「ねえ……」

 中庭の片隅にある小さなテラス、そこに僕と来ヶ谷さんはいた。
 たくさんの木陰に覆われる中、ところどころある木漏れ日に当たりながら唯湖さんはじっとこちらを見ている。

「ん、どうした理樹君」

 僕の声に反応する来ヶ谷さん。

「今から何をするの?」

 僕は来ヶ谷さんに強引にここに連れて来られた。
 どのくらい強引かというと、その、お姫様抱っこでだ。
 それはもう周りは大慌てだった。僕だって何が起こったのかよくわからなかった。
 囃し立てる人、笑顔で眺めている人、来ヶ谷さんを止めようとして返り討ちに遭う人――というか真人。
 とにかく僕が正気にかえった頃には既にもうテラスの椅子の上に座っていたのだ。

「なに、理樹君にお弁当を作ってきたからそれを食べてもらおうと思ってな」

 お弁当…確かに僕は来ヶ谷さんのお弁当を食べてみたいと思っていた。
 なんとなくお願いしたような気もする。よく覚えてはいないけど。

「へえ、そうなんだ。でもどうして4時間目の授業をサボる必要があったの」

 僕らが今ここにいる時間、他の皆は授業を受けているのだ。
 別に弁当を食べることくらいなら4時間目が終わったあと、ちゃんとしたお昼に食べたっていいはず。

「簡単なことだ。二人っきりの時間を邪魔されたくないからな」

 来ヶ谷さんのその言葉は少し僕を赤くさせる。
 そして、僕たちは付き合っているんだってことを改めて深く実感させてくれる。
 でも、それでも。
 僕はどうしても腑に落ちないことがあって、ついにそれを尋ねた。

「それじゃあさ……」



「どうして僕縛られているの?」

 そう、僕は今、テラスの椅子に縛り付けられていた。





『恋愛雁字搦め』





「決まっている。理樹君が逃げないようにだ」

 何を当たり前のことをと言わんばかりにあっさりと答える来ヶ谷さん。
 確かに縄はきつく結んであるようでじたばたもがいても全く外れる気配を見せない。

「いや、別に縛ったりしなくても逃げないから」
「いやいや、理樹君のことだ。縄をほどいた途端今度はその縄を使って私にSMプレイを強要させる気だろう」
「しないって絶対!」

 大きな声で叫ぶ。
 そりゃ確かに全く興味がないわけではないけど。
 でも来ヶ谷さんに対してそんな自殺行為を行うほど僕は馬鹿じゃない。

「そうなのか。まあそっちの方はまた次の機会にするとしよう」

 次の機会って、そんな機会あるのだろうか。
 一生かかっても来ない気がする。

「さあ、これが理樹君のために作ってきたお弁当だ。ありがたさのあまりむせび泣きながらむさぼり食べるがいい」
「いや、多分そこまではやらないと思う……」

 来ヶ谷さんがお弁当箱の包みを開き、蓋を開ける。
 そこには唐揚げや玉子焼きなど、お弁当の基本ながらも綺麗に作られた料理が陳列していた。
 見た目の良さが食欲をそそり、むせび泣くとまではいかないまでもありがたい気分にさせてくれる。

「うわあ、すごくおいしそうだよ」
「うむ、さあ食べるがいい」

 来ヶ谷さんにうながされる。
 でも、僕はじっと眺めていることしかできない。

「いや、食べろって言われても……」
「どうした?」
「いや、どうしたって……」

 そう、僕には食べることのできない理由がある。

「縛られているのにどうやって箸を持つの」

 僕の手はしっかりと縄で結ばれているのだ。
 それとも、犬のように口で直接食べ物を弁当箱から取らないといけないのだろうか。

「ああ、私としたことがうっかりしていた」

 嘘だ。
 顔がどう見ても狙ってましたって表情をしている。
 きっと僕が困るのも予定のうちだったんだろう。

「ふむ、どうしたものか」
「いや、縄をほどいてよ」

 わざとらしく悩む来ヶ谷さん。僕の意見も聞き流しているし。

「そうだ、私が直接食べさせてやろう」

 いいことをひらめいたといわんばかりに言うが、絶対最初からそのつもりだったんだと思う。
 来ヶ谷さんは箸で玉子焼きを一口サイズに切ってつまむと、僕の口まで持ってくる。

「ほら、理樹くん。あーんだ」
「あーんって言われても」
「ええいいいから黙って口を開けろ」
「わ、わかったよ」

 来ヶ谷さんに脅され仕方なく口を開く。
 そこに黄色い玉子焼きがやってきたので口にする。

「あ、おいしい」

 含んで、最初に出た言葉がそれだった。
 ふんわりとした食感と、ほんのりとした甘みが口の中に広がる。
 何度も味を噛み締めたくて、でも気づいたらいつの間にか口の中からなくなっていた。

「そうか、それはよかった」

 来ヶ谷さんも褒められてうれしそうな表情をした。

「実は、少し不安だった」
「え、そうなの」
「キミは私を何だと思っている。私だって不安になるさ」

 不安になっている来ヶ谷さん……何か想像できない。
 でもまあさっきまでそうだったわけで。そういった感情も表に出してくれたらいいのに。

「ほら、次は何を食べたい?」
「え、まだやるの?」
「当たり前だ。ほら、どれがいい」

 どれって言われても……僕は来ヶ谷さんの作った弁当をあらためて見る。
 玉子焼きの他には唐揚げ、たこさんウィンナー、きんぴらごぼう、おにぎり、うさぎさんりんご……どれもおいしそうだ。

「えっと…じゃあ唐揚げ」
「わかった、ほら」

 来ヶ谷さんは箸で唐揚げをつまみ、再び口まで持ってくる。

「あーん」

 多分開けないとずっとこのままなんだろう。唐揚げのおいしそうな香りが鼻腔をくすぐる。
 思わず食べたくなって口を開ける。

「あ、あーん」

 大きく開けた口に一口サイズの唐揚げが入る。
 冷めているのにちょっとサクっとしたあと口の中に肉のうまみが広がってきた。 

「これもおいしいよ」
「うむ、どんどん食べるといい」

 こうして僕はどんどん食べたいものを来ヶ谷さんに頼んでいく。
 来ヶ谷さんはそれを一口サイズにして僕の口へと持っていく。

「ふむ、お母さんが小さな子に食べさせているみたいだな」
「うっ……言わないでよ来ヶ谷さん」
「はっはっは、理樹君のような子どもなら大歓迎だぞ」
「え、あ、あの来ヶ谷さん、それって……」

 僕の中にひとつの映像が浮かび上がる。
 並んで歩く、僕と来ヶ谷さん、そして……。

「それって僕との……?」
「ん?――あっ!」

 来ヶ谷さんは最初なんだかわからなかったようだけど、持ち前の勘の鋭さですぐに自分の発言のことに気づいてしまったようだ。
 途端に顔が赤くなる。

「いや、ち、違う。いや! 違いはしないんだがこれは決してそういうわけではなくて……ああもう!」

 自分の中でどう言うべきか整理できてないようで混乱している来ヶ谷さん。
 僕も少し考える――あっ、もしかして。

「ご、ごめん来ヶ谷さん。僕のようなちいさい子どもだったら世話してもいいってことだけで、深い意味はなかったんだね」
「あ、ああ。そういうことだ」

 うっわあ、なんて恥ずかしい間違いをしてしまったんだろう。
 慌てて他の言葉を考える。なんかいい言い訳は。

「で、でもさ。それだったら僕、来ヶ谷さんがお母さんじゃなくてさ、その、恋人の方がいいなあって……」

 慌てていたからとはいえ、さらにどつぼにはまることを言ってしまったような。

「う!」

 案の定、来ヶ谷さんの顔がさらに真っ赤になった。

「くっ! 理樹君はそんなに私をからかうのが楽しいか」
「い、いやからかってなんかないよ! 思ったことを言っただけで」
「ううう! だからいちいち恥ずかしくなるようなことを言わないでくれ」

 来ヶ谷さんは必死に冷静になろうと深呼吸をしているが、傍目から見ても混乱していることは明らかだった。
 顔も赤いままで一向に治る気配を見せない。

「くそっ、この後理樹君をおいしくいただくつもりだったのに……」
「あ、そのために縛っていたんだ」

 きっと来ヶ谷さんの頭の中では僕が弁当を食べ終わった後、自分がその代わりに僕をいただくみたいな計画があったのだろう。確かに縛られていたら逃げることできないし。
 でも、今の来ヶ谷さんはそんな気持ちになれないようだ。

「あのさ。来ヶ谷さん」
「ん、どうした理樹君」

 だから僕は落ち込んでいる唯湖さんに向かって言う。
 縛られた理由がわかって思ったことを。

「僕、こんなことされなくても来ヶ谷さんなら…いいよ」

 それと同時に唯湖さんががっくりと膝をついた。

「私の…完敗だ」
「え、ちょ、来ヶ谷さん!?」

 え、何に勝ったの!?
 何がなんだかよくわからない状況に戸惑う僕。

「私は理樹君に勝てないようだ……」
「来ヶ谷さん? ねえ、おーい」
「縛ったつもりが逆に精神的に雁字搦めにされるとは……」

 落ち込む来ヶ谷さん、声をかけても届かないようだ。
 結局、僕は来ヶ谷さんが立ち直る昼休みの終わりごろまで椅子に縛られたままであった。



おわり



あとがき
 いや、最初は唯湖さんの言ってたとおりのオチにしようと思ってたんです。そしたら理樹君が勝手に変な勘違いをしちゃって、そっからおかしくなりました。
 まあ自分の唯湖SSはいつもこんな感じですけど。
 今回の祭では皆がやりそうにないネタで攻めてみるっていう形でいこうと思ってたので、ただあーんだけじゃかぶってしまう可能性もあるなあじゃあどうするかってのを考えていたらいつの間にか縛ってました。
 まあよくあることですよね(ぇ