その日、俺は何ヶ月かぶりに懐かしい坂道を歩いていた。
ある程度体力は落ちていないつもりだったが、それでも平坦な道を歩くのと坂道を歩くのでは違うものらしい。
半分ほどまでたどり着く頃には少し息が切れ始めていた。

「うぅむ……いかんな」

一年前は何事も無く歩けていた道に対して僅かばかりだが焦燥感が生まれる。
これが老いというものか。
未だ20に満たないくせにそうひとりごちる。
坂の上に見えるのは己が母校。
校門の部分には『卒業式』と大きく書かれた看板が立て掛けられている。
ゴールがはっきりと見えたことを確認した俺は、悲鳴をあげ始めた足を無視して一気にそこまで駆け上がった。

「ぜぇ……ぜぇ……ぜぇ……」

途中まで歩いていた時点でほぼ確信はしていたが、やはり体力は高校時代に比べて減ってしまっているらしい。
校門まで辿り着いた俺は小休止とばかりに校門にもたれかかる。
我ながらなんともはや情けない……。
全く、こんなザマがアイツに知れたらきっと深い溜め息を吐かれてしまうだろう。
やはり何か運動はすべきなのかもしれない。
そう思いながら校内を見渡す。
卒業式、と銘打たれているだけあってやはり校舎には人の気配が全くといっていいほどに無い。
教職員や用務員等もほぼ全員が今は体育館に集まっているのだろう。
息が整ってくるのを待ってから、俺は体育館へ向けて歩き出した。

























≡One year≡

























判っていた事だが、体育館の中では既に式は始まってしまっている。
今からアリーナの方に入るのは無理……というより雰囲気を壊してしまうだろう。
そも保護者ですら無いのただのOBなんだし、ここは大人しく二階のギャラリーから様子を見るとしよう。
そろそろと階段を登っていく。別段混んでいたりやましい事があるわけでもないのだが、なんとなく端の方を通ってしまうのは何故だろうか……。

『……を迎えることが出来たことを誇らしく思う』

階段を登った矢先、アリーナからは聞きなれた女性の声が響いてきた。
何処に居るのか、と目を凝らしてみると、彼女は粛々とした面持ちで壇上に立っている。
恐らくは答辞の最中なのだろう。
堂々として自信に満ち溢れたその声は、マイクを通すまでもなく凛、と体育館中に響いていた。
まったくアイツは……マイクスピーカぐらい使えっての……

『思い起こせば、私にとってここでの高校生活は紛うことなきかけがえの無い時間だった。生徒会に入り、本来ならば無くなってしまう筈だった桜並木
を護ることが出来た』

あぁ、そうだった。
アイツのやらなければならなかった事―――校門から昇降口までの間続いている坂道に並ぶ桜並木を護ること。
それはアイツにとってどうしても譲れない目標だった。
俺自身は具体的な行動内容は判らないけれど、半年近い時間を費やしていたあたりやはり並大抵の苦労ではなかったのだろう。
本当に凄い奴なんだな、と改めて感心してしまう。

『今は当学園の寮長をなさっておられる相楽元会長が在学時に成し遂げたという、【一週間無遅刻無欠席】も達成出来たのは予想だにしない僥倖だった。それは卒業生、在校生共に感謝の意を表したい』

……寮長って、美佐枝さんだよな?
え、美佐枝さんって元生徒会長だったのか!しらんかった……しかも一週間無遅刻無欠席ってひょっとして全校生徒が、ってことか?!
運とかだけで出来るものじゃないだろそれ!?

『……―――』

尚も彼女の答辞は続いていく。
創立祭の事、体育祭の事、生徒会の引継ぎのこと……そのどれもが、彼女にとって本当に大切な思い出たちだと言うことが伝わってくる。
あまりにその感覚がストレートに伝わってきたせいか、気がつくと俺の目尻にはうっすらと涙が浮かんできていた。
慌ててぐしぐしと袖で涙を拭く。
そう、今日は折角の門出なんだ、送られる側のアイツはともかく、俺は笑顔でいてやらなくちゃな。

『最後に、私達が護る事の出来た桜並木が、これから先幾千、幾万の新入生達を迎え続けることを願い、答辞とする』

彼女が最後の言葉を発した瞬間、体育館中から溢れんばかりの拍手が巻き起こる。
そう、此処にいる連中も知っていた。
彼女がこの学校生活においてどれだけの偉業を成し遂げていたのかを。
智代がどれだけ学校を大切にしてきたかを。
鳴り止まない拍手をまるで噛み締めるかのように、彼女はステージに掛けられた階段を一歩一歩ゆっくりと降りていく。
その姿は、俺が今までに見たどの姿よりも誇らしげに見えた。















「朋也!」

卒業式……というよりも、卒業生の学校生活の最後を飾る、在校生及び教職員によるブレスロード。
沢山の人たちが卒業生を祝福し、別れを惜しんでいる中で、智代は俺の姿を見つけると一直線に駆けて来た。

「よぅ」
「ちゃんと来てくれたんだな。よかった」
「そりゃ、まぁな。彼女の旅立ちの日なわけだし」

実は式自体には遅刻したってことは秘密にしておこう。その方がなにかと穏便に事が進みそうだ。

「そうか、実は寝坊をするのではないかと少々心配していたんだ」

ぐお?!思いっきり見破ってますよこの人!

「ハハハ、ソンナコトアルワケナイダロ?」

核心を突く台詞に精一杯の笑顔で応える。智代はいい奴だからきっと騙されてくれるだろう。そうに違いない、うん。

「……あぁ、一瞬でも信じた私が馬鹿だった」

しかし智代さんは一瞬で見破ってしまった挙句心底呆れた、と言わんばかりのため息を吐いてくれましたとさ。
くそう、如何に事実とはいえ流石に悲しくなるじゃないか。

「ま、まぁアレだ。ともあれ卒業おめでとうってことで!!」
「全く調子がいい奴だ……けど、ありがとう」

遅刻をしてしまったとはいえちゃんと卒業式に来てくれたのが嬉しかったのか、智代はいつもよりもあっさりと引き下がるといつもの笑みを見せてくれた。
もう何度も見ている筈なのにやはり見とれてしまう。
それほどコイツはやっぱりいい女なのだ、と改めて認識してしまった。

「ん、どうした?私の顔に何かついているのか?」
「いや、智代はすげぇいい女だと思って見惚れてた」
「なっ……お、お前という奴はどうしてそう場所も考えずにそういうことを……っ。いや、そう言ってくれる事自体はすごく嬉しいんだがなんというかタイミングとかそういうものがあるだろうって何でこんなに焦っているんだ私はっ」
「あーうん、そうやって未だに照れる所も可愛いぞ」
「ま、またお前という奴はっ!!」

顔を真っ赤にしながら怒りを見せてくる。
が、怒りよりも恥ずかしさが前面に出てるのが良くわかるので怖さ自体はまったくない。
一年経ってもこうなのだからきっとこれからも智代はこんな感じなんじゃないだろうか。




「っとそうだ、智代。これで最後なんだし、少し校内を歩かないか?」
「うん?別に構わないが」

それから鷹文や智代の両親と軽く話をして、再び2人きりになったところで俺はそう切り出した。
今日を逃すと、もう言えなくなってしまう事があったから。
どうしてもコイツにそれを伝えたかった。

中庭やグラウンド、校舎の周りをぐるりと廻り、再び校門の前に戻ってくる。
そこに並ぶのは、ようやくつぼみをつけはじめた桜並木。
智代が生徒会に入りたかった理由そのものだ。
そして、此処で俺は何者にも変えがたい大切な人を再び手に入れた。

「此処……覚えてるか?」

きっと、智代も思い出しているだろうけれど。

「あぁ、当然だ。忘れられるはずが無い……」

智代は言いながら桜の木の手前でこちらを振り向いた。
一年前の光景が蘇る。
瞬間、本当に一瞬だけ、あの雪の日の智代がフラッシュバックした。

「この場所で、私は何よりも、誰よりも大切な人を取り戻すことが出来たんだ。どうして忘れられる」
「あぁ、それは俺も同じだ。あの時この場所でお前が待っていてくれなかったら、俺はきっと、もっと駄目な奴になってたと思う」
「朋也?」
「本当はずっとお前の事が好きだったのに、その気持ちから目を逸らしたままになっていたんだと思う」

そう、だから俺は伝えなくてはならない。
誰よりも大切な彼女に、あの時いえなかった言葉を。


「智代」

俺は智代にまっすぐ向き直ると、あの日のように智代を強く抱きしめた。



「ありがとう……そして、本当にお疲れ様」



こんな俺のことをずっと好きでいてくれてありがとう。
こんな俺のことをずっとまっていてくれてありがとう。
もう、大丈夫だから。
これからは、俺が一緒になって支えてやるから。
だから、独りきりでずっと頑張ってくれたあの頃のお前に……お疲れ様。

「ともや……」

大きな感謝と愛情を込めて、再び智代を強く抱きしめる。

「あと……これからも、よろしく」
「うん……うん……っ」

智代も同じように強く抱きしめ返してくる。





そうしてこの日、俺と智代は本当の意味で恋人同士になった。

2人を再び結びつけた、桜つぼみしこの道で―――。