あまかな〜ツンな私も彼とふたりっきりのときは甘えたいのよ。にゃんにゃん〜





「恋人らしく振舞うことは、この腐りきった世の中には必須なことだと思うのよ!」

 どこぞの名言かと思ったけれど、そんなことはなかった。ただの佳奈多さんの欲望だった。
 その言葉に僕は何も反応せず、日々溜まってくる雑務を処理する。

「あ、そういえば月報もつけないと……」
「ちょっと、そこの彼氏。無視しないでくれる?」
「一応仕事中なんだけど」
「私たちの愛の前には仕事なんて関係ないわ」
「いやいや、全然関係あるから! これ終わらせないと帰れないよ!」

 ただでさえ遅れているっていうのに、これ以上遅らせることは出来ない。
 こうして邪魔の入らない時間は貴重だ。それに、今だっていつ新たな案件なり、騒動なりが起きるのかさえ不明瞭だ。
 実はこうしてふたりでいるほうがよっぽど危険だということがわかってきたのはつい最近。
 けれど、仕事のためにふたりきりになるのは、やっぱり仕方のないことで。

「直枝、肩揉んで。腕揉んで。足揉んで。ふくらはぎ揉んで。太もも揉んで。胸――」
「うん、少し落ち着こうか」
「私は冷静よ」
「いやいや、誰が見てもそう思えないからね」
「ほら、早く私を甘えさせなさいよ」
「そう言われても……ここ、寮長室だよ?」
「関係ないわ」
「少しは羞恥心持とうよ! あの頃の佳奈多さんはどこに行ったのさ!」
「こんな場所に誰も来ないじゃない。来てもクレーマーよ」

 佳奈多さんがずいっとのしかかってくる。
 椅子から地面へ、背中は硬くて冷たい感触を伝えてくる。
 ペンや書類が散らばろうと、今の佳奈多さんの瞳は、僕しか捉えていない。

「直枝……」
「ちょっ、さ、さすがにまずいって!」

 まだ校内に他の学生はもちろん、見回りの先生だって!
 そんな僕の言い分は、周りに溶けることがなく、

「んぅ……ぁむ」
「んむぅ――っ」

 僕の思考と唇が溶かされそうになっていた。やばい、めっちゃやばい。
 最近ご無沙汰だった状態でこんな濃厚なの貰ったら……。

「どもー、失礼しちゃうわねー。ふたりとも、ちゃんと仕事してるー?」
「心配されることもないと思います」
「変わり身はやっ!? ホントに同じ人!?」

 ドアが開いたときには、既に書類を手に、いつもの佳奈多さんがそこにいた。
 いや、おかげでバレることはなかったけどさ……僕が不完全燃焼になることをわかってるのかな。わかってないよね。

「直枝、何をしてるの。早く仕事を済ませないと、今日こそ居残りよ」
「……わかってるよ」

 渋々、何故かお互いに心情的に正反対な感じになり、仕事を再開することに。
 あーちゃん先輩はそんな僕らを見て一言。

「青春してるわねー」
「ちょっ、先輩!?」
「ええ。直枝と私は恋人ですから」
「って、佳奈多さんも素直に答えないでよ!」

 そりゃ、この人には関係はバレてるけど、そこまで素直に答えるものでもないでしょ!
 最近、ツッコミが大抵佳奈多さんのこの変わりように使い尽くされている気がする。
 おかげで、戻った後、真人にツッコミを入れたりする回数が少なくなっていた。真人や謙吾にそれを指摘されたりも。
 僕ももう少し前みたいにみんなと楽しめたらなーとは思うんだけど、佳奈多さんのことを思うと、やっぱり優先順位が変わってしまう。
 昔はこんなことなかったのにな。僕の中での一番は、変わらずリトルバスターズだったのに。

「私の用はこれを渡しに来ただけだから。あとはごゆっくりー」
「まだ集めてたんですか? ホント、ご苦労様ですね」
「むっふふー、楽しみにしてるからねー」

 じゃあねー、と手を振りながら去っていくあーちゃん先輩。
 その後、すぐに外から先輩と他の人の声が。先輩が何かやらかしたのだろう。
 ドタバタ騒ぎも段々離れていき、いつもの静寂が訪れる。

「直枝、少しいいかしら?」

 二つ返事で頷く。それは佳奈多さんが真面目な表情をしていたからに他ならない。
 さっきまで競り上がっていた欲情は鳴りを潜めてきた。これなら平気だろう。

「どうして素直に答えちゃダメなのかしら? 私たち、付き合ってるのよね?」
「そういう質問!?」
「私にとっては、生涯にかけて五指に入るわ」
「いやいやいやいや、入れないでいいから!」

 そんな聞くのも聞かれるのも恥ずかしい質問を五指に入れないで!
 佳奈多さんはそれでも撤回する気はないようで、僕をじっと見つめたまま。

「……恥ずかしくないの?」
「私はあなたと付き合えていることは誇りに感じているわ。私のナイト様だもの」
「サラリと佳奈多さんらしくない発言が出た!」
「あなたにとっての私がそうでないことはわかるけど、私にとってはそうなの」

 不意に視線を下にやり、寂しげな雰囲気を漂わせる。反則だよ、それは。
 そうでないことなんて、あるはずがない。僕だって佳奈多さんだからこうしているのに。
 抱きしめるよりも早く、手は佳奈多さんの頭に置かれていた。
 そのまま撫で始めると、これがまたさらさらで、本当に同じ髪なのかなーとか思ってしまう。

「……私はこどもじゃないわ」
「そうだね。でも、こうしててもいいかな?」
「悪いわけないわ。むしろもっと撫でなさい。上半身も下半身も。もちろん秘部も――」
「感動のシーンが台無しだよ!」

 しょげてると思ったら、一気に変わるのは、既に何度も味わってきてるけれど、全然慣れない。

「強情ね。もう少し甘えさせてくれてもいいじゃない」
「佳奈多さんは堰を切ったように迫りすぎ! もう少し抑えてよ!」
「さて、こっちは終わったわよ」
「今の間に仕事してたんだ!?」

 僕なんてまったく進んでないんですけど!?

「もう、しょうがないわね、直枝は」
「仕方なさそうに言ってるけど、ちょっかい出してきてるのは佳奈多さんだからね!」
「べ、別にあなたのために手伝ってあげるわけじゃないんだからね。私が早く甘えたいだけなんだから!」
「ツンだと思ったら本音だった!?」

 というわけで、残った雑務をふたりで分けて仕事再開。その間は佳奈多さんも大人しく……、

「ねぇ、直枝。ここの椅子って座りにくくないかしら」
「そうかな? 僕は座りやすいけど。教室の椅子よりは格別だと思うよ」

 これくらいのお喋りなら集中しながら返せる。
 実際、僕らが寮長になってから、職員室のお古の机や椅子をいただいたりして、環境は昔より良くなってたりする。
 だからこそ、ここに入り浸ろうとするメンバーが後を絶たなくなったんだけど。

「私は疲れるわ」
「体に合ってないのかな……それなら元に戻したほうがいいかもね」
「もっと手っ取り早い方法があるわ」
「へぇー。どんな?」
「こんなよ」

 僕と机の間にずいっと割り込んできた佳奈多さん。
 いやいやいやいや、いったいなんなのさ。人の足に乗らないで。人の胸に体重かけないで。これじゃまるで僕が椅子――、

「そう、直枝チェアーよ」
「エスパー!?」
「チェアーって、一文字変えるとチェリーよね。チェリー直枝ね」
「なんか嫌だからやめて!」
「確かに。直枝はもうチェリーじゃないわね。私が奪ったもの」
「そういう言葉は公共の場では戒めてくださいっ!」
「受け取った分も終わったわよ」
「僕は佳奈多さんが間に入って書類すら確認できなかったよ!」

 せっかく真面目にやってたのに、これじゃ集中が長続きするはずがない。
 邪魔しないで、と少し強く言って作業を再開する。
 その隣で、作業の終わった佳奈多さんは何かをし始める。

「今日、直枝とふたりきりで寮長の仕事をした。だけど、直枝に嫌われたのか、あんまり甘えさせてくれなかった。私が悪かったのかしら。最近ふたりきりになれなくて寂しいと彼も言っていたのに、嘘だったのかしら。胸とか太ももとか触らせたのに、全然乗ってこなかった。もしかして飽きられたんだろうか。そういえば、最近妹と仲がいい気がする。甘えベタな私よりも、活発で明るい妹のほうがいいのかも。所詮、私は闇に屈した人間だもの。このまま独りで消えていく運命なのよ、二木佳奈多」
「ちょっかい出しててもいいから、元の佳奈多さんに戻ってええぇぇ――っ!」

 な、なんで仕事するだけでこんなに疲れるんだろうか。
 日に日に、一日に使う労力が多くなってる気がする。主に精神面で。
 僕の言葉が効いたのか、なんとか黒い佳奈多さんは引っ込んでくれたようだ。
 僕に被害が及ぶのは、結局どちらでも同じことだったんだけど。
 そんな状態で仕事を終わらせたことを賞賛してほしい。何度誘惑に負けそうになったことか。

「これで思う存分甘えられるわね」
「早速!?」
「というか、こうすれば良かったのよね」

 佳奈多さんがドアに近づいて、その後聞こえたのは施錠の音。
 ニヤリ、と佳奈多さんが笑った気がした。いや、実際に笑ってた。

「逃げ道がない!?」

 しかも学校の中で!?

「この時間、もう見回りが来るのは日が変わる頃しかないのよ」
「どうしてそんなこと知ってるのさ!」
「そりゃ、妹を使って調べたからに決まってるじゃない」

 実の妹を何に使ってるのさ。

「直枝とふたりきり、夜の校舎でにゃんにゃんするために!」

 どうしようもない理由だった!
 あと、にゃんにゃんってもはや死語レベルだよね!?

「ほら、布団も持ってきてるのよ」
「用意周到だ!」
「YES,NO枕もあるわ」
「甘えってレベルじゃない!」
「……………冗談よ」
「冗談に見えないよ!」

 いったいどこにしまってあったのか。それだけの嵩があったのに、佳奈多さんはするりと片付けた。

「さあ、出かけましょう」
「今から?」
「ええ。この後、暇なんでしょう?」
「そうだけど……門限過ぎてるよ」
「愛の前には些細なことよ」

 やっぱりどこかネジが抜けている佳奈多さんだ。
 僕もそんな佳奈多さんが嫌ではなく、少し苦手で、そんなギャップもありなわけで……結局付き合うことになる。

「これでよかった?」
「ええ、ありがとう」
「こんなところでよかったの?」

 目的地は人気がない公園だった。
 他にある公園に比べると小さく、端から端まで見渡せてしまう。

「ええ。直枝と来たかったの」

 その真意が読み取れない。
 読み取ろうと努力する僕を尻目に、佳奈多さんは抑えていた過剰なスキンシップをふんだんに僕へ向けていた。
 いや、嬉しいんだけどね。だけど頭を抱いたり、逆に抱かされたり、果てには体中にキスマーク……、

「って、それはダメだってば!」
「チッ……鎖骨と手首にしか付けられなかったわ」
「充分でしょ!」

 考え事してると、その隙を狙われかねなかった。実際、既に狙われました。佳奈多さん、怖い。
 エスカレートしてたスキンシップは、欲情が発散されてきたおかげか、段々と落ち着いて、今では普通のカップルレベルまでトーンダウン。
 これくらいでちょうどいい。
 ちなみに今は、何故か僕が膝枕してあげて、駅前で買ったベビーカステラを親鳥の如く、雛鳥の佳奈多さんに食べさせてる。
 あれ、普通逆じゃない?

「美味しいわね。これで口移しなら言うことなしなのだけれど」
「それは無理。また今度にして」

 今だってイッパイイッパイなんだから。

「直枝の足ってそんなにお肉ついてないわよね」
「く、くすぐったいよ」
「ちょっと筋肉質よね。もう少し私好みにならないかしら」
「太らされる!?」

 真人と遊びで筋トレしてるのが原因だったりするんだろうか。

「直枝、直枝」
「ん? ああ、はいはい。あーん」
「あーん」

 催促されるがままに開いた口へ。あー、こういったところは無邪気に見えて可愛いんだから。
 と僕も満更ではないように感じているようだ。

「直枝ー、撫でて撫でてー」
「いいよ。かわいいなぁ」
「でしょう。かわいい彼女を甘えさせなさい。命令よ」
「こういう甘えならいいのになー」
「そんなにがっついてる私はお気に召さない?」
「そういうのじゃなくて……まだ日が浅いわけだし、もっとゆっくり進んでいきたいなって」
「そして、結婚直前くらいには、めくるめくエロスで濃厚な夜が毎日で、私は調教されながら前夜を迎えるのね」
「どうしてそこまで思考が発展するかな! これだと甘えてるんじゃなくて、ぶっとんでるよ! とびかなだよ!」
「心外ね。私は冷静よ」
「そうは見えないから!」

 はぁはぁ……いいムードになったかと思ったのに。
 これだとどこで物語を切ればいいか筆者もわからないじゃないか。

「心配する必要はないわよ」
「え? って、また僕の心を読んだの!?」
「愛する人のことなら当然よ」
「当然なはずないから! 異常だから! そして心配要らないってどういうことー!?」
「こういうことよ」

 ぐわん。視界が一転。真っ黒な中に転々と光る星空。が見えたと思いきや、すぐに佳奈多さんのフェイスアップで視界が埋まる。

「このまま甘えれば、自然と描写しきれなくなるわよ」
「打ち切り!? ある意味打ち切りだよね!?」
「直枝……」
「うっ」

 耳元に届く、佳奈多さんの甘く艶やかな声。
 それに誘われるように……僕は、

「わけにはいかないんだーっ!」
「あむっ」
「うひゃあっ!?」

 最後の最後まで抵抗を試みるのだったが、結局甘えられるのであった、まる。





「こんな終わりかたいやだよっ!」
「直枝、まだまだ夜は長いわよ」
「アーッ!」





 俺は棗恭介。最近だが、ひとつ問題が浮上している。
 リトルバスターズの要ともいえる理樹が、どこぞの風紀委員長に骨抜きにされているらしいとの情報が身内から入ってきた。
 その件について、情報屋から現在事情を聞いているところだ。

「いやー。さすがの私も驚愕しましたネ。なんせ理樹くんとおねーちゃんが<ピー>で<あっはーん>で<見ちゃいやーん>なことをしてるなんて……しかも、今規制かかったけど、全年齢対象用語だったんだけどナ……。
 そんなわけで、あのふたりの間に入り込む余地はなくて、やっぱり敗北してるはるちんなのであったー! これでいい、恭介さん!? いちおー、私も恋する乙女なんですからネーっ!」

 OKだ。しっかし、確かにこれはあのカタブツからは想像できないよな。
 まあ、しっかりとネタをいただいたところで……、

「棗先輩、愚昧? こんな人の寄らない校舎裏で何をしてるんですか?」

 なっ、こ、この声は……!
 恐れるな、恭介! 振り向くんだ!

「あ、あはははは……それでは、私は用事があるからこれで――」
「逃がさないわよ」
「ひゃうーっ!?」

 振り向いた情報屋が一瞬にして、背後で崩れ落ちた音がした。
 な、何をしたんだ、ターゲット。恐ろしくて振り向けない。
 しかし、ここを切り抜けるには、向かい合うのは必須。
 棗恭介、恐れてどうする。おまえはリトルバスターズ前リーダーだった男だろう!

「校内でも寮長室以外で直枝とにゃんにゃんできるところを探してたら……思わぬ獲物ね」
「にゃんにゃんっていつの時代だよ!」

 あ、振り向いちまった。

「ふふふ」

 は、般若だー! 般若がいるぞー!

「あわわわわわわわ」
「ガクガクブルブル」

 俺も情報屋も動けない。これ以上動いたら「や ら れ る」そう感じていた。

「何をしようかしら。ああ、そういえば愚昧は、私の直枝に今でもちょっかい出してるわよね。ここはねっとりじっとりさっくり調教しないと」
「ひいいいいいぃぃぃっ!」
「棗先輩は、私の直枝が尊敬する人。彼はあなたより私を尊敬するべきなのよ」
「何その俺様理ろ……ひいいいぃぃぃっ!?」





 終わっとけ。