「たまにはこんなクリスマス」      by鍵犬









 夕日がぼんやりと滲む部屋にはカップラーメンをすする音がいやに大きく響いていた。


 「…岡崎、カップラーメンうまい?」
 「…ああ、割とな。でも別に、うわっこれメチャメチャうまいっすよ!! ってほどじゃないな」


 俺は最後の一滴まで汁をすすった後に底に残った麺の切れ端を、割り箸で摘んで口に運ぶ。


 「…岡崎、クロスワードのここのところが解らないんだけど」
 「どこだよ」
 「ほら、ここの非服従・非暴力主義で、インドの民衆を導いた思想家ってところ」
 「…うーん」
 「最後がジーの四文字なんだけど」


 出てきそうで出てこない。喉元まで出掛かっている気持ち悪い状態だ。


 「バンバンジー」
 「あっ、なるほどねって、それ四文字じゃないんですけど…」
 「マンジーみたいな」
 「おっ、なんかそれカッコイイね。ギャクマンジーとか」
 「それは、ナチスな…」


 春原の部屋の万年コタツに足を埋めていると、何だかウトウトと気持ちよくなってきた。
 最近外もめっきり寒くなったし…
 俺は近くにあったクッションを枕代わりに、ぱたりと倒れこむように寝転がる。
 一方の春原はクロスワードに飽きたらしく、一人で昔懐かしいタイプのサッカーゲームをガチャガチャといじくっていた。


 「…岡崎、今日何日だか知ってる?」
 「十二月二十四日だろ。お前はボケ老人か」
 「それぐらい、分かってるよっ!」
 「なら、いちいち聞くなよ。うっとおしい」
 「ここ僕の部屋なんですけどねぇ!!」


 いちいち面白いリアクションをするやつだ。


 「はあーっ… 世間はクリスマス・イブだってのにさ、僕たち男二人で一体なにしてるんだろうね」
 「そうだな」


 大分瞼も重くなってきたので、ごろりと春原に背を向けて適当に返事を返しておく。



 ――『クリスマス・イブ』



 もちろん、忘れていたわけではない。
 だが、今の俺にとってそれは最も縁遠い行事だっただけのことだ。


 「ねぇ、今から誰か女の子呼ばない?」
 「俺にそんな期待の眼差しを向けたって、当てなんてないぞ」


 背後から春原の大きなため息が聞こえてきた。
 大体そんな当てがあるなら、こうやって春原の部屋になんているはずがない。


 「じゃあさ、今から街に出てナンパしてこようぜ」
 「お前じゃ無理だな」
 「僕の魅力で女の子はみんなメロメロさ!」


 差し当たって今思いつく春原の魅力は、部屋にコタツがあることだ。
 というか、本当に暖かくて気持ちいい。
 ベットの上で春原がまだ何か言っていたが、俺は睡魔に負けて世界が暗転した。








 俺は胃袋を擽る芳しい香りで目が覚めた。
 あれからどれくらい眠っていたのだろうか、身体の節々に痛みを感じながらゆっくりと起き上がる。
 一番最初に目に付いたのはクリスマスケーキだった。
 そればかりか、テーブルの上にはローストチキンやマカロニサラダなどを初めとする、どれも色鮮やかで美味しそうな
料理が所狭しと並んでいた。


 「これは、夢か…?」
 「あっ岡崎おはよう、今起こそうと思ってたところだよ」


 そこには、湯気立つクリームシチューの鍋を運ぶ春原の姿があった。


 「…まさか、これ全部お前が作ったのか?」
 「まあね。岡崎が少しでも喜んでくれればと思ってさ」


 そう言って春原は照れたように笑う。


 ゲシッ!!


 思わず俺は春原を蹴っていた。


 「夢なら覚めろ。夢なら覚めろ。夢なら覚めろ…」


 ゲシゲシゲシゲシゲシ…


 「ひいいぃぃぃっ。ちょっとタンマ、タンマ!!」


 春原がいい具合になってきた所で、いきなり部屋のドアが開いた。


 「やっと起きたと思ったら、相変わらず二人でバカやってるわねぇ…」
 「美佐枝…さん?」


 相楽美佐枝。この学生寮の寮母だ。
 普段なら春原の部屋なんかに一歩たりとも入らないはずだ。
 だが、今俺の目の前にいるエプロン姿の美佐枝さんは、何のこだわりも無く春原の部屋に上がり込んでいた。


 「どうして美佐枝さんがこの部屋にいるんだ?」
 「何よあたしが居ちゃいけないっての?」
 「い、いや、別にそういう訳じゃないが…」


 すぐに美佐枝さんは表情を崩し、口元を綻ばせる。


 「どうせ、男二人で寂しいクリスマス・イブを過ごしてるんじゃないかと思ってね。まっ、来てみたら案の定だったてわけよ」


 やや疑問点は残るものの、これでご馳走に関してはようやく合点がいった。
 そして、その直後に美佐枝さんは神妙な面持ちで言葉を付け足す。


 「あと、あいつらには、絶対内緒だかんね」


 あいつらとはもちろんラグビー部のことだ。
 幸い今は外出しているらしかったが、もしもこの事があいつらにバレたら絶対に面倒なことになりそうだ。
 俺はコクコクと無言で何度も頷く。春原に至っては万が一バレた時の想像だけで、既に顔が青ざめていた。








 「かんぱーい!!!」


 小気味よいグラスのぶつかり合う音が部屋に響く。
 グラスの中身はシャンパン…という訳にはいかなかったが、よく冷えたビールが並々と注がれていた。


 「いいのか?俺達は未成年だぞ」
 「いいの、いいの。今日ぐらい見逃してあげるから、パーッと飲みなさいよ」


 そう言いいながら、美佐枝さんはグラスを傾け喉を鳴らす。
 ビールは瞬く間にかさを減らし、グラスは空っぽになった。
 実にいい飲みっぷりだ。


 「さすが、美佐枝さん。いい飲みっぷりっすねぇ。ささ、どうぞどうぞ」


 自分の部屋に女が居るということだけで、春原のテンションはさっきから上がりっぱなしだ。
 まるで、上司に媚を売る部下のように美佐枝さんの空いたグラスに再びビールを並々と注ぐ。


 「ぷはーっ!やっぱりアルコールはビールに限るわ」


 すぐにそれも空にして、グラスをテーブルに置く。
 美佐枝さんの頬はほんのりと桜色に染まっていた。


 「ほらぁ、黙ってこっち見てないで岡崎も飲みなさいよ」
 「あ、ああ…」


 数時間前にカップラーメンしか食べてないので、本当は美佐枝さんの手料理をもう少し胃袋に入れてからにしたかっ
たのだが、その勢いに圧倒されて、俺もビールを一気に飲んだ。


 「いい飲みっぷりね。偉い偉い」


 少し酔っているのだろうか、右隣に座っている俺の頭をくしゃくしゃと撫でる。
 こういう時に、酔っ払いに抵抗しても労力の無駄なので、俺は為すがままになっていた。


 「はいっ、はいっ!男春原陽平、一気します」


 さっきから、俺のことを羨ましげな視線で見つめていた春原が、ビール瓶を持って勢いよく立ち上がった。
 大した酒にも強くないくせに、本当にバカなやつだ…


 ゴギュ、ゴギュ、ゴギュ…


 ドンと力強くビール瓶をテーブルに置く。
 時間差で、春原の顔が熟れたトマトのようにたちまち真っ赤になっていく。


 「美佐枝さん、どう僕って男で…しょ?」


 そう捨て台詞を残した後、春原はスローモーションのように床に転がる。


 「わっ、ちょっと春原大丈夫?」


 まだ春原陽平という男の本質をよく知らない美佐枝さんが、ビックリして抱き上げる。


 ふにっ…


 「柔らかい… ここはもしかしておっぱいの国れすか〜」
 「ドロップキィィィック!!!!」


 それら一連の出来事は全くもって俺の予想通りだった。








 クリスマスパーティーとは名ばかりの宴会がお開きになったのは、大分夜も更けてからだった。
 気がつけば、いつの間にか春原だけではなく、美佐枝さんまで床の上で雑魚寝をしていた。

 規則正しい寝息を立てる美佐枝さんを横目でぼんやりと眺めながら、俺は一人で缶ビールを煽る。
 これが、祭りの後の静けさというものだろうか。
 よくよく思い返せば、クリスマスパーティーなんてやったのは実に四、五年振りのことだった。
 
 その時、不意に俺の膝にズシリと重たくて生暖かい感覚が走った。


 「ニャー」


 俺は一瞬息を呑んだ。
 それは、美佐枝さんの飼っている猫だった。
 ドアも閉まっているはずなのに、一体どこから入って来たのだろう…。
 猫はすぐに俺の膝から離れ、美佐枝さんの元へと音もなく歩み寄っていった。


 「ニャー」


 その声に美佐枝さんは目を覚ましたらしく、伸びをしながらゆっくりと起き上がる。
 自分の飼い猫の存在に気づいた美佐枝さんは、自分の目線の高さまで両脇を抱えるようにして抱き上げた。


 「ん、どうしたー?」


 猫は必死に手足をバタバタさせている。どうやら、何かを訴えかけているらしかった。


 「あんた、このチキンが欲しいの?」


 返事の代りにニャーと一回鳴いた。


 「ちゃんとご飯用意してあげたでしょ。食べなかったの?」


 そう言いながら、猫を一旦床の上に下ろし残っていたローストチキンを小さく千切って床に置く。
 猫は舌を伸ばしてそれをぺロッと平らげる。そしてその後すぐに、お替わりはないのかというふうに、美佐枝さんの太腿
に前足を載せ催促した。
 そのリクエストに答えて、美佐枝さんが再び小さく千切ったローストチキンを床に置く。


 「こらこら、そんなに慌てて食べちゃ喉つっかえるわよ。あっ、でも猫だから平気なのかしらねぇ」


 一生懸命ローストチキンを頬張る猫の背中を優しく撫でる。
 そんな彼女の表情は今までに見たことのないほど穏やかなものだった。
 カーテンの隙間から差し込んだ月明が照らすその横顔を、俺はただ黙って見つめていた。

 顔を上げた、美佐枝さんと目が合う。


 「岡崎、ずっと起きてたの?」
 「まあな」


 美佐枝さんはふーんと言って、視線をまた猫の方に戻す。
 猫は美佐枝さんの傍らで丸くなっていた。


 「なあ… 美佐枝さんはどうして折角のクリスマス・イブの夜に俺達なんかに付き合ってくれたんだ?」
 「さあ、何でかしらねぇ。あたしもよく分からないわ」


 じいっと猫の目を見つめて、少し考える素振りをする。


 「まあ、強いて言うなら、たまにはこんなクリスマスも有りかなってね」


 やんわりと微笑む美佐枝さん。

 美佐枝さんには敢えて言わなかったが、俺にはさっきから見えていた。

 高校生くらいの線の細い少年だった。
 猫に重なるようにぼんやりと輪郭が滲んだ少年は、美佐枝さんの傍らにじっと寄り添っていた。
 少年が誰なのかは分からなかった。だが、俺はどういう訳かそれが自然に思えた。
 彼女に向けるその眼差しが、とても穏やかで満ち足りたものだったからだ。


 「あのさ、きっとその猫もクリスマスパーティーしたかったんじゃないのかな?」
 「ふふ、案外そうかもね…」


 外にはまるで花びらのように、ふわりふわりと白い粉雪が舞い落ちていた。
 こんなにはっきりと月が出ているのに雪が降る。それは、とても不思議な光景だった。
 明日はきっとホワイト・クリスマスに違いない。








 -END-









 あとがき


 今、クリスマスSSを書かないでいつ書くんだ、という訳で美佐枝さんメインで
お届けしました。個人的には冒頭のまったりとした朋也と春原のやり取りが好き
ですw


 最近、ひっそりと雑記を書き始めました。お暇な方はぜひ覗いて見てください。

 「倉など。など。