「いくなぁーーーっ!!」 朋也の声が聞こえてきた。 隣のクラスにいるというのが全く関係ないほど大きな音量で。 その声は、何とか抑えていた私のリミッターを外してくれていた。 クラスメイトが何か声をかけてくれていた気がしたけれど、今のあたしの耳には届かなかった。 アイツが、朋也の脇で笑っている。 そう思うと、もう我慢出来なかった。 「あんたらねぇ……」 声が震えているのが自分でも判った。 そう、それほどまでに。 私は自分と目の前の女を許すことは出来そうに無かった。 『MISTAKE』 「また、騒いだわね…」 感情が迸る。 「これで、心おきなく、手ぇ出せるってものよ…」 「いや、おまえ、隣のクラスの委員長だろ」 怯えきった春原の横で、朋也がさも平然とした様子で突っ込みを入れてくる。 いつもならこれで少しは収まったのかもしれない。 けれど、今のあたしには朋也のその言葉すら逆効果だった。 「椋のかわりよ…そう、椋の…」 気付くと自然とそう口にしていた。 椋の大人しめな性格を考えればある意味通りそうな理由だ。 けど、誰よりも自分自身が判っていた。 それは、ただの言い訳に過ぎないことを。 「あんた」 言ってから恐ろしく冷たい声だと思った。 けど、そんな事では引いてられないし、引く気も無い。 これが今のあたしの正直な気持ちなのだろうから。 「喧嘩が強いらしいわね」 アイツ……坂上智代が一瞬ぴくっ、と反応した。 「正々堂々と勝負しなさいよ…」 数分後、あたしと坂上智代は廊下で僅かに距離をあけて向かい合っていた。 恐らく傍から見ても判るほどに力がこもっているあたしとは対照的に、コイツは自然体で立っていた。 場慣れをしているといえばそれまでなのかもしれない。 けれど、無性にその振る舞いに腹が立った。 「…っ!」 先に仕掛ける。 踏み込んでからの手刀。 これでもそこらの男よりは喧嘩に自信はあった。 けれど、私の第一撃はいとも簡単に受け流される。 (ならっ…) 上が駄目なら下がある。 素早く屈みこんでの足払い。 けど、それすらもひらりとかわされた。 (まだっ!!) ひたすらに攻撃を繰り返す。 −どうしてあんたなのよ……っ− 何度受け流されても、何度かわされても。 −あたしの方が先だったのに……っ− がむしゃらに攻撃を繰り返した。 −あたしの方が先に朋也を好きだったのに……っ− それがどれだけ無駄な行為なのか判っていても。 −あたしの前から……奪っていかないでよっ!!− その手を休めることは出来なかった。 瞬間。 ぱぁんっ! 相手のガードが下がり、相手の頬にあたしの平手打ちが入っていた。 時が止まった。 あたしとコイツだけでなく、その瞬間周りに居た人たち全ての時間が。 「どうして…」 その時をまた動かし始めたのはあたしだった。 「…どうして、あんたなのよ…」 声に嗚咽が僅かに混じっているのが判った。 けど、言わずにはいれなかった。 「喧嘩が強いだけの…」 「………」 右手が、痛い。 頬を叩いた手のひらが、とても熱かった。 「この学校にくるまではそうだったかもしれない」 ふと、坂上智代が口を開いた。 「でも、これからは努力する。どんなことだって……そう決めたんだ」 「………」 「もし、あなたが…朋也と仲がいいというのなら…あなたにも好かれたい」 それは静かだけど、とても心に染みとおる声だった。 「だから…こういうのはこれっきりにしたい」 そう言ってきた坂上智代の顔は、僅かに優しさが垣間見えるような微笑だった。 「お姉ちゃん……?」 その夜。珍しく椋が自分からあたしの部屋にやってきた。 「ん?どうしたの?」 「えと……お昼のことで、ちょっと……」 おずおずとした感じで言葉をつないでくる。 あたしは無言で椋にクッションを出した。 涼も無言のままクッションに腰を下ろす。 しばらく、無言の時間が流れた。 「……あたしが、弱虫だったのよね」 どれくらい時間が経っただろうか。 ようやく、あたしは口を開けた。 「朋也の事、ずっと前から好きだったのに……振られるのが怖くて何もいえなくて……」 思い浮かぶのは、朋也の顔。 「振られちゃうくらいなら、友達のままでもいいやって思って……そのくせ、アイツに好きな人が出来たら嫉妬して……1人で勝手に暴走して……」 椋は何も言わずにあたしの言葉に耳を傾けている。 「ほんと……馬鹿よね……」 気がつけば涙がこぼれていた。 慌てて拭おうとしても、ソレはとめどなく溢れてきていた。 自分でも気付いていなかった。 あたしは、こんなにもアイツのことが……朋也のことが好きだったんだ。 「うっ……うっ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」 泣きじゃくるあたしを、椋は何も言わずに抱き留めてくれた。 その日、あたしは久しぶりに。 本当に久しぶりに心から泣いていた……。 「坂上智代っ!」 それから数日後。 たまたま放課後に彼女を見つけた。 「…誰かと思えば貴女か。出来ればフルネームで呼ぶのは勘弁してほしいのだが」 彼女―坂上智代は振り向くとため息を吐きながらそう言った。 「えーと…じゃあ、智代って呼んでいい?」 「ああ、構わない。私はどう呼べばいい?」 「名前でいいわよ、杏で」 「判った。で、何か用か?」 「用、ってほどの事じゃないんだけどね。今、大丈夫?」 「あぁ、一応な」 「じゃあ、少し話さない?」 あたしは中庭へと智代を連れてきた。 この時間は流石に人が少ない。 あたしは、大きく一つ深呼吸すると、智代に向き直った。 そして、一言。 「ごめん」 そう言って、頭を下げた。 「…何のことだ?」 「こないだの昼休み、貴女に勝負を申し込んだでしょ」 「ああ、あのことか…別に気にしてはいないのだが」 「あたしは、気にしてた」 顔を上げると、彼女は少し複雑そうな顔をしていた。 「あたしね、2年の時からアイツの事が好きだった」 「初めは、なんだコイツ。って感じだったんだけど…いつの間にか凄く好きになってた」 「けど…告白は出来なかった。もしアイツから断られたら、って。それが凄く怖かったから」 「断られた後、今までのように気軽にアイツと話せなくなるのが怖かった。だから、友達でいようと思った」 「けど、アイツの前にあなたが現れて……凄く嫌な気持ちになった」 「あなたとアイツが一緒に居るのを見た瞬間、お互い惹かれているのが判ったから。朋也が遠いところに行ってしまうようで、凄くイヤだった」 「だから、あなたは何も悪くなかったのに適当に理由を付けて力に訴えてしまった…。本当は、何よりも自分の弱虫な部分を認めなきゃ駄目だったのに」 「だから、ごめん」 そこまで言って、もう一度頭を下げる。 「顔をあげてほしい。私はもう気にしてないのだから」 智代はそう言って手を差し伸べてくれた。 あたしは躊躇うことなくその手を取る。 「…貴女も、やはり朋也の事が好きだったのだな」 「うん…だから、智代。あなたにはあたしの分まで朋也と幸せになって欲しい…。いえ、幸せにならないと許さないから」 「約束する。私はあなたの想いの分まで、朋也と幸せになろう。付き合って、不幸になどなっては堪らないしな」 「えぇ、約束…ね」 あたしと智代は、小指を絡ませた。 それは、強くなったあたしと智代の約束の儀式。 そして、あたしが新しい一歩を踏み出す為の、弱かった自分との決別の儀式。
《後書きっぽいもの》 ヴァ、まいど。 一応CLAANADの初SS作品です。 智代編の例の喧嘩の辺りを杏視点で追ってみました。本編準拠……だといいなぁ(ぉぃ 本当はもうちょっと深く書きたかったんですがネタを思いついたときに限ってストックし忘れるもんです(泣 ちなみにこれでもそこそこ手直しは加えてますw 実はコレ、智代の誕生日に智代スキーである神主あんぱんさんに送る手はずでした。 その時私は「智代編のSS思いついたから送るわ」と言ってました。 きっと彼は疑う余地も無く智代SSが来ると信じてたと思います(ぉ 私は人の期待を裏切るのが大好きなので(ぉぃ)最初からフェイント入れて「智代編のSS」と言ってたんですw あー、驚いてくれてよかったw ともあれこんな文章ですみませんがよかったら受け取ってください……あ、やっぱり返却不可って事で強制的に受け取れ(ぉ ではでは、また次に何かのお話で出会えたら嬉しいです。 2004/10/16 しま