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※この作品には猟奇的な表現が含まれています。あらかじめ注意してお読みください。
















ジビエのじかん 橘



 熱したフライパンに赤いモモ肉を載せる。その瞬間、オリーブオイル独特の鼻腔をくすぐる香りは、肉が焼ける、食欲をそそる匂いに取って代わられる。
 じゅうじゅうと肉が焼ける音が、換気扇の向こうに飲み込まれる。
 焼き色が付いたところで、肉を引っくり返す。綺麗な焼き色が、益々私の食欲を刺激する。
 両面に焼き目が付いたらすぐに、バルサミコ酢と赤ワインをあわせたソースを回しかけて、一煮立ち。それでもう、今夜のメインディッシュが完成。
 綺麗に綺麗に、盛り付けてあげよう。食べるのは、私ともう一人のお客様。和室で座っている女の子の後姿が目に浮かぶ。自然と笑みがこぼれてしまう。
 さあ召しませ、お嬢様。貴女が今まで決して、決して味わった事の無い、この一皿を――。


 寒い寒い、冬の日。既に冬休みに入ってから数日が経っているためか、寮内に人はまばら。そんな中、私はある個室のドアをノックする。
「はぁい」
 ドアを開けて私を迎えたのは、背の低い、亜麻色の髪が美しい少女。
「あ、能美さん」
「あぁ、杉並さん。どうしたのですか?」
「ちょっと相談したい事があって……」
「はいっ! 私に出来る事でしたら何でもどうぞ」
 能美さんが人懐っこそうな笑顔を浮かべる。私は彼女の目の前にクーラーボックスを差し出す。
「実家からナマモノが送られたんだけど、コレ早く調理しないと駄目になるから。それで、能美さんを思い出したの。家庭科部室のキッチンを貸してくれないかなぁと思って。駄目かな?」
「あぁ、構いませんよ。どうぞどうぞ、なのです」
 能美さんは私を、部屋の中に招き入れる。
 彼女の容姿からは思いも寄らない、簡素な部屋。時折、渋い純和風のものが置かれてはいるものの、それ以外に無駄なものが見られなかった。
「えぇと、何処でしたか……」
 能美さんは、机の引き出しの中を探っている。
「あっ、ありました!」
 彼女は、嬉しそうに家庭科部室の鍵を掲げて見せた。変なキーホルダーが付いた鍵。あのキーホルダーは何なんだろう?
「はいっ。どうぞなのです」
「あ、ありがとう」
 私は手を差し出して鍵を受け取る。近くで見てもよくわからないキーホルダーだ。南国的な仮面を模したキーホルダー。ユーモラスではあるけれど決して可愛くない。どちらかといえば不気味だ。
 まじまじと眺めていると、彼女が嬉しそうに話し出す。
「ボゼ神っていう神様なんだそうです。そういえば、何かお手伝いしましょうか?」
「イヤ、そうして欲しいのは山々なんだけど……」
 私はクーラーボックスを開けると、保冷材の中からビニール袋を引っ張り出す。ビニール袋の中には新聞紙に包まれた何かがあり、そこから流れ出た血が新聞紙に赤黒い染みを作っていた。
 それを見た瞬間、能美さんの眉根が寄せられる。
「ジビエ(野禽獣)なの。父方のおじいちゃんが山奥に住んでいて、近くで猟師をやってる人から貰ってくるの。やっぱりスーパーで買えるお肉なんかとは違うから、私一人でやった方がいいかなぁって」
「そ、そうでしたか……。杉並さんは、大丈夫なんですか?」
「ええ、慣れてるし」
 私は困ったような笑顔を浮かべて、これ以上の追求を阻む。
「そうだ、完成したら一緒に食べない? 一人だと量が多くなりそうだし」
 先程までのしょんぼりとした表情が一瞬で消え去り、ぱっと笑顔が咲き誇った。ちらりと見える八重歯に、同性ながらどきりとさせられる。
「はいっ。喜んで!」
 彼女の屈託の無い笑顔に、私はつい口角を持ち上げてしまう。


 ――出来立てのモモ肉のステーキを、お皿に盛り付ける。真ん中にお肉を載せて、端には付け合せにソテーした野菜を。最後にスプーンでフライパンに残ったバルサミコソースをすくって、お皿の上に回しかける。
 隣の鍋では弱火でくつくつ煮込み続けた、心臓とレバーのラグー。それをおたまですくい、深皿に流し込む。
 これでメイン料理は完成。料理の載ったお盆を持って、和室へと移動する。和室では能美さんがちょこんと正座して、隅にあるブラウン管テレビを観ていた。ちょうどニュースの時間。
――川の河川敷にて若い男性の遺体が発見されました。身長はおよそ170センチ、年齢は10代から20代と見られ、衣服を着けておらず、遺体の損壊が激しい事から警察では――
「おまたせしました」
 私の声を聞いて、能美さんはすぐさまテレビの消す。
「すみません。手持ち無沙汰だったものですから」
「こっちこそごめんなさい。やっぱり手伝ってもらった方が良かったかも」
「いえいえ、いいんですよ」
 お盆をちゃぶ台の上に置き、料理を彼女と自分の席に置く。
「じゃあ、頂きましょうか」
「はいっ。いただきます」
 能美さんが皿に盛られたステーキにナイフとフォークを近づける。と、その時、彼女の手が止まる。
「ところで、コレは何のお肉なんですか?」
 私はその言葉に優しく微笑むと、こう告げた。
「……鹿ですよ」
 その言葉に、彼女は目を丸くする。
「私、鹿さんのお肉なんて初めて食べますっ」
 彼女の持つフォークとナイフが肉を小さく切り分ける。
「ふふっ。何かすごく外国ちっくですねぇ。綺麗に盛り付けられたステーキをフォークとナイフで切り分けて。側にはご飯じゃなくてパンがあって」
 彼女は嬉しそうにそう呟くと、小さく切ったステーキをフォークで突き刺し、その小さな唇の中にもって行く。
 彼女の顎がもくもくと動く。口の中でソースと肉汁を唾液と絡めて飲み下す。奥歯で肉を噛み砕き、嚥下する。彼女の白い綺麗な喉が、別の生き物のように動いている様を、私は上目遣いで盗み見る。
「もっと固いお肉なのかと思ってましたが、柔らかいですねぇ。それに臭みもないし、思っていたよりもずっと食べやすいです」
「そう、気に入ってもらえて、嬉しいです」
 それはそうだろう。だって、その肉は私が自分で触って選んだ部位なんだから。あの皮膚越しに触れた内股の柔らかさ。私の指を押し返す適度な弾力。私は目を細める。
 私はスプーンで真っ赤なラグーをすくい、口に運ぶ。レバーと心臓の濃厚な味わいとトマトが良く合わさって、スプーンが止まらなくなる。レバーの柔らかな触感。心臓のこりこりとした歯ごたえ。
 食べるごとに、幸福感でいっぱいになり自分の力が増すように感じられた。ああ、やっぱりこの部位も選んで正解だった。
「おいしいですねぇ」
「そうですね」
 二人とも暫く、無言で目の前の皿と対峙していた。私自身、この肉を食べる事に若干の抵抗があったものの、口にすると思いの外美味しく、夢中になってしまったのだ。
 半分ほど片付けた頃だろうか。能美さんから、私に話しかけた。
「そういえば、杉並さんは実家には戻られないんですか?」
「ええ、実家は田舎で退屈だから、ぎりぎりまでコッチに居ようかなって。能美さんは?」
「私は、実家というより故郷といいましょうか……なかなか帰るのは難しくて……」
 能美さんが少し困ったような、照れたような笑顔を浮かべた。
「でも、一人じゃ、ないんでしょ?」
 私のこの一言に、能美さんは目を丸くした。私はさらに意地悪く追求することにした。
「知ってますよ。直枝君――でしょ?」
 見る間に顔が真っ赤に染まる能美さん。
「な、なんで、そ、それを知ってるのですか!」
「イヤ、見てれば分かるし」
 そう、見てれば、ね。
 観念したのか、能美さんはうなだれるとポツリポツリと話し始める。
「リキも、実家――にはちょっと事情があって帰りづらいようで、私がこの話をしたとき、『じゃあ、一緒にお正月迎えない?』って言ってくれたんです」
 能美さんが両手を火照った頬に押し当てる。
「じゃあ、今日誘ったの、実はあまり良くなかった?」
「いえいえ、リキはちょっと、恭介さんの家に行っているところです。ニ、三日で戻ってくるって言ってたんですが……」
 と言って能美さんは携帯を取り出してディスプレイを確認する。
「どうしたの?」
「いえ、昨日から連絡が無いんです……」
「ふぅん。棗先輩の家で色々やっててメール出せないのかな?」
「そんなことは無いと思うのですが……」
「まぁま。単に充電器忘れて、電池切れなだけかもしれないんだし」
「だといいんですけど……」
「ほらほら、そんな顔してたら、折角の料理が美味しくなくなりますよ。こういうときは美味しいもの食べて、早く寝るに限るんです」
 私は無理やり話を中断させると、再び皿の上のステーキをナイフで切り始める。
 能美さんも、少ししょんぼりとしたままスプーンでラグーをすくっていた。
「類を以って類を補う、って言葉知ってる?」
「……? いえ、知らないのです」
「中国薬膳の教えなんだけど、自分の弱っている部分をそれと同じ部分を食べる事で直すって意味なの。例えば、能美さんは直枝君からの連絡が無い事で心を痛めてる。そこでこのラグーの中の心臓を食べると、その痛みが和らぐってこと」
「へぇ……そうなのですか」
「そうよ。だから食べて」
 私達は再び無言で食事を続ける。
 そう、これは本来私のためにある言葉であり、私のためにある食べ物。
 ラグーをすくい、スプーンの上の心臓を眺める。
 この心臓が、私のぽっかりと空いてしまった胸の穴を塞いでくれるのだ。貴女と直枝君が一緒に居る事を、見るだけしか出来なかった私の、胸の穴を。


「じゃあ、お休みなさい」
「はいっ。すぱこいなぃのーち(お休みなさい)なのですっ」
 私達はそれぞれの部屋に戻る。ドアを閉めて暗い部屋に一人佇む。私の同居人は皆実家に帰ってしまって、今は私しか居ない。
 そのとき、ポケットに入れた携帯が震えた。
「ああ、お母さん? うん、そろそろそっちに戻るよ。やりたかった事も終わったし」
 電話越しに早く戻るように言う母。
「ああ、そうだ。おじいちゃんは元気?」
 母の声がひっくり返る。
――あんた、何寝惚けてんの? おじいちゃんなんてどっちももう居ないじゃない――
 私の口角が嫌らしく持ち上がる。
「あはは。冗談よ冗談。じゃあ、明日には戻るから。じゃあ、お休み」
 通話ボタンを押し、電話を切る。
「――川の河川敷にて若い男性の遺体が発見されました。身長はおよそ170センチ、年齢は10代から20代と見られ、衣服を着けておらず――」
 私は先程家庭科部室のテレビで聞いたニュースの一節を諳んじる。テレビは消してしまったけれど、その続きが私には手に取るようにわかった。
「また遺体の心臓、肝臓、大腿部が欠損しており、警察では犯人が持ち去ったものとして捜査を進める一方、近辺に同様の事件が無かったか調べる方針です」
 私は、喉の奥から這い上がる笑いを堪えようと必死で身を捩じらせる。けれど、その甲斐なく、酷く甲高い笑い声が私の口から飛び出した――。


 ずっと、私は直枝君のことを見ていた。彼の周りに沢山の人が集まるのを見ていた。そして、その中で、あの亜麻色の髪の小さな女の子と二人で過ごすようになったのを見ていた。
 それでも、私は苦しくなんか無かった。
 今あるものは永遠には続かない。今、目の前にある恋もいつかは、萎れて朽ちていく。今はただ、直枝君と能美さんが交わっているだけ。交わった線はいつかは離れていく。
 だから、平行線で無い限り、私にもいつかチャンスはきっと訪れる。私だって、普通のクラスメイトとして直枝君と話をしたりするんだ。大丈夫、大丈夫だ、きっと。
 そう思っていた。
 けれど、それは間違っていた。
 私の線自体も永遠には続かない。例え平行線で無かったとしても、私の線と直枝君の線が交わる前に終わってしまうかも知れない。
 それに、例え私と直枝君の線が交わったとしても、これもいつかは離れてしまう。
 どんなに近づいても、キスをしてもセックスしても、私達の間にはどうしようもない隔たりがあるのだ。
 だから、私達はひとつにならなければならないのだ。その肉も血も全て、ひとつにすること。それだけが、私の望む姿なのだ。
 本当は私が直枝君の一部になりたかった。私の血肉が、直枝君の糧になる。直枝君と同じものを見、同じものを感じる。それはきっと、素晴らしい世界。
 だけど、私は拒絶された。
 だから、私が直枝君を糧にした。直枝君の心臓が、肝臓が、そして肉が。私の消化器から入り、血を巡り、心臓を取り巻く。
 私は自分の胸に手を当てる。温かい。これは私と直枝君の温かさだ。
 ふと、能美さんの姿が頭に浮かんだ。
 きっと、直枝君は優しいから、私が直枝君を独り占めすることを咎めるだろうから、だから彼女も共犯にした。
 どう? 貴女に分けた直枝君の味は? おいしかった?


――ひとしきり笑った後、ふと頬が濡れている事に気が付いた。
 どうして、私は泣いているのだろう。こんなに嬉しいときなのに。
 この涙は誰が流したものなのか。もはやクラスメイトとして、直枝君とお話しする機会を永遠に失った、私の涙か? あるいは、直枝君の流した涙か。
 訳も分からず、目蓋を拭う。
 けれど、私の瞳からは、涙が止め処なく溢れ続けた。