだから・・・』
『最後まで面と向かって言えなかったんだ』
『もし、だ』
『また、キミと過ごして、この気持ちを覚えていたなら』
『・・・そのときは、きっと私から言うよ』
『誰もいない放課後の教室にでも、キミを呼び出して』
『・・・好きなんだ、って』
『恋してるって方の、好きなんだって・・・』

『・・・・・・・・・』
「・・・・・・・・・」
別れの、言葉。
「なんで・・・」
「何で、誰も・・・聞いてないんだよ・・・」
「聴こえてるじゃないか・・・」
「来ヶ谷さんの声がさ・・・!!」
「何で誰も聞いてないんだよっ!!!」
叫ぶ。
けど、誰ひとりとして振り返るものはいない。
僕の声すら、誰にも届いていないようだった。
・・・理不尽すぎる。

はぐるまはもう、どうしようもないほどにずれていたんだ。

耳に残るのは、ピアノの音。
・・・それは、どこか無機質な、電子ピアノの・・・。
(・・・ピアノ)
誰にも聞こえないピアノの音。
それを、僕はずっと聴いていたんだ。
降り続ける雨のときも、来ヶ谷さんが忘れ始めたときも。
・・・雪のときにも。
それは、聴こえていたんだ。
たったひとつ、ようやく見えたこの世界のホコロビだった。
(もし・・・)
(もし、まだ届くなら・・・)
携帯を取り出し、来ヶ谷さんにコールする。
『お掛けになった電話は、電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないため・・・』
届かない。
「・・・・・・・・・!!」
掛け直す。
一回だけでいいんだ。
・・・けど、ダメだった。
「もう・・・」
「繋がらないのか・・・」
それはきっと、予兆だったんだ。
放送室に、行こう。

教室を出た。

・・・窓の外は、まだ雪が降り続いていて・・・。
世界は、白だった。

「・・・・・・・・・」
扉の向こうには、さっきまで教室があったんだ。
それも、白に埋もれていた。
扉の向こうには、ただ真っ白な空間が存在していた。
遠くには教室の喧騒が聞こえる。
・・・目の前に教室があるはずなのに、遠くに。
それはつまり・・・。
もう、夢が終わり、全てが覚めていくということだった。
必要の無い『舞台』から消えていく、ということだった。
僕は。
その白に飲み込まれたら、きっとすべては終わってしまうんだろう、と理解した。
真っ白な空間が『存在』してるんじゃない。
そこには、何もないんだ。
『空白』の『白』なんだ。
「消えてしまう・・・」
「どうして・・・」
「どうしてみんな、消えてしまうんだ・・・」
廊下を走りながら、何度も来ヶ谷さんにメールを出す。
たった一度だけでいい。
・・・せめて、この世界で、もう一度だけ・・・。
来ヶ谷さんにもう一度だけでも繋がれば、何かが変わる気がするんだ・・・。
「届け・・・!!」

―・・・どうにかなるなら、なんて思ったんだ。
―けど、どうにもならなくて・・・。
―私は、本当に何も知らなかったんだ。
―私は・・・。
―もう、十分です。
―もう、何も言う事はありません。

・・・放送室。
僕は、部屋の奥、窓辺にある電子ピアノの前に立つ。
もし、これがなにかの始まりを告げるものだとしたなら。
・・・何かが動く前兆なのだとしたら。
「それを、止めれば・・・」
きっと、異変も止まるはずだ。
耳には、スピーカーから響く、電子ピアノの音が流れ続けている。
・・・止めよう。
布を取る。
「・・・・・・・・・」
電源は・・・入っていない。
電源も入っていないのに、音は奏で続けられていた。
じゃあ・・・。
(どうやって止めるんだ・・・!?)
プラグを抜く。
ラインを引きちぎる。
・・・止まらない。
「くそぉっ!!」
放送の機材の電源をすべて切った。
・・・スイッチを、手当たり次第落としていった。
「止まれっ!!」
鍵盤を何度も叩く。
「止まってよぉ・・・っ!!」
いくつかの白い破片が足元に落ちる。
・・・手には血が滲んでいた。
でも・・・。
それは、止まらなかった。
「・・・・・・・・・」
どうしようもない。
この行為は、それを改めて知っただけだった。
・・・何事もなかったように、それは『放送』され続けている。
「・・・・・・・・・」
片隅にほんの少しだけ残っていた燃料を使い果たしたみたいに、僕の全身から力が抜けていく。
膝が折れて、僕の体が、椅子に投げ出される。
・・・・・・。
・・・・・・・・・。

ずっとこんなことが続くような、そんな世界も、あるのかもしれない。
・・・あったのかも、しれない。
何度も何度も、思ったんだ。
どうすればいいのかって。
そのたびに、何度も、何度も・・・。
同じ答えを突きつけられてきたんだ。
この夢は終わる。
ただ、静かに消えていくんだろう、と。
そう思うと・・・。
「・・・少年」
声に振り向いた。
「・・・・・・・・・」
「来ヶ谷さん・・・」
「なんか、久しぶりだな。そう呼ばれるの」
「そうか?」
「うん」
・・・・・・・・・。
「来ヶ谷さん」
「ん」
「来ヶ谷さんは、ここは来ヶ谷さんの夢だって言ってたけどさ」
「・・・やっぱり、ちょっと違うと思う」
「・・・・・・・・・」
「だって僕はやっぱりここにいてさ」
「・・・ここにいるんだよ」
「それってたぶん、来ヶ谷さんだけの夢じゃないってことなんだよ」
「うん」
「そうかもしれないな」
「・・・ねえ」
「なんだ」
「前みたいにさ、後ろから抱きしめてくれないかな」
「・・・ああ、いいだろう」

終わっていく。
想いだけを残して、もうほとんど消えて失くなってしまった。
・・・それはとても、悲しいことだった。
「・・・お弁当作ってくれるって言ったんだ、来ヶ谷さん」
「結局、作ってもらえなかったけどさ」
「食べたかったな・・・」
「来ヶ谷さんはさ、料理も上手そうだったから・・・」
「きっとすごく美味しいのを作ってくれたんだろうな・・・」
「それでまた、僕は来ヶ谷さんの事をもっと好きになるんだよ」
「・・・晴れた日、すごくドキドキしながらデートに行くんだ」
「そんなのが続いてさ・・・」
「僕は照れてばっかりで・・・」
「今度はみんなが僕をもっとしっかりさせよう、とか動き出してさ・・・」
「どこかちょっと遠くにデートとか、行くことになるんだ・・・」
「でも、来ヶ谷さんはそんなのお見通しで・・・」
「結局、いつも通りのままでさ・・・」
「でも、ちょっとずつ・・・」
「本当にちょっとずつ、進んでいくんだ・・・」
「そんなのだったらな・・・」
来ヶ谷さんは黙ったままだった。
「・・・今はさ」
「どうしたら良かったのか、なんて考えてる。
「・・・すまない」
一言、漏らす。
「・・・ん、来ヶ谷さんは何も悪くないと思う」
「きっと、誰ひとりとして悪くない」
ただ、どうしようもなかったっ、それだけなんだ。
「ずーっとこうしていられたらなって、そう思ったんだ」
「僕も覚めたら忘れちゃうのかな」
「・・・きっと、何も残らないよ」
「そっか・・・」
・・・本当に、空っぽだった。
この『瞬間』を切り取れるなら、そのまま動かなくても構わない、とさえ思う。
でも、次の『瞬間』は訪れる。
「・・・さよなら、理樹君」
僕の肩に、雫が落ちる。
来ヶ谷さんが、悲しんでいる。
悲しんでいるんだ。
・・・やっぱり。
来ヶ谷さんは、可愛くて・・・。
僕の大好きな、女の子だったんだ。

・・・・・・・・・
・・・・・・
・・・

・・・思い出した。
全部、全部思い出した。
どうして僕はこんな大切なことを忘れていたんだ。

「理樹君」

不意に誰かに名前を呼ばれた。
後ろを振り返ってみる。
そこには、独特なツインテールに幼げなピンクの髪留めを付けた少女が、葉留佳さんが立っていた。

「葉留佳、さん・・・?どうして・・・」
「やはは、どうしてと言われると少し困っちゃいますネ・・・」
本当に困った顔をしていた。
「まあ・・・いろいろあるんですヨ」
「ところで理樹君」
・・・ごまかされた。
「もう、全部思い出せたかな、唯ねえのこと」
「あ・・・うん」
「そっか・・・」
「あのね、実は聞いてほしい事があって・・・」
「ん?」
「ええっとね・・・」
「ずっと・・・唯ねえのそばに・・・ずっといてあげてほしいの」
「えっ?」
葉留佳さんは目を閉じて、少し考えてるようだった。
そしてゆっくり目を開いた。
「鈴ちゃんは友達。小毬ちゃんはお兄さんの想いと絵本。クド公は祖国と家族。美魚ちゃんは笑顔。・・・私は双子の姉」
「・・・何のことかわかる?」
・・・現実世界で残ったもの・・・か。
「今言ったのは、みんなに残ったもの。それも大切な」
やっぱり・・・。
「でも・・・唯ねえは何が残るかな」
「・・・・・・・・・」
「唯ねえに残らなきゃいけないのは、理樹君・・・」
「僕・・・?」
優しく、それでいて力強く頷いた。
「唯ねえの大切なものは、理樹君なんだよ」
「・・・唯ねえはね、私たち以上に苦しんだし、辛い思いもした」
葉留佳さんの瞳から涙が零れそうなのがわかった。
「だから私は、私たちは、姉御に幸せになってほしいっ・・・!」
「そばにいてあげてほしいのっ」
・・・・・・・・・。
「もちろん、そうする」
「僕は、本当に来ヶ谷さんの事が大好きみたいなんだ」
「誰に言われなくても、僕は、来ヶ谷さんのそばにいる」
迷いも無く答えていた。

もう、『彼女』を悲しませたくない。
泣き顔は見たくない。
笑った顔が見たいんだ。
だから迎えに行く。愛するひとりの女の子を・・・。

「えへへ、そっかそっか、って聞いてるこっちがなんか恥ずかしいですネ」
「ははっ・・・」
正直な所、たしかに今の発言は恥ずかしかった。

「っ・・・!?」
何・・・?あたたかい光が体に纏わり付いてくる・・・。
「・・・そろそろ、この夢も終わりに近づいてきたのかな」
「終わり・・・」
「あのさ理樹君」
「え、なに?」
「ありがとね」
「・・・なんのこと?」
「言ってみたかっただけっ!」
「え、う、うん」
どんどん光が強くなってくる。
「・・・また、会えるよね」
「会えるよ。だってここは、理樹君の夢の中の世界なんだから」
「そっか・・・」
立っている感じがしなくなってきた。
「・・・またね」
さみしげな表情だった。
「あ、あの、葉留佳さんっ!!」
何か言わなきゃいけない、そう思った。
「ん?」
「ごめんね」
どうしてかその言葉が出ていた。
「・・・・・・・・・」
「ん、わかった」
葉留佳さんは少し、さみしそうに微笑んだ。
そして、すぐにいつもの笑顔に戻って、大きく手を振った。
「・・・じゃあね理樹君、また後で!!」
「・・・うんっ」
僕は完全に光の中に包まれていた。




















〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





















(・・・・・・・・・)
軽く目を開ける。
・・・眩しい。
ここは・・・。
戻ってきた、のか。
なんだろ・・・後頭部がやわらかいものに乗ってる。
・・・太もも、だろうか。
えっ・・・!?
途端に意識がはっきりした。
「・・・すぅ・・・すぅ」
寝息が聞こえる。しかもものすごく近くで・・・。
その主を目で辿る。
壁に寄り掛かりながら、来ヶ谷さんは、静かに寝息をたてていた。
僕が眠っている間、ずっと膝枕をしていてくれたのだろうか。
どうしよう、上体を起こしたら来ヶ谷さん起きちゃいそうだし・・・かと言ってこのままもなぁ・・・。
「・・・すぅ・・・すぅ」
それにしても・・・可愛いな・・・。
このままでも悪くないと思ってしまう。
「・・・んっ・・・。理樹、君?」
・・・起こしてしまった。
「ごめん、起こしちゃったね・・・」
「・・・すまない、私まで寝ていたのか」
「それでもう、大丈夫なのか?」
心配そうに顔を覗き込まれる。
「あ、う、うん。頭痛は少し残ってるけど、時期に治るから」
・・・やばい、照れる。
「・・・そうか」
来ヶ谷さんは優しく微笑んだ。
「・・・前にもあったね、こんなこと」
「・・・・・・・・・」
「眠ってしまった僕を介抱してくれたこととか、膝枕をしてくれたこととか」
「・・・・・・・・・」
「全部、思い出したから」
「・・・・・・・・・」
「・・・待たせて、ごめんね」
頬にあたたかいものが落ちる。
「来ヶ谷、さん・・・?」
「・・・・・・・・・」
「・・・私は、恐かったんだ。もう、思い出してくれないだろうと思ったから・・・」
「あの夏の日・・・キミが抱きしめてくれたのは、本心じゃないってわかった」
「でも、嬉しかった。あの時に戻れたみたいで・・・」
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんの目からは涙がとどめなく流れていく。
「約束を果たすことを戸惑った」
「みんなの気持ちを踏み躙るようで・・・」
「キミが誰を好きになっても、私は、応援しようと思った」
「けど、本当は苦しかったんだ・・・」
「キミと女子が話すところを見てると、胸が苦しかった」
「自分の気持ちを抑えるのは辛かった・・・」
「それで、な・・・」
「・・・小毬君たちが、言ってくれたんだ」

――『ゆいちゃん。・・・もう我慢しなくていいんだよ?』
『・・・別に私は、我慢などしていないが・・・。だからゆいちゃんと言うのは・・・』
『来ヶ谷さん、嘘はいけません!!』
口をぷう、と膨らませる。
『はっはっは、怒ったクドリャフカ君も可愛いな』
私はクドリャフカ君をくるくる回す。
『わ、わふ―――ぅ』
『目ぇがぁ回るぅのでぇす〜〜〜ぅ』
『・・・冗談はさておき』
『わたしたちは気にしませんよ・・・?』
『いや・・・いかにも気にしてる顔だが』
『そこの二人、逆効果だから・・・』
葉留佳君が小さくため息を吐く。
『私たちは、理樹くんにいっぱい助けてもらったし、たくさん大切なもの教えてくれたよ』
『それで十分なのです』
『ゆいちゃんは、まだ途中。これからなんだよ?』
『・・・・・・・・・』
『理樹は・・・』
今まで私たちの話を聞いてるだけだった鈴君が口を開いた。
『くるがやのことばかり見てる』
なっ・・・。
『話しをしても、くるがやの話ばっかりだ』
・・・・・・・・・。
『どのみち、今更私たちが頑張っても敵いませんからネ』
『気にしてないって言ったら嘘になりマスけど・・・』
『・・・私は、一番幸せになんかなってはいけない人間だ』
『私だけが、私なんかが贔屓するなど・・・』
『誰か一人が幸せになったら、後の人はキズ付く。そんなの恋愛には付き物ですヨ。』
『これは、みなさんとで話し合った結果なんです』
『私たちには、大切なものが残りました』
『それなのに、そんなに欲張っていてはいけませんっ』
『聞いてもいいですか・・・』
『・・・何だ』
『来ヶ谷さんの大切なものは何なのですか・・・?』

「・・・私には、理樹君しかなかった」
「・・・・・・・・・」
「みんなが言ってくれたおかげで気付いたんだ」
「・・・もう少し、欲張りにならないとな」
・・・・・・・・・。
僕は来ヶ谷さんの膝から頭を離し、起き上がる。
「理樹君・・・?」
「僕も、来ヶ谷さんが好きだ」
「恋してる、って方の・・・好き」
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんは、茹でたこのように顔を赤く染める。
「こ、これじゃあ、立場が逆だ・・・」
「ごめん。なんかさ、僕こういうの苦手だから・・・」
「・・・まあ、このほうが、私たちらしい、か」
「うん、そう、だね」
そう言って僕は、来ヶ谷さんが泣いた跡に軽く唇を触れさせた。
「なっ・・・」
案の状、頬が赤く染まった。
「えへへ・・・」
「一体なんなんだ・・・」
「いや、その涙は僕のために泣いてくれたものなんだなぁ、と思うと、何だか嬉しくてさ」
「・・・・・・・・・」
「来ヶ谷さん、照れてる?」
「て、照れてなんかいないっ」
「・・・やっぱ可愛いなぁ、来ヶ谷さんは」
「っ!!」
これ以上にないぐらい、来ヶ谷さんの顔は真っ赤だった。
「キミは私を殺す気か・・・」
「そう言われても、本当のことだから・・・」
「・・・キミには敵いそうもないな」
「こんな来ヶ谷さんの一面知ってるのも僕だけだしね」
「やっぱり、僕が好きだった可愛い女の子だ」
「っ〜〜〜」
「もう知らんっ」
「・・・せっかく明日お弁当作って、一緒にデートに行こうと思っていたのにな。」
「えっ・・・本当に・・・?」
「理樹君が私をあまりにもからかうからよそうかな」
「・・・ごめんなさい、僕が悪かったです・・・」
「うむ」
「でも、本当に、からかってるとか、お世辞とか、そういうのじゃないよ?」
「全部本心だから」
「・・・・・・・・・」
「・・・別にな」
「ん?」
「嫌なんかじゃないんだ・・・」
「寧ろ嬉しいんだ、すごく・・・」
「だが、嬉しい反面、恥ずかしいんだ・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・そっか、ごめん・・・」
「うむ・・・じゃあ罰として・・・」
「罰として・・・?」
「・・・・・・・・・」
来ヶ谷さんは顔を真っ赤にしながら考え込んでしまった。
「・・・いや・・・やっぱり何でもない」
「そう言われるとムチャクチャ気になるんだけど・・・」
「大した事じゃない、だからいいっ」
「じゃあ、ゆいこさんって呼ぶ」
「・・・・・・・・・」
「・・・わかったよ・・・」
勝った!!ってなにしてんだ僕は・・・。今更Mっ気な発言をしていたのに気が付いた・・・。
「その・・・」
「うん」
「ほっぺたじゃなくて・・・」
「うん」
「その・・・ここに・・・」
そう言って来ヶ谷さんは、自分の唇に指をあてた。
・・・・・・・・・。
えっ・・・それって、つまり・・・。
「っ!!」
思わず僕は後ろに後ずさってしまった。
「・・・だから言いたくなかったんだ」
「・・・ダメか?」
「ええっと、そのっ・・・」
「それともなんだ、理樹君は嫌なのか?」
「そんなわけないよっ!!」
思いっきり否定した。
「で、でも・・・なんていうか、心の準備が出来てないと言うか・・・」
「それに僕、初めてだし・・・」
「・・・初めて、か・・・」
少し、さみしそうな表情をした気がした。
「・・・大丈夫だ。私も初めてだしな」
「う、う〜ん・・・」
やばい、心臓が張り裂けそうだ。
「・・・まあ、やっぱり私たちにはまだ早いかな・・・」
言いながら来ヶ谷さんは立ち上がった。
反射的に僕も立ち上がる。そして来ヶ谷さんの手を引いた。
「・・・えっ」
・・・・・・・・・。
・・・・・・。
永遠とも思える時間。
それは短いとも思える時間。
僕たちは、唇を重ねていた。
ここまで来るのに、長かった・・・とても。
でも、今考えると、短かった気もする。

どちらからともなく僕たちは唇を離した。
「不意打ちとは、理樹くんも小生意気になったものだな・・・」
「僕は前から生意気だよ?」
「ふふっ」
「まったく、キミには敵わないよ」
二人で少し笑いあった。

「来ヶ谷さん」
「ん、何だ」
「もう一回、膝枕、してもらってもいい?」
「・・・ああ」



「理樹君」

「ん」

「好き、だからな」

「ん、わかってる」

「もう、放さないでくれよ?」

「・・・了解。約束する」

「うん・・・」



















   *あとがき*

間に合ったかな?
一部原作を引用していたので、かなり時間掛かってしまいました(汗
そして普通に文考えるより疲れた・・・。
一部といっても、半分以上が引用したものという事実・・・。
結構大事なところが多いんですけど、全部引用するわけにいきませんし・・・。
まあ、後半ほとんど全部引用したんですが(苦笑
個人的に、姉御の一番の友達は勝手に葉留佳だと解釈しているので、ほかのヒロインより多く登場させていただきました。「違うだろっ!?」って思う人はすいませんΣ(∵)
やっぱSSは難しいなぁ、と改めて思いましたヨ。
個人的に唯湖が可愛く書けたかな、と思ってて、そこだけ気に入ってマス。
ジャンル的には・・・なんだろ?シリアスあまあま?シリアスはないかぁ・・・。ほのあま、かなぁ?