朋也君のハッピー!性生活〜古河家の人々編・後編〜
                              ・・・・・・・・・・・・・・・鍵犬


吹き抜ける初秋の風。太陽はまだ高い位置にあった。

「落ち着いたか?」

「はいっ、もう大丈夫です。心配させてごめんなさいでした・・・」

ひとしきり泣いた渚の目は赤く腫れていた。出会ってからもう一年以上経つが、こいつが思いっきり
泣いた姿なんて初めて見たから、どういう言葉を掛けたらいいか分からず戸惑ってしまった。

オッサンのことを信じる・・・

この言葉が本当に俺の本心から出てきた言葉ではないのは明白だった。俺もオッサンのことを疑って
しまっているのだから・・・

「オッサンも見失ったことだし、家にでも戻るか?」

ここで言う家とは、古河家のことである。今日見たことは早苗さんには黙っておこうと思った。

渚に加え、早苗さんの悲しそうな顔まで見るのは嫌だった。

やり場のない怒りに足元に落ちていた小石を思いっきり蹴った。

「きやっ!!」

まず聞こえてきたのは女の子の声。そして、次に聞こえてきたのは俺に向かって一直線に突進してく
る靴の音。

「ボクの椋さんに何するんだー!!!」

「うおっ!!」

俺はモロに体当たりを喰らいニ、三歩後ろによろけた。

「勝平さん、私大丈夫。ちょっとびっくりしただけだから」

「椋さんを、びっくりさせる奴は許さないぞ・・・・って朋也クン?」

今日はこれで二度目の再会。この二人とは前世で何かの因縁があったのか・・・?




「奥さんがいるのに、浮気するなんて秋生さんひどいねっ」

俺は二人に洗いざらい今までの事情を説明していた。なぜ、そんなことを二人に話したのかは自分
でもよく分からなかった。

ただ、誰かに話した方が少しでも楽になるんじゃないかと思ったからだった。

「あっ、そういうことだったんですか」

最初に商店街で会った時に渚が説明したはずの藤林が納得したように頷いていた。やっぱり、あん
まり通じてなかったらしい。

渚はただ、下を向いて黙っていた。

「・・・で、一体誰と浮気してたの?」

真剣な顔で勝平が聞いた。

「・・・誰って、さっき見ただろ。オッサンの隣にいた女の子」

敢えて智代とは、言わなかった。藤林は生徒会長だった智代のことを知っているかもしれないが、
勝平は恐らく知らないはずだ。

それにもう一つ理由を挙げれば、オッサンの浮気相手が智代だったということに、俺自身まだ気持
ちの整理が付いていないのかもしれない。

「秋生さんの隣にいた女の子・・・?」

二人とも少し考える。

「さっき、朋也クンと一緒にいたときは坂上さんしか見てないんだけど・・・」

「え、ちょっと待て」

一瞬頭の中が混乱する。坂上さんというのはもちろん、坂上智代のことだ。

「渚、お前が前商店街で見た女の子ってさっきの女の子だよな」

「はいっ、あの子に間違いありません。ロングヘアーの黒髪の子でした」

ということは、智代で間違いはない。

「どういうことだ?オッサンの浮気相手って智代じゃないのか?」

思わず智代という名前を使って勝平に尋ねていた。

俺の質問に勝平と藤林がしばし顔を見合わせる。そして、二人は急に笑い出した。

「私達は真剣なんですっ。笑うなんてひどいですっ」

気分を害したように渚が言った。

「いやぁ、ゴメンゴメン。でも、可笑しくって・・・」

勝平が腹を抱えてまだ笑いながら、向こうの方を指差した。

指差す方を見るとそこには、コンクリート作りの建物があった。どうやらそこは、スタジオのようだった。

「お二人とも、秋生さんから何も聞いて無かったんですか?」

そういって、藤林はバックの中から一枚の紙切れを取り出した。

それは何かの宣伝のチラシだった。俺は頭から順番にその文字を追った。


「劇団ティアトル・ベーカリー、十月四日公演・・・・・・・・出演・古河秋生、坂上智代、石川・・・・・・」


ちなみに、十月四日は明日の日付である。

「劇団って・・・知ってたか渚」

「全然聞いてませんでした」

きょとんとした顔で渚は首を横に振る。

「ありゃ、二人とも知らなかったんだ。じゃあ、秋生さんに悪いことしちゃったかな・・・」

勝平はバツが悪そうに頭を掻いた。

「じゃあ、お前らが俺達と同じ方向に来てたのも・・・」

「はい今日、勝平さんにお願いしてリハーサルに連れてきてもらったんです」

道理で、俺達の行くところ行くところで会うはずだった。

そのあとで勝平から詳細を聞いた。

劇団ティアトル・ベイカリーとは三ヶ月前にオッサンが商店街の振興の為のイベントとして一時的に
立ち上げた劇団で、監督・演出を全てオッサンがやっているということ。

商店街の店主達だけで構成したら、女ッ気が無くなってしまいオッサンが街中で智代をスカウトした
こと。

勝平はここのスタジオでバイトしていてオッサンたちと知り合いになったこと。

どれも、これも初めて聞くことばかりだった。

しかしこれでオッサンが浮気していたとう疑惑は晴れた。俺と渚はほっと胸を撫で下ろした。同時に、
疑ってしまったことに対する申し訳ない気持ちにも襲われた。

「よかったですっ、お父さんは浮気していませんでした・・・ぐすっ」

渚にもやっといつもの笑顔が戻る。そして、今度は喜びの涙が目に光っていた。

取り合えずこれでめでたしめでたしと思いきや、俺達には一つだけまだ判らない事が残っていた。

なぜオッサンは今まで早苗さんや俺達にそのことをずっと黙っていたのだろうか・・・




薄暗い場内は平日にも関わらずほぼ満席だった。俺は親方に無理を言って休みをもらってオッサン
の劇を見に来ていた。隣にはもちろん渚と早苗さんの姿があった。

そして、開幕ベルが鳴り舞台の幕が上がる。

それは家族愛を描いた劇だった。そして、どこか懐かしく共感できる劇だった。

ぎこちない演技の商店街の店主達の中で、唯一劇団出身のオッサンは輝いていた。

会場の隅まで響く声量。オッサンの一挙手一動に場内は魅了されていた。そして、智代の演技も
オッサンほどではないにしろ人の心に響くものがあった。

幕が下りた後の会場は惜しみない拍手で埋め尽くされていた。中には感動してハンカチで涙を拭い
ながら拍手する観客もいた。

横を見ると渚の顔が感動の涙でぐしゅぐしゅになっていた。

「いい劇ですっ。感動しましたっ」

「お前鼻水出てるぞ・・・」

次にちらりと早苗さんの方を見る。舞台挨拶をしているオッサンを見つめる表情は今までに見たこ
とがないくらい穏やかなものだった。

そして、舞台は大成功に終わった。




俺達は公演を終えた舞台袖に来ていた。

「よ、よおっ」

俺達の姿を見つけたオッサンが照れくさそうに片手を上げて挨拶する。智代も隣に立っていた。

「お父さんやっぱりすごいですっ。わたし、感動しましたっ!!」

「ちょっと、本気になっちまったぜ」

タバコに火をつけ、照れくさそうにオッサンが渚の二の腕を軽く叩いた。

「おっさん、どうして俺達だけじゃなくて早苗さんにも黙ってたんだよ」

昨日の夜、初めて劇をやることを打ち明けたオッサンから聞けなかったことだ。

「ちっ、まさかバイトに小僧の友達がいたとはな。まあ、いつかはばれると思ったが」

ちらっと、おっさんが見た先には勝平がにこやかに俺達に向かって手を振っていた。

「うっかり、言うの忘れてた・・・とかじゃダメか?」

「はぐらかさないで答えろよ」

ここで、また逃げられる訳にはいかない。さらに強くオッサンに詰め寄る。

「えーっと、それはだなあ・・・」

「あの演劇がわたし達をモチーフにしていたからですよね」

困った表情でタバコをふかすオッサンの言葉を早苗さんが続けた。

「ははーん。オッサンそれで、俺達に見せるのに照れてたのか」

冷やかすように俺が言う。

「うっせー。お前らが来ないようにわざわざ公演日も平日にしたのに、仕事休んでまで来や
がって!そんな暇があったらキリキリ働いて渚を幸せにしろ、この甲斐性なしっ!」

全く子供みたいな大人だ。

だが、そんな子供みたいな大人は嫌いじゃなかった。

そんな俺達のやりとりを黙って見ていた智代と目が合った。勝手にオッサンの浮気相手と
勘違いしていただけにちょっと気まずい気分になった。

「よ、よお智代」

「朋也、久しぶりだな・・・」

一方、智代はそんなことは全然頓着していないようだった。懐かしそうに俺の方に歩み寄っ
て来た。

ちなみにあの時、俺達を避けたのは、オッサンが劇団員に全員口止めをしていたからだそ
うだ。

「私の演技はどうだった?変じゃなかったか?」

少し不安げに尋ねる。

「全然よかったぞ。というか感動すらした」

「そうか。よかった」

智代はまるで、百点取って親にほめられた子供のように目を細めた。

「・・・でも、どうしてオッサンに協力したんだ?」

「うん、私も最初は断ったんだ。受験でそれどころではなかったからな」

確かに受験シーズン真っ盛りのこの時期に、こんな大変なことを快諾する人は少ないだろう。

「でもな、試しにって秋生さんが見せてくれた台本を読んで出演を決めたんだ」

智代は胸の前で大切そうに抱えていた台本を見せてくれた。その台本はぼろぼろで三ヶ月間
一生懸命練習した跡がくっきりと残っていた。

「この劇に出てくる、家庭はとても素敵だ。暖かくって、とても居心地がいい。私が目指している
のはこんな家庭だ」

その言葉には恐らく俺のまだ知らないもっと深い意味があるような気がして、黙って頷くことしか
できなかった。




それから世間話を少しした後、智代は控え室に戻り舞台袖には俺と古河家の人々だけが残った。
どうやら俺達に気を利かせてくれたらしい。

早苗さんはオッサンの背中の汗をタオルで拭ったり、肩を揉んだりしていた。

「でも、お母さんはお父さんが演劇やること全然知らなかったんですか?」

そんな二人の様子を眺めながら、ぽつりと渚が言った。

「まあ、早苗にはずっと黙ったままだったからな。何にも言わないで悪かったな」

バツが悪そうにオッサンが呟いた。

「いえ、わたし知ってましたよ」

「えっ!?」

オッサンの肩を揉みながらの早苗さんの爆弾発言に、その場にいた全員が驚いていた。

「はい、秋生さんが公園で練習してるのいつも見てましたから」

「まじかよっ!」

オッサンが思わず大きな声を上げた。どうやら、全然気づいていなかったらしい。

「じゃあ、何で俺達に教えてくれなかったんですか?」

少し考えるように早苗さんは宙を見上げ、事も無げにこう答えた。

「それは、秋生さんが秘密にしているみたいだったからです」

そして、早苗さんの表情は全てを暖かく包み込むような優しい笑みに変わる。

「これでも、わたしは秋生さんの妻ですから」

それを聞いたとき直ぐには言葉が出なかった・・・

自信を持ってそう答える早苗さんを目の当たりにして、この夫婦の絆はなんて深いんだろうと
思った。

俺と渚もいつか結婚してこんな夫婦になることができるのだろうか。

いや、きっと俺達なら二人に負けないくらいの夫婦になれる。

絶対になってみせる。

渚の手を取って力強く握る。渚もそれに答えるように力強く握り返してきた。

そんな俺達を見てオッサンは豪快に笑った。

「うしっ、今から打ち上げやるけど渚も来るか?」

オッサンがじっと俺のほうを見た。

「ちっ、小僧も特別に参加させてやるよ。ただし舞台の後片付け手伝えよっ」

そう言って、大きく伸びをしながら立ち上がるオッサンが今日はなんだか、




ちょっとかっこよく見えた。








ってのは秘密にしておこう・・・








-完結編に続くかも-