「朋也君のハッピー!性生活 2nd Stories」         by鍵犬

〜夕波の詩(ゆうなみのうた)/杏編〜





 -4-




 日も西に傾き、世界はシルエットになった。まばらな雲の合間からさす夕日は、海面を黄金色に輝かせ、
波を柔らかく映し出していた。

 水面に映える美しい光のコントラストを背景に波打ち際を歩く二つの影。


「結局、カニ一匹しか捕れなかったな・・・」

「しかも、その一匹を捕ったのはやっぱりあたしね」

「くそう・・・ 次は必ずリベンジしてやるからな」

「ほほほ、いつでも掛かってらっしゃい」 


 ひとしきりふざけ合った後に舞い降りるのは無言の時間。賑やかだった昼間の太陽が傾くと、人のいない
浜辺はより一層の静寂をたたえる。そんな静寂を打ち破るように遠くから聞こえてくるのは、寄せては返す
夕暮れの波音。


「・・・なあ、お前は何か夢ってあるのか?」

「夢?」

「例えば、高校卒業したらどうしたいだとか・・・」


二人の無言の均衡を先に崩したのは朋也だった。少し考えるようにしてニ、三歩進んだ杏は、裸足の足を
日が高い頃とはまた違った表情の海に浸す。海風は昼間より冷たかったが、足にまとわりつくそれは昼間
のそれよりもどこか温かかった。


「だったら、あたしの夢は幼稚園の先生になることかな」

「へぇ、そいつは初耳だ」

「あたしって、こう見えて結構子供好きなのよね」


そう言いながら夕波に背中を向ける杏は、柄じゃないかなと朋也を見て少し照れくさそうに頬を赤らめる。
そんな西日でオレンジ色に縁取られた少女はまるで絵画のようだった。


「確かにお前、面倒見がよさそうだもんな。絶対向いてると思うぞ」

「・・・ん、ありがとね朋也」


杏は嬉しそうに目を細めてから、今度は朋也に今と同じ質問を返す。ちょっと間を置いてから朋也はゆっ
くりと口を開いた。


「・・・正直言って俺は、まだ将来のこととかあんまり考えてないんだ」


朋也は次の言葉に続けることを少しためらう素振りを見せる。まるで、その瞬間を狙っていたかのように、波が
一際大きな音を立てて砂と一緒に杏の足元をすくった。


「きゃっ!?」


予想外の水圧に足をとられた杏は、大きく後ろに仰け反る格好になる。そして、次に来たるべき衝撃に備え、
無意識のうちに目を堅く閉じる。だが、その衝撃はいつまで待ってもやって来なかった。代わりに、朋也の腕
が背中をしっかりと抱きかかえていた。


「ふーっ・・・ 危うく、帰りのバスの中を最悪な気分で過ごすところだったな」


逞しい腕に支えられながら、体勢を起こした杏は、そのまま朋也の背中に見かけよりもずっと華奢な腕を回す。
海は、まるで何事もなかったかのように、先ほどと変わらない夕日の煌きをたたえていた。波間に伸びた二つの
影が一つに重なる。黄金色の稲穂が生い茂る大地のような海原で抱き合う二人。

 心地よい杏の重みを身体全体で感じながら、朋也は耳元でそっと囁く。


「・・・だけど、差しあたっての俺の今一番の夢は、卒業してからもずっとお前と一緒にいることだな」

「・・・うん」


杏が小さく頷く。遠くから聞こえる波音をBGMに、二人は互いに唇を重ね合わせた。燃えるような空はいつしか
オレンジと薄紫のグラデーションに変わっていた。




 -5-




 閉じられていた目がゆっくりと開かれる。薄雲を通してさし込む夕日は、三年前とはまた違った海の表情を作
り出していた。

 まるで、金糸で紡がれた織物のような海をぼんやりと眺めていると、去年朋也と大喧嘩して二人で同棲して
いたアパートを飛び出したことが杏の脳裏に浮かんできた。改めて今考えてみると、笑ってしまうぐらい下ら
ない理由だった。

 三年前、二人は初めての遠出をした。朋也に連れて来られた季節外れのこの海で水を掛け合ったり、綺麗な
貝殻をさがしたり、カニを捕ったりして遊んだ。その後、西日に輝く夕波の中で互いに将来の夢を語り合ったりも
した。そして、朋也と交わした口付け。あの日の海の温もりはどこまでも優しく二人を包み込んだ。

 とめどない時の流れの中、人はこの海の表情と同じようにあらゆる意味で変わってゆく。この巡り巡る空の下
で不変な人間などあり得るのだろうか。そんなことを思いながら杏は一人のろのろと砂浜へと引き返す。




 不意に背後からそっと肩に触れる手のひら。

 振り返ると、そこには昔と変わらない朋也の笑顔があった。


「わりぃ、カニ捕りに夢中になりすぎた」

「ほんと、いつまで経っても子供なんだから・・・」

「そう怒るなって。ほれ、今回は大漁だぞ」


 静かな浜辺に二人肩を並べて、あの時とは違う輝きを持った海を眺める。夕日で頬を染めながら、杏がぽつ
りと口を開いた。


「・・・ここ、やっぱりいい所ね」

「そうだろ。実は、俺がまだガキの頃によくオヤジに連れて来てもらってたんだぜ」


 光と闇の境界線が幾重にも走る夕焼け空の下、遠くで懐かしい波音がまた一つ・・・








 -END-